選択のひとつひとつに、意志があることの美しさ
私はなぜ、これを選ぶのか。
日々の選択のひとつひとつに、能動的な意図や意志が反映されていること。
それってすごく大事なことだし、とっても美しいことだと思う。
日用品1つを選ぶ時だって、仕事をしてる時だってそう。
特に仕事なんて、「これは何のための作業なのか」ってことを常々認識していることが必要不可欠で、逆に言えば作業や工程のひとつひとつが必ず、“何かのための作業・工程”で、“意味のあること”でなくてはならない。
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当たり前のことなんだけど、それが崩れ気味なのが、今の現場だと思う。
「何の為なのかよく分からないけど、ルールだからやってる」
「本当は無駄な工程だと分かってるけど、いちいち変えるのが面倒くさい、言われたからやってる」
そういうことを、しかも集団で、受動的にダラダラと続けていることによる、タイムロスのすさまじさよ。。。心当たりがある人、割といると思う。
どこも人手不足の昨今、もう本当にそんなことをやってる場合じゃなくて、更にインボイス制度だの、業務を膨大に膨らませてくる厄介者が介入してきている中で、いかに無駄を削ぎ落とし、ポイントを押さえながらシンプルにしていくかは重要課題。
にも関わらず、旧来のドM根性で、旧来の枠組みの中で、表面をわちゃわちゃいじることにしか意識が向かない人たちがいる。
なんなら無駄なことはいつまでも続けるくせに、本来は重要なはずの部分を、なぜか真っ先に削ってしまったりする。
それが起こるのは、“深度”に対する認識が浅はかだから。
“なぜこれが必要なのか”
という問いかけを、怠っているから。
それは言い換えれば、“奥行きを見つめる”という姿勢が、失われつつあるということでもある。
表面的なものを求めるあまり、それは失われ続けてきた。
旧来の目的を忘れ、いつの間にかそれは表面を取り繕ったり体裁を保つことにすり替わって、色んなことが、あまりにも浅はかになっている。
無目的に惰性でやっていることやもう必要ない古いルール・または誰かたった1人の正義感や感情に従って回している部分。etc.…
本来であれば、そういったものを一旦見直して、話し合って、必要でないものは削ぎ落とし、再構築する必要がある。(というか再構築すら必要なく、ただ削れば効率が大幅にアップするであろうことってたくさんある)
既に表出しているものの奥には必ず「なぜ」があって、その根底には、そこに至る「理由」や「動機」が必ず存在する。
適切に無駄を削ぎ落としていくためには、そういった根本に対する理解と共有が必要で、そうやって、よりシンプルな方に、皆が楽になる方に向かっていけることが、今の時代の正解だと思う。
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