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【読書】シェアハピしながら生きてく『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ/kemio著』

私が著者であるkemioさんと出会ったのは、ちょうど世の中が絶賛コロナ化だったとき。とある動画を観てから、超絶ファンになってしまった。

シンプルにこの動画を観て、感動して泣いた。
ちな、この動画は、著者自身がコロナ化で終わりの見えない自宅待機期間に疑問を抱いて、その様子を、18年間塔の中に閉じ込められていたという映画のヒロイン「ラプンツェル」として風刺して、けれど、例え的には合ってるけど「普通に考えて、塔の中にあんなに長期間ぶちこめられているのにあの美貌とあの歌声ってやばみじゃない?」という観点で視聴者にシェアハピしたという動画だ。

普通に、共感しすぎてやばみだった。
その底抜けの明るすぎるメッセージに久しぶりに爆笑しながら泣いてた。

その当時って、「おうち時間の過ごし方」って積極的にいろんな人の意見がSNSで発信されてた時代だと思うけれど
どちらかというと、「私はこんな素敵なおうち時間過ごしてますよ~。」みたいな本当かどうか定かではない、明らかに虚構の幸せが演出されていたりとか

「せっかくこんなおうちにいれる時間なんてないから、その間を無駄にせず、自己研鑽とか、自分が今までやれなかったこととか、見つめる機会にしましょう。」的な、あくまでその時間を効率的に、生産性高く、有効に使いましょう的な、そうできなかった人は負け犬レッテルが貼られてしまう系の弱肉強食主義的な発信が多かったのではないか。


と私は思っていて(あくまで個人の見解)、けれど、そんな中で普通に「私光合成できてなくて、病みまくりなんです。」って、めちゃくちゃオープンにありのままを発信する著者の姿に、私は冗談抜きで心から救われたのだと思っている。

そんな一瞬で虜になってしまった著者の本を読んだ。

やっぱり私は著者が好きすぎてやばみだと思ったし
これだけSNSがあくまで、素の自分とはかけ離れて「作られている」コンテンツになりまくっている世の中で、ありのままで生きて、ありのままの言葉でしゃべって、誰かのハッピーにありのままで貢献できてるっていう著者の人生どない?って誰かに問いたくなるくらいに素敵な生き方だと思った。

なにかやる前ってね絶対に不安なの。不安は必須アクセサリー。一生取れません。だから割り切って進むしかない。

本書より引用

目の前にあることが将来必要になるか必要にならないかって、目の前にあるときはわからないの。・・・「やるべきことを見極める」なんて永遠に無理。自分にそぐわないなってことをやらないでいて、もし将来「やば、必要だったわ」ってコンテンツにぶつかっちゃったら「じゃあ今からこれやろ」って思えばいいだけじゃないかな。・・・自分が「昔やったこと」「やらなかったこと」については、今の私が責任持ってれば大丈夫。

本書より引用

ブラックなところに勤めてて、働いてもお金がなーいってときは、もう転職しちゃえー!!なんか最低2~3年はいるべきみたいな意見あるけど。。その意見を言ってる人って代わりに家賃払ってくれるわけじゃないし、無駄なアドバイスを聞いてる時間に時給は発生しないし、さっと自分で決めて給料発生する時間多めに過ごしたほうがいいと思う。・・・お金ってすべてじゃないというか、後からついてくるものだとも思ってる。お金は後回しにして好きなこと一生懸命やってたら、ついてくる。お金を追うんじゃなくて、お金に追わせたいの。

本書より引用

普通に考えて、こういうメッセージってやっぱり、著者自身がそれだけたくさんのチャレンジをしてきたからこそ、信ぴょう性があるのであって、実際、著者は、大きなチャレンジとして、アメリカ留学に行く際、もろもろの初期費用全部払ったら、あと残金10万円からスタートしたらしい。

そういう人の功績的なものって、受け止めている側は、自分にはできないとか、無理ってそうやって、まるで自分とはかけ離れた位置においてしまう美学になりがちだけど、そこで著者はこんな言葉を投げかける。

自分のことを自分がいちばん信じてあげて、しっくりこない常識には中指立てて、棺桶までのランウェイをみんなで最高の戦いにしていこ!
一緒に病んで、一緒に戦おう。ウチらずっと戦友だよ。

本書より引用

「一緒に戦おう」とか「一緒に頑張ろう」って言葉は気軽に言えるけど、「一緒に病んで」って言葉を使える人って、いわゆる芸能人とか、youtuberとか、華々しい世界にいる人たちにおいてはだいぶ稀有な存在なのではないかと思う。

ほとんどの場合、積み上げてきた先にある結果とか、そういうものがキャプションされて、その過程で「病んでたよ」って、てか今も「病んでるよ」って、現状のままでシェアする人はめちゃくちゃ少ないと私は思っていて

だからこそ、著者に多くの人が惹きつけられる魅力になっているのだろうなとシンプルに感じた。

あと素敵だなと思ったのは、著者が「ゲイ」であるという観点から、恋愛について記述していた箇所。

公表してなかったのにはわけがあって、わけというか「どっちもいけたら面白いのに」「そこを使って仕事しよう」とかっていろんな人から言われて嫌だったから。絶対言わねー!!とそのとき強く思った。私はセクシャリティをお金に換える気はなかったし、人に面白がられる意味もわからなかったし、自分の中にだけあればいいものだと思ってた。それでお仕事がなくなるならどうぞなくなってくださいって。もちろんみんなの前に立って堂々と主張するのも、それを個性にして活躍するのも、素晴らしいことだと思う。でも私は違ったの。あと、そういうのを大々的に報告しなくてはいけない時代ではもうないとも思ってた。

本書より引用

世の中みんな恋愛戦闘態勢に入りすぎ。・・・広告とかで「非リアの皆さん」みたいなメッセージとかあるけど、なんで恋してないウチらが負けたみたいなノリで世間にさらされてんの?って感じだし、恋愛って愛を深め合うものだし勝ち負けじゃねーかんな?って思う!勝手に勝ち負けゲームに乗せて、勝手に敗北扱いするんじゃないよ。

本書より引用

恋愛とは関係なく、スキンシップする相手がいてもいいんじゃねと思ってるのが私、kemioです。結論として、人間、全員ムラムラしてる。でもそれは本能だから悪いことじゃないの。性欲を隠すのも、オープンにするのも自由だと思う。男でも、女でも。

本書より引用

世の中、LGBTの問題とか、恋愛しない若者問題とか、それによってどんどん進む少子化の問題とか、たくさんあるけど
そういう問題に「私たちは取り組んでます!」みたいなキャッチコピーを掲げて、いいことをしているようで、だけど実際は、そこがただ単に商品化、商用化されているだけになってて、それによってますます偏見だけ助長してしまっているケースって、世の中にたくさんあると思っている私。

そこにここぞとばかりに中指立てて
そういう部分を仕事にしないって
本来、恋愛とか愛って、もっと本能的な、根源的なものだよって主張してる著者の考え方に共感の嵐だった。


本を読んで、またこれからも著者の生き方とか、考え方をキャッチアップするために、シャワーのようにがんがん浴びていきたいと思ったし、同年代という事実にあやかって、著者と同じバイブスでできる限り生きていきたいと思うばかりの一冊だった。

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