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【読書】人は何事も自分の考えた通りになるということ『行動することが生きることである/宇野千代著』

先日、小さな映画館に行った際、映画館会場外にある小さな待合スペースにあった3つの大きな本棚に、たくさんの映画にまつわる書籍が無造作に並べられていて、その1つの本棚に1冊だけなぜか、背表紙ではなく、表紙を向いているものがあって、それがこの一冊だった。

ポップなんかもついていなくて、ただ表紙が向けられていただけだったのだけれど、なんだか素敵なタイトルだなと思って運命を感じたので、その足で図書館に行ってこの本を借りた。

この本は著者、宇野千代さん本人の、生きることや考え方についてのことがまとめられているのだけれど、読んでみて普通に、この人元気に長生きしすぎてるとそう思って、調べたら、まさかの、明治、大正、昭和、平成と4つの時代を生き抜いているめちゃくちゃスーパーな人だった。

明治・大正・昭和・平成と1世紀にも渡る時代を自由奔放に生き抜いた作家。その人生は、作家・尾崎士郎や画家・東郷青児など、才能あふれる男たちとの4度もの結婚という華やかな恋愛模様に彩られている。宇野千代は決して去っていく男にすがりつくことをしなかった。しかし、どんな事があっても「書くこと」だけはやめなかった。

NHKアーカイブス下記URL記事より引用

wikipediaによると、宇野さんは1897年生まれで、亡くなったのは1996年。
つまり、98歳まで長生きしていたという。まさかの私が生まれた時期(1994年)にも生きていたとは。本を読みながら、パワフルな人だとは思っていたけれど、想像通りの方だった。

きっと、この本の著者からのメッセージを受け取って、「とはいえ、そんな世の中簡単ではないよ。」「これからの時代はまた違うよ。」と思う方もいるのかもしれないけれど、私的には、この変化に変化を遂げてきた4つの時代を生き抜いてきた著者の変わらぬものごとへの姿勢に、絶大なる影響を受けてしまったので、この感動を忘れないように、自分に刺さった著者の考え方を引用しておこうと思う。

人間というものは、一旦覚悟を決めたとなると、どんなことでも出来るものです。

「困難なことには自分の方から進んで這行っていく、すると道は拓かれる」より引用

不思議なことであるが、何でもそうだと思い込んだことは、その通りになるものである。・・・つまり私は、何をするのにも、このことをするのには、どうしたら一番好いかと言うことを、貪婪(たいそう欲の深いこと。ひどくむさぼること。)に考える。決して、好い加減には考えない。内証であるだけに、貪婪に考える。

「思い込んだことは、その通りになってあらわれる」より引用

幸福というものは、決して、現在の自分の環境が変わったとか、あるいは富の程度が変わったからということで感じるものではない。なぜかというと、幸福というものは客観断定にあらずして、主観の断定にあるからです。はたからどんなに幸福そうに見えてもそれは幸福とは言えないんですよ。本人がしみじみ、ああ、私は仕合わせだと思えないかぎりは、ほんとうの幸福を味わうことは出来ない。

「幸福をはりめぐらせて生きる」より引用

本書では上記に挙げたような「自分で思ったことが、自分の行動にそのまま現れる」という観点での記述が多く見られた。逆に言えば、そうやって著者は自分の思い込みをある意味ずっと大切に、ずっと信じ続けた結果、豊かな人生を送ったということが言えるのではないかと思う。時代が変わっても、自分自身の存在を、自分自身の価値を見誤らない。という力強いメッセージは、混沌とした、油断していたらすぐに自分自身を蔑んでしまいがちな現代を生きる私たちにとっては、とても大切な観点になるのではないかと思った。

また、著者は、この長い人生の中で、4度の離婚を経験しており、普通に考えて、めちゃくちゃこの時代には考えられないほどに自由奔放な恋愛を積み重ねてきた、恋愛観的な記載もとても面白かった。

まことに残念なことですが、男でも女でも、恋愛をしている間ではなく、それが済むまでは、ちょっと、小説を書くのに身が這入りませんね。自分のことを例にして考えますと、忽ち、そのことが分かるのです。私が小説を書いた時期はどの時期も、誰かと別れたあとだったと思うと、全くおかしくなりますもの。

「恋をしている人間は自分しか見えない」より引用

「あ、失恋したな」と思った瞬間に、あれは何と言うのでしょう、ドッと悲しさが押し寄せてきて、わァわァと泣きました。声を限りに泣いていると、その声の中に、からっとした感情が湧いて来る。まァ、言ってみると「失恋の客観性」というものなのです。「可哀そうに、あなたは失恋して泣いているのね」と自分で自分に言って見るのです。この自分で自分に言って見る、と言うことが大切です。

「失恋の真空状態を心につくってはいけません」より引用

ちょっと気を替えて、別の道を歩いて見るんです。実際、人間て、そこが雨降りだと、世界中どこへ行っても雨降りみたいな気になり易いものですけど、実際にはそんなことはありません。別の場所では、確かに好いお天気で、きれいな花が一ぱい咲いているところもあるのです。ちょっと気を替えて、一刻も早く、別の新しい道を一歩踏み出して見る。これが私の失恋を根治する一番の方法です。

「失恋の真空状態を心につくってはいけません」より引用

「好き」とか「恋」とか「愛」とかほど遠い位置に現在、位置してしまっている私だけれど、もしまた、恋愛的なものを自分がすることになったときには、この恋愛マスターの著者の言葉に帰ろうとそんなことを思った。

そして、最後に、自分自身も毎日のようにこのnoteに書いているが、同じ物書きとして(ちょっと同じ立ち位置に著者を添えるのはおこがましいけれど)、世の中に100冊以上もの作品を残したという、大先輩の「ものを書くこと」に関する考えに、非常に心打たれたので、最後に引用しておく。

ものを書こうとするときには、誰でも机の前に坐る。書こうと思うときだけに坐るのではなく、書こうとは思ってもいないときにでも坐る。この机の前に坐ると言うことが、小説を書くことの基本です。毎日、または一日の中に幾度でも、ちょっとでも暇のあるときに坐るというのではなく、毎日坐るのである。坐る、と言う姿勢があなたを規制します。不思議なことですが、ほんとうです。あなたは坐ったら、何をしますか。どうしても、何か書くしかないでしょう。この、毎日坐ると言うことが、小説を書くことの基本です。机を前にしたら、どうしても書かなければならない。では、何を書くか。
何を書くかは、あなたが決定します。しかし、間違っても、巧いことを書いてやろう、とか、人の度胆を抜くようなことを書いてやろう、とか、これまでに、誰も書かなかった、新しいことを書いてやろう、とか、決して思ってはなりません。日本語で許された最小限度の単純な言葉をもって、いま、机の前に坐っている瞬間に、あなたの眼に見えたこと、あなたの耳に聞こえたこと、あなたの心に浮かんだことを書くのです。「雨が降っていた」、「私は腹を立てていた」・・・という風に、一字一句正確に、出来るだけ単純に書くのです。あやふやな書き方をして、それで効果を出そうなぞと、そんなことは、決して考えてはなりません。素直に、単純に、そのままを書くと言うことが、第一段階の練習であり、やがて、大きなものの書ける基本です。

「上手になると言うのはひたすらに続けてすることである」より引用

ものすごく基本的なことなのかもしれないけれど、ものを書く上で、その基本って忘れがちなような気がしているので、この著者の言葉を胸に、これからも自分なりに、自分自身の文章を書いていこうと思う。

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