【29歳無職日記】眠りの罪悪感
2024年8月6日
8月に入り、友との旅行や、祖母の家訪問を終えて、自分の家での時間が増えた。少し落ち着いたからと言えるのだろうか。
毎日とりあえず、眠い。驚くほどに、眠い。
無職の私には、仕事という妨げがないため、眠気に素直に従って、自分の好きなだけ眠っている。
昨日だったか、夜10時前くらいに読書をしながら気づいたら眠っていて、朝起きたら7時で、けどまだ足りないような気がして、二度寝したら、午前10時過ぎだった。そして、また夕方に眠気に襲われて、2時間くらい、昼寝した。
恐るべし、自分の睡眠力。
もともと睡眠を長くとる方の人間であることは自覚していたけれど、制限がないと、ここまで眠ってしまうとは、、、。よくない、よくない。気を付けなければ。せっかくの時間がもったいない。
と、長時間睡眠の自分に、いつものように罪悪感を持ったところで、ふと思った。
なぜ、私は自分自身の身体が必要と判断した睡眠をとっているだけなのに、罪悪感を抱いているのだろう。と。
毎度よく眠ったあとにいつだって、頭の中に訪れるこのモヤっとした感情。
別に誰に怒られるわけでもないのに、自分の勝手なのに。
長く寝てしまう自分=だらしがない。
みたいな考え方が加速して、さらに罪悪感が募ってしまう。
このよくわからない罪悪感について、今ちゃんと自分自身で明らかにしておかないと、今後に何かと影響がある気がしてきたので、今日は自分の睡眠史を振り返りながら、この罪悪感の原因を突き止め、今後の睡眠への向き合い方について、考察しておこうと思う。
寝ないと生きていけない私
考察するにあたって、まずは自分の睡眠の特徴について、あくまで自分の主観的な解釈にはなるが、最初に定義しておこうと思う。
29年間生きてきて、だいたい自分に必要な睡眠の加減というのがやっとつかめてきた。おそらく私は、世間一般的にみても長い睡眠を必要とする生き物なのだと思う。最低でも8時間以上、10時間未満くらいがベストなのではないかと感じている。それよりも短い時間の睡眠になると極端に日中のパフォーマンスが落ちる。コーヒーを手にしていないと昼間眠気でどうしようもなくなったり、無性にイライラしたり、集中力がなくなって注意散漫になったり。
私は、少しHSP(Highly Sensitive Person)気質もあるらしく、外的ストレスの有無も睡眠時間に密接に関係してくる。慣れない環境での活動だったり、イライラしているとか、怒りっぽいとかそういうマイナスなオーラをぷんぷんに放っている人と強制的に同じ環境にいることを強いられると、その分、必要な睡眠時間は増加するらしい。ひどいときで14時間くらいぶっ通しで眠り続けた一日だってあった。
それに、私は朝が極端に弱い。目が覚めて起き上がるまでにだいたい毎日30分くらいはかかる。そんな私のアラームは5分単位、スヌーズだってガンガンに鳴らす。でないと普通に起きれない。起きて活動をはじめたとして、例えば、勉強するときも、仕事をするときも、だいたいエンジンがかかるのは昼から夜にかけてである。
この朝起きれない問題には低血圧も関係しているらしい。
一度、健康診断で「まるで死人のような血圧ですね。」と言われた看護師さんに、「朝起きるの大変ですよね。」って言われたときには、なんだか理解してもらえてうれしいような悲しいような複雑な気持ちになった。
生きづらかった私の睡眠の歴史
この自分で導き出した自身の睡眠の特徴に基づいて、ふと沸き出てくる罪悪感の原因を突き止めるために、改めて自分の睡眠の歴史を振り返ってみることにする。
高校生の頃、進学校でそれなりに勉強しないといけない学校へ入学し、部活だってバリバリに運動部に所属し、毎日、学問に、部活動に、睡眠を削りながらそれなりに一生懸命頑張っていた私。
削られた睡眠時間を取り戻そうと、眠気はいつだって突然に、自分では対処できないくらいに過剰に襲ってきて、どうしようもないので、私は半強制的にそれを苦手な教科の授業(特に数学・理科)で補うこととなってしまっていた。もちろん、授業中の居眠りをしていたのは私だけではない。けど、私の居眠りは異常に目立った。口を閉じることができないせいか、寝息が大きいのだ。というかもはやいびきをかいてしまう。悲しきかな、自分でかいてしまっているということに気づけない。だいたい先生に頭を叩かれて怒られながら起こされるか、横に座っている男子に笑われながら肩を叩かれて起こされるかを繰り返していた。いびきをかいて目立ってしまったがゆえに、私は人一倍よく怒られたり、笑われたりしてしまい、その度に耐えがたい罪悪感と羞恥心に苛まれていた。
私だって眠りたくて眠っているわけじゃない。「文武両道」そうかかげられた校訓通りに、一生懸命注力しているだけなのに。普通に悲しくてつらかった。
家でどうしても終わらせないといけない課題があるときだって同様だ。
どんなに意欲的に課題に取り組む姿勢を自分自身で見せたつもりでも、いつのまにか眠ってしまう。何度も何度も、開いた口からこぼれおちたよだれで課題を濡らした。
その度に、また、授業中に怒られたことを思い出して、自分のだらしなさに途方に暮れた。
社会人になってからが、もっと大変だったように思う。
午後出社のシフトが主となる最終職歴に転職するまで、私の出社時間は基本的に8時~8時半の間だった。となると、起床時間はだいたい7時。
7時に起きるとして、6時半から私は目覚ましを鳴らしはじめる。5分ごとに、そして、スヌーズも何度も。そうやって頑張って身体を起こして、タバコやら、ブラックコーヒーやら、エナジードリンクの力を利用して、とにかく朝型の仕事ルーティンに自分を合わせようと必死だった。幸い、仕事中に居眠りして怒られるなんてことはなかったけれど、一番つらかったのは、繁忙期だったり、仕事が思ったよりうまく進まなかった日の夜だ。
次の日の仕事のことを考えて眠れない。悲しいことにそういう日に限って、もともと夜型の習性もあいまってか、頭のエンジンが目まぐるしくかかる。
ときに携帯で仕事のメールを確認したり、googleカレンダーを確認したりしながら、さらに眠れなくなる。そして、数時間経って、そもそも今寝たら、私は果たして起きることができるのだろうかとさらに不安になって、また眠れなくなる。最終段階は、そうやっていつのまにか眠っている間に、夢の中で気になっていた仕事を済ませてしまっていることだった。けど出社すると終わってない、みたいな事態になって、夢と現実の境目を浮遊していたときの自分は一番恐ろしかったことを覚えている。
そんな自分の横で、いわゆる朝型の、早く出社して、朝一からガンガン仕事して、効率よく、ほぼ定時に仕事を終わらせて帰る同僚を見ていると、死ぬほど自分が嫌になった。
なんて、自分はだらしないんだろう。私もショートスリーパーになりたかった。そんなことを思いながら、何度も自己嫌悪に陥ったことをよく覚えている。
こうして振り返ってみると、自分が、眠りに罪悪感を抱いてしまう原因がよくわかる。
学校とか会社とか、朝型の活動時間に無理に合わせようとして、合わない自分を責めていた。合わせられない自分が嫌で、合わせようと自分の睡眠を削っていた。
これが長期間に渡って続き、頭と身体に染みついてしまった結果、
たとえ休みだったとしても、無職だったとしても、いまだに、よく眠ってしまったあとに、妙な罪悪感を感じてしまうのだと思う。
自分の睡眠習性と向き合いながら生きる
自分の睡眠史を振り返ってみて、よく今まで頑張ってきたと、まず、自分に拍手を送りたい。
けど、これ以上むやみに罪悪感を感じながら、無理をするのはどう考えても自分を傷つけるだけなので、今後の自分の睡眠との向き合い方について、「しない」ことをここで決めておこうと思う。
・眠ったあとの罪悪感に打ちひしがれないこと
・眠いときは、無理せず、休むこと
・自分に外的ストレスを与える人とできる限り関わらないこと
・無理して朝型スタイル合わせようとしないこと
→できれば夜型で働ける仕事を探すなど
書いてみて、すっきり腑に落ちた気がする。
これからも、自分の睡眠とうまく付き合いながら生きていきたいと思う。
<おまけ>
ちなみにだけれど、最後に記述した、朝型、夜型スタイルは、ある診断をしたことで、分かったことなので、下記にリンクを貼っておく。
私はこれでオオカミ型と診断されたとき、最終職歴である、昼出社の夜10時くらいまで働くスタイルに変わっていたのだが、この働き方になって、そういえば朝のストレスとか、夜眠れないストレスとかから解放されていたことに気づくことができて、妙に納得したし、無理して朝型にしなくていいんだとほっと安心できた自分もいた。自分の睡眠パターンに悩んでいる人は、ぜひ試してみてほしい。