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Happy Women's Map 岩手県葛巻町 自然食の伝道者 東城 百合子 女史 / Japan's Natural Food Evangelist, Ms. Yuriko Tojyo
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「人間の命と体は自然から頂いたもので、健康になるには自然の力に感謝し、自然に帰る生活をしなければならない」
"Human life and body are gifts from nature, and to attain health, we must be grateful for nature's power and live a life that returns to nature."
「手抜きは心抜きです。食べ物に対する感性といのちに対する感性はつながっているのです。」
"Taking shortcuts means taking away your heart. Sensitivity to food is connected to sensitivity to life itself."
東城 百合子 (本名:五来 百合子)女史
Ms. Yuriko Tojyo
1925 - 2020
岩手県葛巻町 生誕
Born in Kuzumaki, Iwate-ken
東城 百合子 女史は自然食運動の先駆者。戦後沖縄の健康運動を牽引、「あなたと健康社」を創始。
Ms. Yuriko Tojo is a pioneer of the natural food movement. She led the health movement in Okinawa after the war and founded the "Anata to Kenkosha" (Health Society for Women and Men).
「栄養学」
百合子は電気技師で村長を務める父・勝正一と母・きよのもと七人兄弟姉妹の次女として誕生。まもなく不慮の事故で左足を引きずって歩くようになります。「足の障害があっても心に障害があってはならぬ。人の為に生きる道を歩みなさい。」学校までの2kmの道のりを歩いて通います。教育熱心な両親のもと女学校を卒業すると、上京して佐伯矩博士が開いた世界初の栄養学校(現在の佐伯栄養専門学校)に入学。当時の病気治療の原則、高たんぱく高カロリーを推奨する栄養学を学んだ百合子は、日赤病院に栄養士として勤務します。
「結核」
2年目のある日、許婚の従兄弟が戦死すると、20歳の百合子は父母の猛反対を押し切って、千葉にある神学校に入学します。やがて日本がまだ復興していない大変な時期に百合子は突然結核になります。両親が土地を売り払ったお金で、当時アメリカでも最新の化学療法、ストレプトマイシン、パラアミノサリチル酸カルシウム水和物(PAS)(ニッパスカルシウム)などで治療に専念しますが、高熱・便秘・下痢・食欲不振さらには血便・血尿・呼吸困難で身動きが取れなくなってしまいます。そこに自然療法に詳しい知人の医者が駆け付けて、飲み薬を絶って玄米の重湯(玄米を炒って7倍の水で煮て裏ごしにかける)だけを飲むようすすめます。「自然はどうやって自分の体の中を支えて下さるのか考えなさい」
「玄米」
お腹の底からもりもり力が湧き上がるのを感じると、玄米を柔らかく炊いたものをよく噛んで食べ始めます。「死ぬか生きるかというときには栽培された野菜よりも、肥料も何もなくてもたくましく広がっていく野草を食べたらいい。」タンポポの根をきんぴらにして食べ始め、ユキノシタの青汁・ゲンノショウコとハブソウの実の煎じ薬などの野草、梅干し・たくあん・こんにゃく・海藻・ごま・大豆製品・野菜などの一汁一菜の食事で、百合子は生気を取り戻します。医者に絶対にふさがらないと言われていた肺の穴がふさがり、百合子は嬉しくてじっとしていられなくなって同じ様に苦しんでいる周りの人達に教えて周ります。
「大豆ミルク」
千葉の神学校に戻った百合子は、栄養士として勤務しながら栄養学を教えはじめます。やがて意気投合した同じ職場の食品工場の技術者・五来長利と結婚。同じころ、米国から来日した国際栄養研究所の所長で大豆ミルクの権威であるハリー・ホワイト・ミラー博士に感銘を受けます。そして、日本でいち早くコーラはじめアメリカ食が出回る沖縄に移住を決意、大豆ミルクの製造に取り掛かります。百合子は沖縄タイムズに直談判して「沖縄の食生活」を2日に渡って連載、琉球新報で夫・長利の記事の連載も始まり、沖縄全土の保健婦・主婦を集めた料理教室、機関誌の発行、講演活動、行政と連携した給食の献立づくり、と健康運動に励んで3年目。政治と関わるのは異端であるとして教会から破門されてしまいます。
「自然食」
夫・子供とともに東京に戻った百合子は月刊「栄養と健康」を発行。百合子は料理教室を開き、夫・五来は講演や執筆を担当します。2人三脚で健康運動が軌道に乗り始めた矢先、他の女性と新しい家庭をつくった夫に月刊誌と料理教室を譲って離婚。東城百合子として新しく「あなたと健康」を創刊します。手島郁郎また常岡一郎らを心の師と仰ぎながら4年目、倒産した夫の会社の始末をつけ、再発した結核を「ビワ葉温灸療法」で完治。「手抜きは心抜きです。食べ物に対する感性といのちに対する感性はつながっているのです。」料理教室、講演、執筆、海外の長寿村への視察などを通して自然食運動を推進しながら94歳で逝去。
-あなたと健康社
-「自然に生きる : 東城百合子の健康哲学」(東城百合子 著/地湧社1986年)
-「玄米菜食と健康料理 : 食卓からの健康改革」(東城百合子 著/池田書店1991)
-「食卓からの子育て : 丈夫で心豊かな子を育てる食事としつけ 自然に学ぶ
」(東城百合子 著/池田書店1989)
-「家庭でできる自然療法」(東城百合子/あなたと健康社1978年)
-「NHK人生読本 5」(NHK 編 / 日本放送出版協会1983年)
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