見出し画像

字が語ってくれたストーリー


書いていた手を止めて、ふと自分の字をみつめた。

昔に比べると、少しだけ丸くなったような字がそこにあった。


昔から字はほめられる方だった。
わたしの唯一の特技かもしれない。

「きれい!」「上手!」

ほめられること自体はとっても嬉しくて、もっと綺麗に書きたいと思った。

でも一方で、私は自分の字がちょっと嫌いだった。

わたしの字はなんていうかカクカクしてて、
それがなんだか気に入らなかった。

お行儀がよすぎたからかもしれない。

極めつけが、プリクラとの相性がすこぶる悪かった。
なんていうかその場にはそぐわないかのように、浮き出てみえて
なるべくわたしは字を担当しなかった。
(とはいっても進んで撮るタイプではなかったので、その経験自体少ないのだけど笑)

そんなこともあって、次第に丸みを意識し始めた。
字は心を映すから、なんてことを無意識に思っていたのかもしれない。

結局、自分の字体はあまり変わらなかったけれど。


最近、お箸の持ち方を新しくしようとしている中で、
ふと気づくと、鉛筆の持ち方も変化しようとしていることに気づいた。

(あれっ、こっちの方が優しくペンが持てる)

一番はじめの持ち方はもう記憶にないのだけど、
学生の頃、気づいたら鉛筆を力強く握りしめていることに気づいた。

今思うと、その頃から鉛筆だけじゃなくて
いろいろなものを力強く握りしめていたのかもしれない。

久しぶりに持ったペンの感触はなんだかとても柔らかくて
慣れてないからか字はいつもより歪んでいたけれど
いつもより優しい字が書けたような気がした

サラサラと動くその手がとても心地よかった


もしかしたら私は自分の字が嫌いだったわけではないのかもしれない。

どこか何かしら無理をして、気を張りすぎて

そして

〜でなければならないと無意識に自分を律し、

無意識にそんな自分がちょっと嫌だったのかもしれない。


、、、なんちゃって

考えすぎてしまうのがわたしの悪い癖でもある。

でもそこに気づいたら、昔の自分の字にも少し愛着が湧き始めた。

不器用な自分が一生懸命がんばろうとした勲章のようにもみえた。

(わたしの字、かっこいいじゃん!!)


そして、今、またあらたな自分が生まれようとしている

今度はもう少し肩肘はらずに書けるかな 過ごせるかな

なんてことを思いながら

今日もまたノートに筆をはしらせている。



おまけ

いつだったか、ある美術館で、
高校生の書道がずらりとならんでいるのを見た。

同じことばだったけれど、同じ字はひとつもなくて

上手/下手の概念がないとはこういうことか…!
と衝撃を受けた。

字にひとりひとりのストーリーがつまっていて
ただただ魅了された。

綺麗だと思った。

そういう体験もまた
自分の字を好きになれた要因のひとつかもしれない。

またひとつ

魔法にかけられた

そんな体験だった。




















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?