374.春と錯覚する秋の一瞬
自転車で朝のビジネス街を走る。
神谷町を抜け、虎ノ門を過ぎ、赤坂へたどり着く。
有数のビジネス街の朝は、スーツを着た人でごった返している。
風が涼しくて、自転車を漕ぐのが気持ちよかった。
秋だなという思いが溢れ、一方で日差しを受けると一瞬夏の感触がよぎって、まだその名残を肌で感じる。
その瞬間に、春だ、と不意に思うことがある。
四月ぐらいの、まだ暑くなる前ぐらいの季節感。
秋の始まりはたまに、春を感じさせる。
空気には匂いと感触があって、それで季節を無意識下で判断しているのだ。
僕の好きな季節は、季節の変わり目である。
時期を指定するなら初夏。
この季節も過ごしやすくて好きだけれど、冬の足音が聞こえ始めるともう一年が終わるという焦燥に駆られる。
日は昇るのが遅くなり、落ちるのが早くなってきた。
夏至が六月で今は十月だから、日照時間的には二月頃に近い。
何せ、二ヶ月後には冬至なのだ。
季節感がおかしくなる。
秋ってあったっけ?
と思うようになってから何年過ぎただろう。
単に冬までの過程なのでつい見逃しがちだけれど、秋はある。
今が秋なのだ。
葉が色づく、たった二、三週間のことを指すわけではない。
まだ葉は色づいていない。
それでも落ちている葉っぱの数は増えたように思う。
季節は進む。
秋がなくなったのではなく、秋の変化に気づかなかっただけなのだ。
日差しはもう熱くはない。
春のような柔らかさを感じる。
風はもう生ぬるくもない。
春先に近い冷えた空気を孕んでいる。
一瞬、錯覚する。
春ではないかという思いがよぎり、もうすぐ大好きな初夏が来るのでは、と。
季節は進む。
何度も訪れるが、戻ることはない。
気づいたら冬、が気づいたら一年、気づいたら三年、なのだ。
今を生きる。
今は秋で、冬がもうすぐで、二ヶ月後は冬至で、その後すぐに年が明ける。
この時間感覚を自分の中に落とし込んで理解すること。
そうじゃないと、錯覚しているうちに一日が過ぎて、一週間が過ぎて、次の季節になって、一年が終わっている。
そんな薄氷のような危機感を覚えた、清々しい秋の朝。
ただただ文章を書きたかっただけの、何でもない日常のお話。
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