フリーマーケットでの出会い
以前もフリーマーケットの記事を書いたが、私には好きなマーケットがある。
それがRadschlägermarkt。
しかし、開催場所である花卉市場が改装される事になり、その結果このマーケットも今後は別の場所で開催されるとニュースで知った。
引越し前に、足を運んでみた。
引越しを知らせる案内。
男の子が大粒の涙を流す一枚の絵には、さようならの一言が。
会場は今まで以上の賑わい。
大好きな焼きソーセージを食べ納める。
今回のお目当ては、以前から欲しかったZiegenform。
これは、レンガを造る時に型を取るものだ。
無事に見つける事ができ、たまたまエリカの鉢植えが目に入ったので、あわせて購入した。
さて、特に欲しい物がなくとも、素敵な物に出会ってしまうのがフリーマーケット。
私もこの日、あるモノに出会ってしまった。
それは、四枚の絵。
柔らかい雰囲気に、まるで吸い寄せられるように絵に直進した。
一箇所にまとめて飾られ、よく見るとこれらは四季を表しているようで、その中の一枚が特に気に入った。
これはFrançoise Deberdtさんの作品で、彼女は今年の7月に亡くなったばかりだった。
彼女は日本でも個展を開いた事があり、和紙を使った作品を多く残している。
この作品も、厚手の和紙に描かれていた。
売主さんに話を聞いてみると、これはもともと義両親が1983年にケルンで開かれた個展を訪れた時、画廊から直接購入したものだそうだ。
そして売主さんは、この絵は四枚とも一緒に譲りたいと強くおっしゃった。
困った。
私の家に、これら全てを飾るスペースがあるだろうか。
この一枚の絵がとても好きだけれど、私には全ての絵を飾る場所を見つけられるかどうか分からないのですと素直に話すと、売主さんは私に当時の個展の案内と、一枚の紙を見せてくれた。
そこには画廊や画家の情報、絵の作成年と共に『オリジナル水彩画 四季-サイン付』と書かれている。
やはり、これは四季だった。
そのため売主さんは、一枚ではなく、どうしても四枚とも一緒に持っていて欲しいと言う。
そして、絵の値段を私に告げた。
私達は口を揃えて、それは一枚の値段ですね?と聞いてしまったが、しかしそれは四枚の値段として私に提示されたのだった。
それから売主さんは、その紙をひっくり返した。
それは請求書の裏側だったようで、表面には金額が書かれていた。
思わず怯んでしまったのは、その値段が、私が今までフリーマーケットで買った絵やレプリカのようなレベルではなかったからだ。
多くの場合、画家が亡くなると絵の価値は下がるというけれど、しかし売主さんが私に提示した値段は低すぎた。
絵を、もう一度じっくり見てみる。
柔らかい色使いと曲線。
和紙に描かれた絵は、温かい。
画家が亡くなった年に出会えた作品。
値段うんぬんではなく、私は純粋にこの絵が好きだ。
少し考えてからここに戻ってこようかと思ったが、私の脳裏に今までの後悔が蘇る。
購入を迷い、他のお店を見てからやっぱり買おうと戻った事が何度もあるが、いつも販売済だった。
今回は、最後のフリーマーケット。
お客も多い。
私が絵の前で悩んでいる間にも、この絵に興味を持った人が集まってきた。
もう後悔なんてしない!
私は、絵を買うことを決めた。
正真正銘の一目惚れだ。
少し離れた場所で、私の悩む様子を見ていた売主さんは、にこやかに私の側に戻ってきた。
この絵は、ようやく君の家の中に居場所を見つけられたようだね
絵は、私に買われるのではない。
絵が、私の家の中に居場所を見つけられたという表現に、私は不思議なほど惹かれてしまったのだ。
フリーマーケットは、ただの物品販売ではない。今までも同じような理由で、いくつか纏めて購入した事がある。
こうして私は、物だけでなく、それらを所有していた人の思い出も含めて、買わせて頂いているのだろう。
大きな物を買う予定はなかったので、財布にはお金がなく、カード払いもできなかった。
お金を取りに帰りますと伝えると、一緒に行った友達がある提案をしてくれた。
Paypal口座を通して支払ができるか掛け合ってくれ、全て手配してくれたのだ。
購入を決めてから売主さんと改めてお話をしたのだが、真っ先に私の出身地を聞かれた。
日本人だと答えると、彼はなんと日本語で返してきたので驚いてしまった。
二年ほど、日本に住んだ事があるそうだ。
奥様とご兄妹の三人でこのお店を出店していたが、皆さんとても親切だった。
この絵は和紙ですよね?と聞いてみると、彼らはそれが和紙である事も、この画家が今年亡くなった事もご存知なかった。
これはあなたの元に来るべき絵だったのでしょう、という温かい言葉と共に、丁寧に梱包した絵と、元の請求書一式を手渡して下さった。
この話には、続きがある。
友達がPaypalで支払ってくれた事により、奇しくも売主さんのお名前が判明した。
お名前を挙げるのは避けるが、後になって友達からその名を聞き、私は驚いた。
彼はデュッセルドルフ近郊に住んでおり、誰もが知る国際企業の重役をされていた。
日本への滞在は、CEOとしてだった。
そして、貧困に苦しむ国の子供達への援助活動を、ご夫婦揃って長年続けていらっしゃる。
これで、私の謎が解けたような気がした。
私は絵を購入できたことを嬉しいと喜びながらも、ある事を友達に相談していた。
なぜ義両親(奥様にとっては実のご両親)が長年大切にしていた絵、しかも画廊の請求書まである作品を、低価格で私に売ってしまうのだろう?
思い出として手元に置く必要もない程、これらの絵は価値のないものなのだろうか?
それとも、彼らは芸術に全く興味を持っておらず、持ち物を整理したいだけだろうか?
それとも節税対策?
どんなに親切そうな売主さんであっても、そんな失礼な事は流石に聞けない。
彼らの気持ちを理解できず、少しばかりの引っかかりを心に残し、私はこの絵を譲り受けたのだ。
しかし、彼らがどんな方か知り得たお陰で、ようやく腑に落ちた。
ここからは、私の勝手な推測だ。
彼らは元々、この絵で儲けを出そうとは思っていなかった。
私があの絵を一心に見つめる姿を見て、私が買おうとした一枚の値段で、四枚譲って下さったのではないだろうか。
彼らが長年続けている慈善活動。
私に対してはお金ではなく、絵という形でその好意が届けられたような気がしたのだ。
私達はその後、彼らの慈善団体に寄付をする事にした。
こうして私は、和紙を好んだフランス人画家Françoise Deberdtさんの作品を、彼女が亡くなった年に、日本に縁のある売主さんから譲り受けた。
私にとって画家と絵、そして売主さん、全てが思い出深い出会いだ。
この絵を購入後40年、亡くなるまでずっと手元に置いていた売主さんの義両親。
彼らも、個展で一目惚れをしたのだろうか。
この絵は長い間、彼らを温かく見守ってきただろう。
そして今度は、私を幸せにしてくれる。
出会った瞬間から、春、夏、秋、そして冬も。
この絵は、四季。
これまでも、そしてこの先もずっと、四枚一緒で在るべきだ。
最後に。
Françoise Deberdtさんのご冥福を、心よりお祈りします。
フリーマーケットの思い出
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