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【29歳無職日記】白か黒、じゃなくてグレー

2024年11月15日


「白か黒」

自分なりの正義と照らし合わせて、それなりに善悪をはっきりとつけて生きてきた人生だったように思う。

「これは白でも黒でもなくて、グレー」

そんな選択肢が許せなくてずっと、自分が黒であることなんてありえなくてずっと、白になりたくて、自分が白であることを証明したくてずっと、強がって生きてきたように思う。

人はそれを「完璧主義」と呼んだりもするらしい。

「完璧主義」であることはそれなりにしんどい。
学生のときはそこまで自覚したことがなかったけれど、一足社会に踏み込んでしまえば、そこはあたりそこら中、グレーの世界なのだ。

私の見渡す限り、社会に白の範囲なんてなかった。あるとするなら、外見だけで、見てくれだけ白のペンキがふんだんに塗られていて、中は真っ黒。みたいなこともざらだった。

けれど、真っ黒だらけでは社会というものは成り立たないので、そこに関わる人たちがいつだって必死に白のペンキをつぎ足して、つぎ足して、つぎ足して、一生懸命グレーにしてた。

もちろん、私が本当の白の世界を知らないだけで、世界のどこかに、あたりそこら中真っ白の世界、というものが存在しているのかもしれない。

けれど、私はまだそれを知らないし、きっと人生でたどりつくことはないような気がしている。

「白黒はっきりさせないで、グレーなくらいがちょうどいい」

自分の「完璧主義」によって、何度か人を傷つけてしまった経験を経てやっと、そのあいまいな要素、を自分の人生に享受できるようになった気がしている。

高校を卒業して、九州のど田舎から、関西の大学に進学したとき、私の今までの正義が揺らいだ。出くわす関西人全員、みんな面白くて楽しかった。「人は面白いことが正義」みたいな考え方がいつのまにか私の中でスタンダードになって、できる限り面白く、楽しく、その笑いの正義をもって、白であろうと努力したことを覚えている。

一人暮らしは寂しかった。友だちがいないと生きていけなかった。
私は見た目にも全く自信がなかったし、モテたこともない。だからこそ、「面白くない」とはっきり黒認定されて、ひとりぼっちになってしまうことが怖かった。「かわいくないなら、面白くあれ」そんなことを本気で思い込んでいた。

だから必死で勉強した。片っ端から関西ローカル番組を見て、お笑い番組を見て、特に「人志松本のすべらない話」なんかは熱心に見て、オチについて勉強して、オチのある話を自分でもできるように練習して習得した。あとツッコミも。どこまでが悪口で、どこからが笑いなのか、その絶妙なラインを感知できるセンサーを自分自身に身に付けたくて、いろんな司会者の番組を見てツッコミも勉強した。

そうやって気が付いたら自分の「完璧主義」が発動してしまっていて、歩き出したが最後、どこまでも自分なりの「面白さ」について追及しすぎた結果、私はだいぶ、こじらせてしまっていた時期があったように思う。

自分が「面白い」と思う人が白
自分が「面白くない」と思う人は黒
勝手に色分けして、黒のレッテルを貼った人たちを傷つけたことを思い出すともう、申し訳なさしか今はない。

「面白そうに見えて、面白くない」
「面白くなさそうに見えて、面白い」

みたいなあいまいなグレーを私は受け入れられなかった。「面白さ」の白を追求することが、一時期、私の絶対的な正義だった。結局、そんな自分自身はNSCにも入らず、芸人にもなれなかったくせに。

そんな私は、きっと、多くの出会ってきた人たちにとって「面白そうで、面白くない」グレーか、はたまた「全く面白くない」黒の存在だったのだと思う。自分が精一杯、白であろうとしていただけで、実際、自分自身がどこまでもグレーで黒な存在だったのだ。

私がこの「完璧主義」を発動してしまったのは、何もここに書いた「面白さ」だけではない。他にもたくさん「完璧主義」を発動して、けど、最終的にたどりついたのは、自分自身の「完璧主義」も、結局のところあいまいで、不確かで、完全たる姿かたち、つまり真っ白にはならない。ということ。

受け入れたいけど、受け入れられなくて
受け入れられないけど、受け入れて生きてみたくて
どう考えてもしんどくて堂々巡りを繰り返している中で

「面白そうに見えて、面白くない、けど一緒にいるのが楽しい。」
「面白くなさそうに見えて、面白い、けど面白くない部分も好き。」

そうやって自分の不完全な「完璧主義」まで含めて、ありのままを受け入れてくれた周りの友人たちに、何度自分が救われたかは計り知れない。とそう思う。改めて感謝している。

そうやってだいぶ、まだ完全ではないけれど
「あいまい」であることの意義みたいなものも最近わかってきた気がしている。

白でもなく、黒だとも言い切れない、あいまいなグレー

よくよく考えれば、世の中に白か黒とはっきりしているもののほうが少ないのだ。だからこそ人は、そのあいまいさを確かなものにしようと、幅広く文化や科学を発達させてきた。

けれどその不完全なあいまいさ、を、あいまいな不完全なままに受け入れる。

それもきっとすごく重要で、意外と私にとっては一番難しくて、でも私が今一番身に付けたい、やさしさなんだろうなと思ったりもする。

不完全で、あいまいな、白でもなく、黒でもないグレー。

それをまるっと受け入れるというやさしさ。そのグレーのやさしさをもう少し身にまとって生きていきたいとそう思っている今日この頃。

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