対立を、「対話」「関係性」でズラすヒント(あなたへの社会構成主義第6章)
ガーゲン著書の読書会を進めていく中で、最新刊が読み終わってしまったので、20年前の著書「あなたへの社会構成主義」を読み始めています。
これまでの読書会記録
📕関係からはじまる 読書会記録
📙何のためのテスト? 読書会記録
📗関係の世界へ
第6章は、これまでの章で学術的な理論で基礎固めをした上での、「実践」としてまずは対話にフォーカスし、「私たちはどうすればお互いに理解し合うことができるのか?」についていろんな側面で書かれていました。
まず前提として、「真実の解釈(あるいは普遍的な事実)」をもたらす方法はなく、自分自身や背景にある文化の偏見を抜け出さないといけないということ。
そのために、「意味は関係の中から生まれる」という考え方が提示されています。それは、自分1人では何の意味も立ち上がらず(行為)、相手がいて反応してくれる(補完)ことで初めて意味をなすということです。
解釈や理解というのは、他者の心の出来事をのぞき込むことではなく、あくまで「関係の中で」生まれてきます。特に「心」については、「関係からはじまる」の第3章が詳しかったです。
その上でどう対話をしていくのが良いのかについて、私はこれまで本章で紹介されているハーバーマスの考え方のように「公平に聞き、事情を考慮すれば、同意に至る」ことが理想だと思っていたのですが、それはあまりにも理念的であると述べられてます。
それに対し、「違いを認め、(同意は求めずに)正しく理解をしていく」という方向性(「たくさんの花が咲き乱れるがままにしておく」という表現)ではいけないのだろうか?と疑問が呈されていました。
何かコンフリクトが起きてる時、相手を非難する対話には、「他者の欠点を見つけることによって、自分と他者の間に壁を作り出している」と言います。そういった非難の語りではない、新たな捉え方のアイデアがいくつか書かれていました。
私が面白いと思ったものはこちらでした。色々と日常の会話に取り入れていけるヒントが散りばめられています。
「相手の態度・言葉が嫌だな…」と思った時、「この人の話し方はあの先生に似てる」「お父さんにそっくり」というように、その人が形成された際の他人(内なる他者)の影響なんだな、と思うことにする
喧嘩・議論の中で暴言をどちらかが吐いた時、それは相手のせいではなく、関係の中で生まれた問題行為は、「悪いのはお互い様だ」と思う
個人のストーリーを語る(自己表出)。ストーリーは、わかりやすく、共感が得やすく、受容されやすい(個人の経験や感じ方なので、間違ってるとは言いづらい)
言葉に陰影をつける。例えば、「憎しみ」は「緊張状態」という言葉に置き換えることで、敵意が和らぐこともある
これまでのさまざまな関係性から身につけた「多声性」によって、「本当に自分の考え・主張は正しいのか?」と自己内省をする
読書会で話したこと
「たくさんの花が咲き乱れるがままにしておく」は、平田オリザさんの「みんな違って、大変だ」という表現を思い出す。良い・悪いではなく、ただみんな違うだけ。でもそれを受け入れるのか拒否するのかの違い
「みんな違って、みんないい」だと、ただ閉ざされて蛸壺化されてしまう危険性も。みんな違う中で、どうやって一緒にやっていくか?を同時に成立させる試みなのかも
忙しすぎると対話の土台も作れない。「だめだ、話にならない」って諦めがち。忍耐力とやさしさが必要…
相手に受け入れる余地がないとどれだけ話しても無駄。何を話しても怒りたい人というのもいる
社会構成主義の考え方を受け入れられる人は少ないのかも…→できる時だけやる、で良いのでは?
#社会構成主義 #ナラティヴ #ナラティブ #対話 #コミュニケーション #読書 #読書記録 #読書感想文 #推薦図書 #読書会 #オンライン読書会 #ガーゲン #関係