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ASDのこだわりって辛いんだよ。


僕は特別支援を専門に大学にいます。以前、自分の障害の価値観を話そう!という授業がありました。

そこで、授業を受けている子達の発表を聞いてるうちに、障害と生きてきた経験を持つ当事者である僕と、知識として学んでいる彼らの間には、決定的な違いがある事にきづいたんです。


彼らは、障害の症状を机上で学んでいる。故に、自閉症のこだわりを勉強をすると、「これは別のことに有力に活かせるのではないか?」と思っている子がほとんどで、少し疎外感を感じてしまったんです。

まだ僕以外の彼らは、授業で英単語を学んでいる状況です。彼らが特支の教員になった時、別のことに生かすことがどれだけ難しいことは、おそらく気づくと思います。

でも、やはり僕からしたら「こだわり」ってすごく辛いんですよね。



理由


自分でも掌握できないから。前にも書いた通り、ASDのこだわりは、不安やイライラ、焦燥感が伴います。自分の意思とは無関係にその感情が発露する訳ですから、本当に辛い。(不安薬や抗うつ剤を飲まなければならないほど)

自閉症者は、好きで同じことを繰り返す訳ではない。同じことを繰り返すのは心の平穏を保つ為だと言うのは知っていると思いますが、感情にマイナスの揺らぎが生じる訳ですから、辛くない訳がありません。

これをポジティブな方向に活かすのは、自閉症者を法のない無秩序の世界に放り込むくらい危険な行為です。簡単に言えますが、無理に変えるのは本当にダメ!

こだわりは習慣ではなくて、不安をかき消すための防衛機構であるのは、覚えておいて欲しいなと思います。

伊達に症状として明記されている訳ではないんです!!!!

操られている感覚

さて、安心の為に同じことを繰り返していると僕は言いました。

自閉症の子が、部屋をぐるぐるまわっているとします。その時彼らは安心しているんでしょうか?それでもソワソワは残っているんでしょうか?


A、それでもソワソワしています。


やらないと落ち着かない。でもやっても完全に落ち着く訳ではありません。どこまで自分の意思が介入しているのかというと、


安心させよう、なんとかしなきゃ!と思うこと自体は、自分の意思です。

でも同じ行動を繰り返すこと自体には、自分の意思は介入していません。無意識と言うより、常同行動は不本意な行動なのです。


なので、これは活かせるぞ!と思うのではなく、まず安心する環境を作ることです。安心できたら、僕らは勝手に動きますよ。(多分)


マジもんの多動児を見たことがあります。彼らは興味のある対象物を見つけたときは、パーッと顔が明るくなるのですが、その対象物まで走って行く時は、とても辛そうでした。これは、ゆっくり動こうと言う自分の意思が、特性によって奪われてしまい、不本意に走り回ってしまう証拠です。

動き回っていて、楽しそうならそれは個性ですよ。でも、よく見てみて欲しいんですが、その動き回っている時に、辛そうな顔をしていませんか?辛そうな顔をしているのが、個性なんでしょうか?

同じことを繰り返していて、すごく楽しそうなら個性です。でも不安そうになっていたら、それは個性とは呼ばないかもしれない。


その特性を活かしたいなら、まず彼らが安心できるような状態や環境を作ることです。

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ASDの大学生 春野モカ 
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