休職中(在宅系フリーランス)③
30代は仕事面で恵まれることが多かったものの、パニック症を発症してからは、一般的に感じ得る程度の業務上のストレスにも、しばしば打ちのめされるようになった。
繁忙期は数か月間だらだらと続く業界であるため、慣れるまでは気を張り続けてしまったり、新規事業の立ち上げでは次々と想定外の業務が発生し、一つ慣れたころにはまた新しいことを覚えなくてはならなかった。
仕事を押し付けられるようなことは決してなかったが、むしろ「取引先に恩を返したい」気持ちと、「自身には仕事しかないのだから、出来るだけ多く学び成長したい」という気持ちが強く、自身の許容範囲を超えた業務量と内容を引き受けてしまっていた。
ついに休職せざるを得ない状況となったのは、慢性上咽頭炎と身体症状症(当時は上咽頭痛のみ)の発症が原因だった。*これらの発症は、家庭の問題・心身の不調・仕事の負荷が複雑に絡み合ってしまったことによるもの。
心身のコントロールが全く効かず、日常生活もままならなくなったのだが、仕事に至ってはPCのスクリーンを見るだけで上咽頭が腫れあがるような強い不快感と鈍い痛みがあり、無理をすると吐き気も出てきてしまうため、まずもって物理的に業務が出来ないという状態だった。
休職後も体調は悪化の一途を辿り、心身が限界を超え、最終的には心療内科に駆け込むこととなる。
服薬を開始してなんとか一般的な自宅療養並みの体調となり、3、4か月ほどの休職を経て一部業務に復帰したものの、やはり不調の大波が来るたびに休まざるを得なくなり、無力感と罪悪感に苛まれた。
まだ復帰には時期尚早だったと、改めて休職を願い出ようとしたタイミングで、取引先の吸収合併が決まったとの連絡を受けた。
その合併先でも業務委託契約をしてもらえることになったのだが、移行のごたごたで休職は一旦白紙となり、ほんの一部の業務を引き続き担当することになった。
"ほんの一部"でも業務を続けていくことは、頭の"ほんの一部"は常に緊張しているということであり、振り返るとこれは大きな判断ミスだった。
体調の波は徐々に減っていたものの、一度波打つとそれは結構な大波で、希死念慮ともまだ戦っていたため、家族には神経をすり減らすような心配をさせてしまった。
「やはりあの時、全ての荷を下ろして全力で休むべきだった。」
こう思えたのは、取引先が一向に進まない私の業務の進行具合を心配し、こちらでやりますよ、と引き継ぎ、実際に全ての荷を下ろさせてくれた瞬間だった。
心身共に驚くほど軽くなって、目の前も明るくなった気がした。
最後の最後まで「少しでも出来ることがあればやります」などと言ってしがみついていたが、今思えばそれも正常な判断と行動ではなかった。
自身の「唯一持てるもの=仕事」をし続けたい、ただそれだけの希望であるのに、心身がついて来なかった。
その苦悩の中でも、必死に前に進もうとしていた自分は、未熟だとは思うが嫌いではない。
自身は「他にも多くのことを持っている」と気づけた今は、これからの人生が楽しみになってきている。