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「いい子」じゃなきゃそこに居られないから。
こんばんは!ラーメンは塩か醤油の二択で、最近は醤油がやや優勢、はるねずみです🍜
実は今、この連休を利用して地元へ帰省しています。と言っても、一泊二日の弾丸なのですが…
目的は、今年85歳になった祖父(と祖父母)、ついでに実父に顔を見せるためです。
日付が変わって昨日(9日)は祖父に会いに行き、今日(10日)は父と昼食を食べる約束をしています。
北海道はでっかいどうなので、帰省するには車で片道4~5時間の移動となります。なので、今日はお昼を食べたら祖父の家に野菜(祖父の畑で採れたもの)を取りに寄ってすぐ帰る予定です。
と、前置きが長くなりましたが、本題へ…!
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家族といると疲れてしまう
地元へ帰省、とか、実家へ帰るとか家族と食事…
そんな話題を聞くと、あたたかい気持ちになる人が多いと思います。
私も、人から聞く分には「いいね」「楽しみだね」「仲良いんだね」と、ほっこりした気持ちになります。
ただ、それが自分のこととなると話は別で…
私の場合、それらは基本的に全部「義務」でしかないんです。
18歳の頃、地元を離れて一人暮らしを始めてから33歳になった今に至るまで、「ホームシック」たるものに一度たりともなったことがありません。
「家族に会いたい」
「皆で食卓を囲みたい」
「元気にしているか気になる」
「声が聞きたい」
家族にたいして、そういうことを本心から思ったことが、恐らく一度もありません。
これは別にかっこつけているわけではなく、本当にそうなんです。そして、そんな自分を人と比べて、薄情で冷たい人間だとずっと思い続けています。
家族を大切に思うべき、定期的に連絡を取ったり会いに行ったりするべきだ。
世間一般の「家族」にたいする考えと、自分の考えがあまりにもかけ離れていて、周りの人と話していてもズレを感じずにいられませんでした。
だから、それを表面上だけでも少なくするために、自分の気持ちはさておき、「世間一般の人はこうするであろう」という考えのもと行動してきました。
でも、母でも父でも弟でも祖父母でも、会えばいつも必ず疲れてしまいます。
気を遣うというか、「家族と一緒にいるときの自分」を演じなければならないことに、ひどく神経をすり減らしてしまうんです。
母といるときには、母のことは何でも肯定し、母が喜ぶ反応を心がけ、明るく楽天的で悩みもなく、他の弟妹を気遣う長女として。
父といるときには、二十年以上も一緒に暮らせなかった月日を無理やり埋めるように、子どもの頃のままのように無邪気に、かつ物分りの良い娘を。
(父の中では私も弟も、当時の子ども時代のまま時が止まっているので)
弟といるときには、弟を立てるためにやはり楽天的でおちゃらけて、女らしさは捨ててぶっきらぼうな口調にし、わざとデリカシーのない発言もする。
(とにかく下手に出ることで、敵ではないという姿勢を見せる)
祖父母といるときには、なるべく当たり障りない会話をし、ガッカリさせるようなこと(今の私の状況など)は話さない。そして子どもっぽく。喜んでもらうために無理してでも沢山食べる。
なんというか…
家族と一緒に過ごした時期が短いせいもあるかもしれないのですが、家族の中で私はなぜか、いつまでも成長しない子どものように見られている気がしています。
そう思っているのは私だけかもしれないのですが、一緒にいるときにはそういう振る舞いが求められている気がして、真面目に本心を話すこと、感情を出すことが馬鹿らしく思えてしまい、頭の中は空っぽで悩みのひとつも無いような人間を演じてしまいます。
家族の誰も、私がこんなふうに、そんな自分がつらいと思っていること、カウンセリングに通っているなんてことは思いもしていないと思います。
そして仮にそれを話しても、心配されることはなく、馬鹿にされたり、お金の無駄だと言われたり、夫に迷惑をかけるなとか、世間的に見てどうだとか、そんなことを言われる気がします。
と、まぁ、これらはすべて私の「想像」にすぎないのですが……
とにかく、私は家族に会わなければならないとなったとき、会う前からものすごくストレスを感じてしまいます。
ただ、両親や弟妹はともかく、祖父はもう85歳で、これまでにも癌やその他の手術も何度も経験して、入退院を繰り返しているため、「来年は会いに来れるかな」と毎度不安になります。
だから、たとえ私自身の気持ちの問題で「今は会う余裕が無い」と思っていたとしても、やっぱり優先順位的には「会いに行かなきゃ」となります。
それで、今回も会いに来たのです。
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私が「いい子」だった頃
18歳で家を出るまで、褒められた記憶はあまりないですが、私は家族の中では「いい子」でした。
長女の私は大人しい性格で反抗期という反抗期もなく、趣味は読書で、部活に勉強に真面目に取り組んでいました。友達も少なかったので遊びに行くこともさほど多くなく、非行に走ることもありませんでした。
その結果、高校は地元で一番の進学校へ合格することができ、そのことは祖父母達からとても喜んでもらえました。
おそらく家族にとって、私の33年間の人生で一番「いい子」だったのはその頃がピークだったんだろうと思います。
それからは落ちぶれる一方でした。
(少なくとも家族の目から見れば)
期待されていることも、その期待に応えられない自分になってしまったことも、私には耐えがたいことでした。
「いい子」でない自分は「嫌われる」「がっかりされる」のが当たり前だと思っていたし、今でもそうです。
やりたいことがあるとか、夢や目標があるとか、そういう理由で頑張っていたのではなく、周り(家族や先生)の期待に応えたい、認められたいという気持ちが強かったです。
「いい子」だとか「偉い」とか「勉強ができる」「頑張り屋」「真面目」、そんなふうに言われれば言われるほど、そこから外れてしまう自分が不安で仕方ありませんでした。
だからやるしかなくて、ずっと頑張っていただけでした。
「いい子の箱」に入れるもの?
前回の記事でも若干ネタバレありで感想を話した『ダーマー』(Netflixオリジナル作品、実在の人物で殺人鬼のジェフリー・ダーマーをモデルにしたドラマ)の、第4話を見て、そんな自分のトラウマを重ね合わせていました。
第4話のタイトルは「いい子の箱」
主人公ジェフの父方の祖母の家には、大きくてしっかりとした作りの鍵付きの箱がありました。
その中に大切にしまわれていたのは、ジェフの父の子供の頃の写真たちでした。
何かの賞を撮ったときの記念写真とか、そんなものが沢山入っているのを、祖母はジェフに見せてくれました。
それらを見た後にジェフが、
「僕にもあったらいいのに。」
「箱に入れるような思い出があったらいいのにってこと。賞を貰ったことなんて一度もない。なんの取り柄もないんだ。」
と、さみしそうな、申し訳ないような表情でこぼすんですよね。
それを見て、私もつらくなりました。
何か特別なことがなければ。
他の人より優れていなければ。
家族に誇ってもらえる自分でいなければ。
そうでなければ愛してもらえない、大切だと思ってもらえないというのは、なんて寂しいんだろうと。
ジェフのこの場面では「写真」「思い出」に焦点が当てられていますが、これを「家族に誇りに思ってもらえるもの」と置き換えるとしたら、私なら何があるんだろう?と考えてしまいます。
高校までの私なら、きっとそれが「勉強」「トランペット」、あるいは幼少期なら父方の祖母から習っていた「民謡」だったかもしれません。
(民謡のコンクールでもらったトロフィーたちが、今も祖父の家の物置に眠っています。)
でも、それってもう十何年前、二十年以上前の話です。
私自身が「とても幸せだ」と感じられている今ですら、家族の目から見れば「何もない」んだと思います。
家族に誇ってもらえるものは何もない。
むしろ、社会に上手く溶け込めず、期待された通りの世渡りができなかった私は、誇りにするどころか、恥でしかないかもしれません。
今の私にはきっと、「いい子の箱」に入れてもらえるものなんて何もありません。
ジェフもやはり、父や祖母から「いい子」だと言われ続けて育っていました。自分の中に芽生える違和感を訴えようとしても聞き入れてもらえず、家族はそれから目をそらしていました。
無視されたジェフの違和感は孤独へ変わり、それが人知れずどんどん育っていって、いつしか本人でさえ手に負えないまでに成長してしまったんですね。
私の反抗期
先ほど「反抗期という反抗期はなかった」と書きましたが、一、二回だけ、反抗的な態度を取ったことがありました。
一回は母に。
高校生の頃、ネット掲示板だけが自分の居場所で、そこにしか友達を見つけられなかった私は、毎日のように掲示板で書き込みしたり、時にはネットの友達と通話をすることもありました。
原因がなんだったかは忘れてしまったのですが、ある時携帯料金が3万円くらいまでいってしまったことがあり、それで母に強く叱られました。
そして携帯を取り上げられた私は、それがどうしても嫌で泣き叫び、母の目の前でハサミか何かを手首に当てて脅しました。(切れてはおらず、少し跡がついた程度)
当時ワガママを言った記憶もほとんどなかったので、母はそんな私にかなり驚いていたように見えました。
二回目は、義父にたいして。
確か高校三年生の頃でした。それまではずっと怖くて、それに嫌いだったので、ほとんど口を聞かず、逆らうことなんてしてこなかったのですが…
もうすぐ家を出る日が近いということが、自分を強気にしていたんだと思います。
どういう経緯でそうなったかは思い出せないのですが、私は義父に、
「親らしいこと何もしてくれてないくせに」
と吐き捨てました。
すると義父は、
「誰が金(生活費や学費のこと)出してやったと思ってるんだ」
と返してきました。
当時高校生で、進学校で禁止されていたこともあり、バイトもしていなかった私は、親から毎月お小遣いももらい、当然生活や学校のことでも、経済的には十分親に依存していました。
だから、お金のことを引き合いに出されたら、それ以上は何も言えませんでした。
この二回の反抗は両方とも、私にとってすごく勇気のいることでした。
そういう態度や発言によって、ただでさえ肩身の狭い家の中で、居場所を完全に失くすことになりかねなかったからです。
それでもきっと、そうまでしてでも何かを強く訴えたかったんだと、今では思います。
ジェフも、一度や二度ではなく何度も、それとなく父親へSOSを出すというか、何か打ち明けようとしていました。気づいてほしそうにしていました。
そんなジェフと自分を重ねながら『ダーマー』を観ています。
人が離れていくのが怖い
第5話ではジェフが子どもの頃に考えた遊びが出てくるのですが、それも経験にもとづいて生まれたのであろうとので、すごくさみしいものでした。
基本のルールはシンプルなすごろくゲームで、マス目の上を各プレイヤーがサイコロの出目によってゴールに向かって進んで行くというものなのですが、一つだけ、ジェフ独自の特別ルールがありました。
それは、プレイヤー同士が同じマスにぴったり重なってしまうと、全員渦に飲み込まれて消えてしまうというものでした。
だから、「近づきすぎてはいけない」と。
人とどこかズレていて、気味悪がられたり距離を置かれてしまい、友達も恋人もできずいつも孤独だったジェフは、人と親しくなることが怖かったんだと思います。
初めはお互い浅くしか知らないから良くても、関係が深くなれば中身が見えてきて、すると相手は自分から離れていってしまう。
ジェフが殺す理由も、初めのうちはそうした理由からでした。
楽しい夜をともにして、それでも朝には帰ってしまい、また次いつ会えるかわからない。さみしい。言って欲しくない。だから離れてしまうくらいなら殺してしまおう。
そういう思考回路ですね。
私も、そこまで極端ではないにしろ、わからなくもありません。昔は私にもそんな時期がありました。
相手が帰ってしまうことが寂しくて不安で仕方なく、泣いて引き止めたりしていました。そんなことをすればするほど相手にとっては負担がかかるし、鬱陶しいと思われて、結果的に離れていってしまうんですけどね…
あるいは、「離れていってしまいそう」「嫌われたかもしれない」と思ったとき、それを感じた瞬間に自分から離れるパターンもあります。
事実がどうかは別として、そういう現実を受け止められる強さがなくて、逃げてしまうんですね。
こういう思考は今でも残っています。
カウンセリングでは、こういうものも「想像グセ」として、少しずつやめていけるようにと先生からアドバイスされました。
実際に目にしたことや聞いたことでないのなら、それは「想像」でしかない。
ひろゆきさん風に言うのなら、
「それってあなたの"想像"ですよね?」
みたいな感じでしょうか…🤣🤣笑
人からそんなふうにツッコまれたりすれば、その瞬間は自分を客観視できて、クスッと笑えるくらいなのですが…🤭笑
これが自分一人となるとなかなか難しくて…
「想像」と「現実」の線引きができなくなるんですよね。
そういう思考によって繰り出される私の発言や行動はよく、
「極端すぎる」
「ゼロか百か、だよね」
と言われます😂笑
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「いい子」は過去のもの
さて、だいぶ話が脱線しちゃいました…!
でもここまで話したこと、最近ずっと頭の中でぐるぐる考えていて、吐き出したかったことなので、話せて良かったです。
自分の本心を無視し続けていると「欲求不満」になるらしいです。
(それを説明するイラストも描いたのですが、pcの中にあるので、また今度載せます。)
それで結局何を話したかったかというと…
祖父母に会えて、嬉しかったです。
元気そうな顔が見れて安心しました!
ただ、やっぱり「いい子」を装わなければならないことは疲れました…
また、私の家族にはそれぞれ隠し事があり、口止めされていることも多いので、祖父母から他の家族のことを聞かれても、正直に答えられないことも多々あり、それもとても心苦しかったです。
でも、あと何年元気に生きられるかもわからないなら、あえて「知りたくないこと」を突きつけて、ガッカリさせたり心配させたりする必要が、果たしてあるのかどうかもわかりません。
知らないままの方が幸せなことも世の中たくさんあります。
偽善者みたいなことを言ってしまいますが、私が嘘をついたり隠すことで守れるなら、それでもいいのかと思うしかありません。
今日も家に入るなり仕事のことを聞かれ、正直に答えるも返答に困った表情で、それ以上聞かれることはなく…
「今の私」について話す時間は、お互いにとってただただ気まずいものでした。
祖父母は年齢のわりにはとても元気で、ボケたりはしていないのですが、会うたびに、中学や高校の頃の話をされます。
「あの頃は〇〇を頑張っていたね」
「偉かったね」
そんな風に褒めてもらえるもの「いい子の箱」に入っている私は「過去」にしか存在しないんだなと、今回も思い知らされました。
悲しくて、申し訳ないという気持ちと同じくらい、違和感や腹立たしさもありました。
世間的に見て立派なことをする、親戚のお兄さんのように、孫の顔を見せる、親孝行・祖父母孝行をする、家族仲良くするべきだ。
会話の端々からそうしたことを暗に求められている気がして…
(孫のことは実際言われ、父からも言われたことがあります。ただ、どうして私にそれ(子どもを産み育てるということ)を当たり前のように言えるのだろう?と疑問しかありません…)
どうしてそういうことだけは「普通の家庭」で育った人と同じようにできなきゃいけないんだろう。と思ってしまいました。
(言葉が思いつかず、あまり適切な言い方でなくて申し訳ありません…)
人と違った家庭で育っても、それでもなんとか表面上だけは「いい子」を取り繕い、期待に応える努力をしてきたつもりでした。
会うのがつらくても、その気持ちより優先して顔を見せに行き、話を合わせ続けてきました。
できることはしているのに…
それでもまだ足りなくて、もっともっと、私のつらさや寂しさなんて、まるで存在しなかったかのように、普通の人と同じように何でも当たり前にできないと、「いい子」だと認めてもらうことはきっとできないんだなって…
そんなふうに思ってしまいました。
本当に、会いにきたとことで、喜んでもらえて良かったという気持ちはあるのですが…
それでもやっぱり、一緒に過ごす時間の大半は、私も、そして私の夫までも「品定め」されているかのようで、苦痛を感じざるを得ませんでした。
会いに行くだけでは足りない。
自分の気持ちを押し殺すだけでは足りない。
私が遠くで元気にいるだけでなんて、到底足りるわけがない。
「いい子」でいるってすごく難しい。
でも、他人の評価の中で生きること、つまり「他人軸」では幸せにはなれない。
カウンセリングでも言われたことです。
でも、私のように、"自分の幸せ"と"自分が大切に思うべき人の幸せ"が対極にあるときは、どうしたらいいんでしょうね…
私は夫のおかげで「いい子」でい続けることをやめ、できない自分や自分のだめなところも認められるようになりました。そして少しずつですが、他人を許す心を持てるようにもなりました。
自分を苦しめていたものから抜け出して、幸せを感じられるようになってきました。
こういうことを、本当は家族にも、一緒に喜んでほしいと心の底では願ってしまいます。
*.゜。:+*.゜。:+*.゜。:+*.゜
いつもありがとうございます
かなり長くなってしまいました…!
そろそろ寝なくちゃ😂💦笑
最後までお読みいただきありがとうございました!
思いつくままに語り続け、後半は特に支離滅裂になってしまいました。
最近の記事はもう、人に読んでもらうための文章じゃなくなっちゃってますね。
でも、本当の気持ちを話せる場所(相手)が、夫やカウンセリング以外にもある(いる)ことも私にとってものすごく安心できるというか、必要に思うことなんです。
それにお付き合いいただいて、本当に本当に、ありがとうございます。
暗い記事が続いていますが、そのうち「おすすめのYouTubeチャンネル(お笑い系)」とか、バハムート(ハムスター)との日常とか、そういう軽い話題もお話しできれば!と思っています…!
てなわけで(!?)
また次回の記事でお会いしましょう(`・ω・´)
おやすみなさい🌙