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#犬のいる暮らし
犬の生活- 初日の出
犬には日の違いが分からなかった。自分の誕生日もクリスマスも、ましてや元旦であることなど、全く分からない。
良い日と悪い日はあった。ごくたまに、円筒形に組まれた肉や魚に生クリームやヨーグルトがかかったのを振る舞われることがあったし、自分のpack(群れ)がたくさん集まって、何とはなしに話したり音楽を聞いたり散歩をしたりする場に一緒にいられることがあった。そういう日の夜は、ぐっすり眠れたし、良い日だ
水元公園@葛飾区と「父親の骨は引き取れ」「ウンデッド・ニーの逆殺」
FBで知り合ったダグと初めて会った。彼の家のすぐ近くで。
詩人が「お腹空いた」と言うので、中華料理店に入った。直ぐにダグが来たので「You look exactly like your photo!」と言うと”Do I look worse than photos?!”と言う。
Damn to a mask! マスクのせい。
一緒に水元公園に行く。非常に広大で美しい公園。
かわいそうに、ダグの
私はママさんじゃないのですよと言って上の方に怒られる話
いつもの通りに朝、詩人と犬の散歩に出ると、掃除のおばさんが少し暗い顔をして、マンションのごみ取集所のところにおられる。
(我々は平日、敷地のとても狭い、縦に細長い都心のマンションに住んでいる。おばさんは、その限られた公共スペースと、約27戸から出されるゴミとリサイクリングの処理をしてくださっている。犬をとてもかわいがってくれて、「ウチのコになりなよ」といつも言ってくれる。)
「こんなのを出す人が
わたしがちいさかったときに
いわさきちひろさんの「わたしがちいさかったときに」を読ませてくれたのは母ではなく、亡くなったおばだった。
その瞬間まで「・・・をしていました」という文章の一覧があったように記憶する。
その中に
猫をなでていました
というのがあったことを憶えている。
三輪車に乗っていました
というのもあったように思う。
その当たり前すぎる日常…。
マンションの外に犬を連れだした時に、ぴかっと空が光ると
飛べない雀と、終わった後の世界にいるような感覚。自分との距離感。
スワンサワンというタイ料理屋の前に飛べない小さな雀がいた。
あれは30年も前になるだろうか、雀の子を育てたことがあった。山本山の缶に入れて「やまちゃん」という名前をつけて、数日ご飯をつぶしたのをあげていたら、ある日いなくなった。
YouTubeでも羽をケガしたヒナにピーナツバターをやって世話をしていた動画があったので、犬を家においてもう一度現場に向かう。小さな白い箱に入れて飛べるようになるまで
ブレたくない犬の苦悩。はっきり言って芋虫(虫嫌いの方は閲覧注意)
朝、犬にフードをやると、食べずに、深く考え出したのが分かりました。順番が違うのです。
先ず人間の食べた後のヨーグルトの器をなめてから朝食、なのです。
犬が勝手に自分の中で生み出した順番について、その意味を自らに問い正しながら、一方でブレてはならない…と苦悩しているのが、手に取るように分かります。
気の毒なので、じゃあ、ヨーグルト食べるね、と声をかけたのですが、その後、炊飯器の汚れが目に入り、そ
濡れた緞帳の日。佐々木信綱の歌。
まるでたっぷりと泥水を吸った緞帳に、覆われたような一日でした。
とにかく身体を動かして(字を書くのもその一部です)、アナログな歌友とのやり取りをし、郵送!!するため郵便局に行きます。
帰宅すると犬が腹を見せてくれます。最初は詩人に・・・。羨ましがっていると、こちらにも腹を見せてくれました。以前に腹も大体黒と、書きましたが、良く見ると白いブルマーを履いていました。ブルマーは犬の腿(もも)の内側に
犬のライフワーク。全身これ営業。
犬の散歩の目的は、ライフワークの完成です。それは自宅付近では、アントニ・ガウディのサグラダ・ファミリアのように、永久に終わらない猫mapの完成で、都心ではネズミmapの完成です。
犬は性格が良いので、人間にとってもそれは重要な目的だと考えているようです。それでいちいち報告してくれます。
人間の散歩の目的は、暇つぶしと地域散策、肩こり解消なのに、です。
この温度差を感じたのか何なのか、犬は最近
今日の言葉#3花序(inflorescence)。待つという贅沢。
人間も本来そうだった筈なのだが、犬というのは、見ていると、かなり完結した生き物だ。
犬であることに完全に満足していて、要求があるときの伝達方法も明確だ。
喉が渇いたのに水が無ければ、器を咥えてパンっ!と落とすし、私らが食べているものが食べたければ足元に来て「くれ」と言う。もらえる時ももらえない時もあるが、それゆえに恨む様子はなく(ぶーとは言う)、そのうちに諦めて眠る。
最近は(3月1日からこ