【読書】人文学について思うこと『彼岸の図書館ーぼくたちの「移住」のかたち/青木真兵・海青子著』
約10年ほど前、私はもれなく人文学、国際関係の学部に所属する大学生で、当時大好きだったゼミの先生の研究室に、暇なときによく訪れていた。
たしか、みんなが一斉に就職活動をはじめた時期だった気がする。
もちろん、もれなく私も行き詰って、とりあえず先生の研究室を訪れたときのことだった。
「先生は何で、ずっと研究して、大学で教えているんですか?」
「うーん。難しい質問だね。どうしてそんなこと聞くの?」
「だって、こういう文学とか、文系の研究みたいなものって、どんどん予算削られてきているじゃないですか。新設されていくのは、理系の学部ばっかりだし、今後どうするのかな~ってなんとなく気になって。」
「そうだね。削られてきてるよね。たしかに。」
「不安にはならないんですか?」
「不安ねぇ。不安になったとしてもしょうがないからね。強いて言うなら、ろうそくの火ではありたいと思っているかな。」
「ろうそくの火?」
「もちろん、今の世の中、こういった僕のような研究分野って、ある意味予算が削られて、厳しくなっている現状はあると思うよ。けれどそういう、○○とは。みたいな本来の意味を問うような文系の研究って、どんなに世の中が進歩しても、要所要所で必ず必要になると僕は思っているんだ。だから、どんなに消えそうになったとしても、それでもずっとそこを照らし続ける、ろうそくの火の存在みたいな立ち位置で、僕は続けていこうと思っているよ。」
「そうなんですね。」
約10年前、就職活動真っ盛りの実学頭の私にとっては、理解できない会話だったとその当時を思い出したけれど、今になってやっと、この本を読んでやっと、そのときの先生の言葉の意味を理解した気がした。
先生もきっと、この本に書いてあるように「人文学は非常時の学問」であることを根源に持った上で、研究を続けているのだとそんなことを思った。
普通に、就職活動で社会という場所に出会ってから約10年の月日が流れた中でよく、私がずっと悩んでいたことは
「どうして私は数字が苦手なんだろう。」
というコンプレックスについてだった。私はことごとく数字が苦手だ。
何なら、今でも急におつりの計算を求められたら、文明に頼る(電卓とか)しか解決方法がない。
「もっと数字から考えろ。」
働いてきた会社で何度も言われてきた記憶がある。何度言われようと、途中で放棄して、いつだって頼ってきたのは自分の直感だった。
「自分も理系に生まれていたら、もう少し楽にお金を稼げていなかもしれないな。」
怒られそうだけど、普通にそんなことをうらやんできた、ときにつらくて悲しい人生だったように思う。
けれど最近思うことは、引用箇所にも記載してあるように、そういった実学正義の世の中が揺らいできているということだ。
「お金お金お金」
どこを見渡しても「利益追求」を重んじてきた絶対正義の裏で、さまざまな社会のゆがみ、人のゆがみに出くわしてきた。
私がずっと羨ましがっていた、スティーブジョブズ的な、IT主義的な世界観も、AIの登場によっていささか様子が変化してきている。
そして一番は、コロナの時期、今まであたりまえだったさまざまな価値観が、いとも簡単に翻り、新たな形で再定義が進んでいる。
研究者でもない、新聞すら読まない私のような一般人でさえ
上記に挙げたような観点から、「緊急時」「先の見えない世の中」の気配を敏感に感じ取ってしまっている。
「『Think global, do local』その言葉を軸にあなたは生きなさい。きっとあなたは社会に出ても、よほど尊敬に値する人が周りにいない限り、会社を辞めるだろうから、迷ったらいつでも戻ってきなさい。」
最後の謝恩会で私に言ってくれた先生の言葉を思い出す。
そのときは、「そんなことあるわけない。」と半分バカにしていた節があったけれど、先生の言う通り、卒業後10年も経たないうちに私は4回も会社を辞めた。
2回くらい辞めた頃から、よく、先生の言葉を思い出すようになって、その度に先生に会いたくはなったけれど、まだ全然会える状態ではないような気がしていたから、自分なりに「Think global, do local」の言葉の意味を考えながら生きてきたように、そう思う。
まだ、本当の本当の意味では理解できていない気がしているので、まだ会いに行ける決心はついていないけれど、この本で読んで思い出したことをきっかけに、自分自身の学問をもう少し、探求してから、先生にいつか会いにいこうと思った。