【映画】私たちはたぶんきっとどこかで誰かとつながっている『街の上で/今泉力哉監督』@古湯映画祭
先日、父親がチケットをもっていたことがきっかけで古湯映画祭に行くことになった。
そして、人生ではじめての映画祭で、はじめて観た映画がこの『街の上で』だった。
前々からこの映画の存在自体は知っていて、でも、観るなら絶対にたった一人で、部屋の灯りを全部消した状態で布団に入って、寝転んだ状態で、スマホの小さな画面で、つらくてどうしようもなくて、全然眠れない夜に、絶対にまた眠れなくなるような状態で観たかったので、だから幸か不幸かありがたいことに私はまだこの映画を観たことがなかった。
私の希望に反して、映画祭という新しい環境でこの映画を観ることになったのだけれど、それはそれでとてもよかったなと思っている。
うれしいことにこの映画祭、前の席はなんでこんなにフカフカなんだろうとそのフカフカの正体の謎に迫りたくなるくらいに異様にフカフカなゴザ席があり、みな自由な態勢で映画を観ることができる。
映画がはじまって、館内が真っ暗になると、結構みんな寝っ転がっている。賢い人たちはクッション持参だ。私はその中で、日頃凝り固まった身体の柔軟体操をしたり、たまに寝っ転がったりしながら自由に映画を楽しんだ。
そんなみなが割と家で映画鑑賞をするに近い、リラックスしている状態で映画を観ているからなのか、映画のところどころのシーンで、無理に堪えることもなくみんなから自然な笑いが起きていて、その中で全然知らない人たちとリラックスして、一緒に笑いながらこの映画を楽しむことができたから、それがあって、私はこの映画祭でこの映画を観ることができてよかったなと思ったのだった。
そんな自然にみんなから笑いが起きてしまうほどに
めちゃくちゃ面白い映画だった。
でも別に、めちゃくちゃ万人受けするような、いわゆる大爆笑的な笑いではなくって、たぶん私が知っているところの笑いの種類でいうと、お笑いコンビずんの飯尾さんがゴロゴロしながら繰り広げる「現実逃避シリーズ」のネタの笑いに近い感じだなと思った。
具体的に言うなら、最初は「なんだこれ、本当に笑っていいのかな。」みたいなちょっとびっくりして恐る恐るの堪え笑いだったところが、観ていくうちに、視聴者側が自分の日々の日常と照らし合わせて「いや、これ普通におもろいやん。」みたいな感じで自然と自分の中から笑いが沸き出てきて、最後には普通に、自然に、無理することなく笑っていて、気づいたら幸せな気持ちになって、驚くほど癖になって、ファンになっている。みたいなかんじ。
もしかするとめちゃくちゃ失礼なことを言っているかもしれないけれど、なんだか私の中では、いいかんじにリンクして腑に落ちたかんじがした。
さらにまた、めちゃくちゃ失礼なことを言ってしまうのかもしれないけれど、昨今、さまざまな映画が上映されている中でこういう、ストーリーの中で、感情とか場面の起伏の波が少ないというか、はっきりとした起承転結感がうすいというか、ある意味、観る側がそこまで急激に感情が揺さぶられることを意図しているシーンが少ないというか、だからこそ、観る側も別に、いつ私の感情が揺さぶられるのだろうか。みたいなことを構えながら観ることを必要としない映画って、結構少ない気がしている(※あくまで個人的な感想です。)ので、そういう意味で、何か映画を観るときに、「この映画から何かを得なきゃ!」と構えながら観ることに疲れている人にとっては、とてもいい処方箋みたいな映画だなと思った。
けれど別に、これだけ多くの人に観られる映画として存在しているのだから、そういう感情を揺さぶられるシーンが全くないという訳ではなくって(ちなみに、私は上映中結構ずっと泣いてた。)、ある人にとっては、このシーンの主人公に共感して泣きましたとか、ある人にとっては、このシーンの主人公の元カノの発言がぐっと心に刺さりましたとか、そういう個別に、全員に刺さるわけではないけれど、誰かには刺さりそうみたいなシーンがたくさん散りばめられているかんじが、この映画の魅力だなと思った。
むしろたぶん、この映画を観て、そういう散りばめられた、感情揺さぶられポイントに一度も刺さらずに、映画を観終わることができた人って、逆にめちゃくちゃ幸せな人生を送っているんじゃないだろうかとか、勝手に思ってしまって、人が生きていく上での苦労とか、寂しさとか、孤独みたいなものにそっと寄り添ってくれる映画だと思った。
そして、私自身が、この映画を観て受け取った一番のメッセージは
「私たちはたぶんきっとどこかで誰かとつながっているよ。」
というものだった。
この映画を観た人ならきっとわかってもらえるかもしれないけれど、この映画に出てくる登場人物たちって、驚くほどに友達が少ない。
本人たちも、要所要所で「自分には友達がいない」的なことを実際に発言しているし、私が思うに、たぶん彼らを友達と認識している人たちはきっといるんだろうけど、本人たちはそれを友達と認識していない的な、友達だと認識して連絡を自分から取ろうとしても、結局のところ最終的には連絡できなくて、何年も経って、友達じゃなくなっている的な、そんな人たちのように私には見えた。
そういういわゆる、人間関係が苦手で、一人でいることをずっと好んで生きている彼らが、突然今日偶然たまたま出会った人とか、顔とか名前だけは知っていて、お互いの存在を認識してはいたけど話したことはなかった人とか、急に道で声をかけられた人とか、そういう見ず知らずの人たちとの出会いを通して、ちょっとずつお互いに少しずつ影響されていく姿とかシーンが、なぜかめちゃくちゃ心に刺さってしまって、気づいたら結構ずっと上映中要所要所で、私は泣いていた。
私は彼らとは逆で、割と友達が多いタイプの人間で、けれど、彼らと同じタイプの人間が友達に多いせいか、こちら側はめちゃくちゃ親友だと思っているのに、一向に全然向こうから連絡がこないので、結局、私から連絡をするしかなくて、私が連絡をしなければ基本、彼らとの関係は途絶えてしまうので、そういうときに、たまにちょっと孤独になりがちな、たぶん珍しいタイプの人間なのだけれど、そういう、さほど人間関係を築くことを苦にしない、むしろ積極的に取る方の人間であっても、逆に人との距離が近すぎる結果、結構孤独になってしまう瞬間とかはあったりするので、そういうときにもう一度観たいと思った映画だった。
結局のところ
人が生きていく上で、つらいこととか苦しいことはたくさんあって
それってなかなか誰にも相談できなくて
たぶん逆に相談する、したいと思う相手との距離が近ければ近いほど
うまく話せなかったりして
だからこそ自分でどうにかしなきゃって
そう思ってどんどん自分が孤独に思えてきて
その孤独から抜け出そうと
どうにかしてこの状況を解決しようと
例えば、有名な本を読んだりとか
日常とは異なる場所に一人で行ってみたりとか
そうやって解決の糸口を見つけようと
意図すれば意図するほど
逆にどんどん孤独になったりして
さらに人と関わることが嫌になって
寂しくなって
でもたぶんそんなときに
意外と全く意図していなかった状況で
全然見ず知らずの他人との出会いが
そういう苦しみとか悩みを
ふとした瞬間に解決してくれるものなのだから
そんなに毎日気張らなくていい
絶対に私たちはきっとどこかで誰かとつながっているのだから。
そんなメッセージを私はこの映画から受け取って
今度孤独を感じて、寂しくてどうしようもなく眠れない夜が来たら
部屋を真っ暗にして、布団に入って、スマホを開いて
今度こそ絶対に、自分が希望していた状態でこの映画を観ようと思った。