
自分にしか書けない文章
チューリップを見つけた。
駅前の小さな花屋の一角に小さな春が咲いていた。
(もうすぐ春なんだな)
そんなことを考えながら店を出た。
いつもならその余韻にひかれて、帰り道にある家々の花壇を見て歩いたり、空気の匂いを嗅いでみたり春探しするのだけど、この時はまるで自分の中の感受性に靄がかかったみたいに何も感じなかった。
心に余裕がない。
あれもしたいこれもしたい。これは今すべきかそれを先にやるべきか。頭が常にフル回転している。
僕は心の居場所を無くしていた。
自分らしくないな。
いつもなら好きなことややるべきことの中で優先順位をつけて落ち着いて集中して没頭できるのになぜか今はそうではない。
何をやっても中途半端だな、自分。
分かってはいるつもり。やることが多すぎると何をしたって中途半端になる。中途半端になると自己肯定感まで低下するからやっかいだ。
noteでもその他のことでも、人それぞれ自分の個性を花開かせ、生き生きと活動されて方が大勢いる。
(この人の才能にはかなわないな)なんて、そんなくだらないため息までついてしまっている自分がいる。
自分にしか書けない文章、自分にしか出せない色ってあるんだろうか。そもそも自分らしさって ?
ーーー
そんなことを考えていた折、久々に両親に会うことがあった。ひとしきり他愛もない話をした後、父がある紙をうれしそうに鞄から取り出し、それを僕に差し出した。
「これ、中学生の時に書いた作文やけど自分で覚えてるか ? これ見た時に感激したんや。たまたま家の整理してたら出て来てな。コピー渡すわ」
(コピーなんかい(笑))
どうやら原紙は父の宝物として手元に置いておきたいらしい。僕は幼き自分の作文を読みたくなった。
原稿用紙たった2枚分の紙にはこんな文章が書いてあった。
タイトル「夏」
3年2組 氏名 ○○ ○
「ミーンミンミンミーン」
これが、ぼくにとって初めて夏が来たなと思う瞬間である。夏は好きだけど、このやかましいセミの鳴き声を聞くとうんざりする。たぶんだいたいの人はそう思うだろう。ぼくが生まれたのは、その泣き声が聞こえて一ヶ月くらい過ぎた十五年前の日だ。その日もやっぱりセミは鳴いていたと思う。そう思うと、夏になるとギャーギャーと鳴く虫に妙に親近感がわいてくる。特にセミとは···。それは、セミは成虫になってから一週間くらいで死ぬ、というからだ。ぼくは今まで約五千五百日生きてきた。でもセミは地上で約七日間しか生きられない。たった一週間の間に何をして死んでいくんだろう。何か楽しいことでもあるんだろうか、そう思ったことがある。何もせずにただ木にしがみついて樹液を吸い続けて死んでいく。まるで人間の人生のように。成虫になるまで土の中でじっと我慢し、成虫になってやっと思いっきり鳴けると思ったらすぐに終わってしまう。セミはそれで死んでしまうけど人間はそれの繰り返しだと思う。ぼくが生まれた夏の真っただ中で努力することの大切さをセミが死ぬことで懸命に教えてくれた気がする。でも七月、八月はまさに人生の絶頂期のセミも九月になるといつしか声が聞こえなくなる。そして夏が終わる。人間もいつかそんな時が来る。いやでも来る。しかし人間はセミと違うところがある。それは感情があること。感情があるから思い出がたくさんある。それが死ぬ時にいい人生だったと思えるものだったらいいなと思う。こんなことをこんな年で考えるのは変かもしれないけど、とにかくこの夏をまだまだ終わらせたくない。
「読んでみてどうやった ? いいと思ったやろ ? 」
読み終わって、うんうんと一人頷く僕に母が聞く。
「いいかそうでないかは分からんけど、とりあえず自分らしい文章やなって思った。例えばさ、誰が書いたものか分からへん作文が10枚並べた状態で、『約20年前に自分が書いた作文を当ててみてください』って言われても確実に即答できる感じ。これは自分の感性そのものやわ。今も変わらんよ」
何も考えることなく、すらすらっとそんな言葉が口から出ていた。自分でも驚いた。
「自分らしいか、面白い感想やね」
「うん、自分にしか書けない文章やな、これは」
(自分にしか書けない文章···。そういうのって本当にあるんだ···)しかも長い歳月を経ても「自分色」は少しも色褪せていない。そのことに衝撃を受けた。
少しずつ自分の中の感受性がクリアになっていく。
そしてそれはますます鋭くなって当時の自分の姿まで呼び起こしてきたりなんかして、なぜかその頃の自分を抱きしめてやりたくなった。
心の居場所は今も昔も自分の中にいた。
ーーー
僕は心の中の荷物を捨てていくことにした。
自分にしか出せない色はきっとあるのだから、中途半端に表現するのはもったいない。
自分のやり方で自分のペースで。それでいい。
「こんなこと思われないかな」
そんなことだって考えなくていい。好きなものは好きなのだ。好きは人と比べるものでもないし比べられるものでもない、本来、誰にも邪魔されない自由なものなのだ。
「自分らしさ」って多くの中で咲く花に似ている。
時には自分の抱えられる限界まで来た水を花瓶から捨てて茎の端を切り落とし、空っぽの花瓶にする。
そしてそこにまた新しい水を注いでやり、他の花と似ているようで似ていない花を咲くべき時に咲かす。そんな花はいつも瑞々しい。
今、僕が目指すもの。目指すべきもの。
それは「現状維持+@」だ。
現状維持ってネガティブな言葉として使われがちだけど、決してそうではないと思っている。
いい意味で今身を置く場所にいる自分を認め、自分らしさに愛おしさを感じ、周囲へ感謝すること。
そしてそこからほんの少し背伸びをして自分自身を少しずつ少しずつ育てていく。
人間に感情があるのと同様、セミを含めありとあらゆるものに生命としての感情があると考えられるようになったのはこの20年間の背伸びのおかげだ。
自分にしか書けない文章、自分にしか出せない色は必ずある。誰かに向けて書くのも良し、自分の中の想いを大切に紡いでいくも良し、文章の巧みさに少しの違いはあれど、個性に優劣は決してない。
世界は思っている以上に個性で溢れている。
自由な世界。カラフルな世界。そして透明な世界。
さぁ、明日は「春探し」にでも出かけようか。
子供の頃の自分に戻ったみたいな純粋さ持参で。
いいなと思ったら応援しよう!
