イキらず生きる
私が通っていた高校は男子校だった。
高校に入学して間もない1年生の私はイキっていた。(今思うと女子もいない男子校でなぜイキっていたのか。そういうお年頃だったのだと思う)
ちなみにイキるの語源は「粋がる」だと言われているようだ。調子にのる。かっこいいと勘違いしているなどの意味がある。
要はイキっている奴とは気持ちの悪い奴ということだ。
どのようにイキっていたのかというと。鞄を肩にかけるように手で持ってみたり。第2ボタンを開けてみたり。先輩にタメ口を使ったり。校則を守らなかったり。等々
あの頃の私はそれがカッコ良いことだと勘違いしていた。
ところが、とある日を境に私はイキるのをやめた。
高校生活は部活で忙しかったため、遊ぶ時間が本当になかった。しかしごくたまーーーに休みを貰えた。そんな時は同級生とボーリングやカラオケをした。
あれは高校に入学して初めて友達と遊ぶ日。
学校も部活も休みだったのでみんなとは駅で待ち合わせ。各々が私服で集合した。それまで学ラン姿しか見たことがなかったので、友達の私服姿は新鮮だった。
7人程いたが、みんなの私服姿を見てふと思った。
「あれ? 俺の私服ダサくない?」
私が具体的にどんな服装をしていたのかまでは覚えていないが、自分の私服が友達と比較して強烈にダサいと感じたのは覚えている。
私の背筋に寒気が走った。
内面でイキった上に、外面の私服もダサい。 俺終わりじゃない?
とてつもない絶望感に駆られた。
とは言ってもどうしようもなかった。
自分の私服がダサいというのはわかった。
しかし何がオシャレで、何を着たら良いのかもわからなかった。何を着てもダサく感じてしまう。挙げ句の果てに自分で服を選ぶのが嫌になった。
高校生の頃は母親に「テキトーに服買っといて」とだけ伝えていた。
色々と考え抜いた私は確信した。私に服を選ぶセンスはない。ダサいのはどうしようもないことだ。と
服のセンスは先天的なもので後天的なものではないと思うことにした。
そしてその日から、私はイキるのをやめた。
外面がダサいのは良い。これはしょうがない。だったら内面くらいありのままの自分でいようと思った。イキらず。飾らず。そう考えた。
外面もダサく。その上に内面までもイキっていたら本当にどうしようもない奴だ。
ありのままの自分が友達に受け入れられないのだったらそれは仕方ない。私の私服がダサいことで離れる人間がいるならその程度の人間ということだ。
しかし私の周りから人が離れることはなかった。むしろありのままの自分でいようと決めてから、自然と人が集まってきた。
学級委員長をやってクラスの舵取りを担った。男子校の学級委員長は、それはそれは楽しいものだった。
いつの間にか、服がダサいという自分のマイナスなんてどうでも良くなった。
「センスはなくても良い。ただありのままの自分でいよう。」
イキらないことで「生きる」のがより一層楽しくなった。
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