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天国からのクリスマスプレゼント

仕事からの帰り道、最寄り駅の改札を抜けると大きなクリスマスツリーが立っていた。
真っ白な木に青の電飾がよく映えている。

「もうそんな時期か」
僕はそう小さく呟き、ため息をついた。

クリスマスが近づくとともに切ない気持ちを抱くようになったのは今年が初めてだ。
街を彩る華やかなイルミネーションの下を歩きながら、僕は何だか遠い世界の夢を見ているような不思議な気持ちに陥った。

昨年のクリスマス前、近所に小さなケーキ屋を見つけた。今風のお洒落な雰囲気というより、落ち着いたレトロな佇まいの店だった。
僕は傘を差しながらおそるおそる入ってみた。

「いらっしゃいませ」
そう言って奥から出てきたのは年配の女性だった。
この人が若い頃からこの店はあったのだろうか。

「こんにちは。クリスマスケーキは売ってますか ?」
「もう売り切れちゃったよ。見ての通り、小さな店だから元々たくさんは売ってなくてね。後はここに並んでるショートケーキだけだね」

僕と同じような地元の人が買いに来たのだろう。
ケーキを買ってもらう子どもの笑顔が脳裏に浮かび、自然と笑みがこぼれてきた。

「じゃあこのチーズケーキ2つください。犬と2人暮らしなんでこれくらいのサイズがむしろちょうどいいんです」

チーズケーキの2つ目はもちろんクリスマスの翌朝に食べる自分用。
楽しみは多い方がいいに決まっている。人生の楽しみの1/3は美味しいものを食べることでできている。

「チーズケーキ、最後の2つだよ。お兄ちゃん、ラッキーだね。ワンちゃんは何才なんだい ? 」
「ちょうど10才になります。でも10才とは思えないほどやんちゃでお転婆で、手を焼いています」
「ほう、10才になるんだねぇ。その感じだとまだまだ元気で生きていけそうだね」

おばあさんとの会話は思いの外弾んだ。
おばあさんも昔、猫を飼っていたという。
もう何十年も前のことなのに未だに当時のことを鮮明に覚えているらしい。

「私が飼っていた猫は逆に臆病で大人しくてね。でも優しい子だったよ。子猫の時から飼っていたから随分長く一緒に暮らしてたんだけど、最後は病気になっちゃってね。かわいそうだったよ。でも最後はやれることは全部やったから、辛い反面、心残りはそれほどなかったんだよ」

病気かぁ。生き物である以上、仕方のないことだけど、そういうお別れだけはしたくない。
今10才だからあと5年は一緒にいられるだろうな。
でももし本当にお別れの時が来たら···。
それ以上は考えることはやめた。

せっかく一緒に今年もクリスマスを過ごせるんだから、もっとハッピーな気持ちになろう。
このおばあさんのように心残りのないお別れもあるんだ。そう思うと気分が明るくなった。

「いい店ですね。今まで知らなかったんですけど、また来年来ますね」
「いつでも来てくれたらいいよ。いつまで私が現役でいられるか分からないけどね」

笑顔で話す冗談を聞きながら店の扉を開けようとした時、忘れていた大事なことに気づいた。

「あ、すいません ! 小さなろうそく11本もらえますか ? 」「11本 ? 」
「はい、来年も何事もなく11才になった愛犬とクリスマスを迎えられることを願って」
「なるほどね、了解了解。お兄ちゃん、きっと叶うよ。また来てちょうだい」

店を出ると雨はやんでいた。
雨上がりって何だか気分がいい。
素敵なケーキも買えたし、今日は何かついてるな。
犬用のケーキも既に買ってあるし、100均で買った小さな装飾も家に飾りつけた。
何ならお正月に飾る翌年干支の人形まで置いた。
2人で迎えるパーティーの準備は万全だ。

迎えたクリスマス当日。
部屋の電気を消してショートサイズのチーズケーキに無理矢理に11本の小さなろうそくを立てて火を灯すと、いつもと違う雰囲気にテンションが上がったのか、愛犬が僕に飛びついてきた。

「来年も一緒にクリスマスしような ! 」
犬用のケーキを差し出すとテンションは最高潮に達し貪るように食べ始めた。
その姿を微笑ましく眺めながら僕はこの上なく幸せな気分に浸ったのだった。

愛犬の様子に異変が起きたのは翌日のことだった。
朝から元気がなく、ご飯も食べず、頻繁にトイレに行く。何かがおかしいと思って病院に行って告げられたのは僕の目の前を真っ暗にする病気だった。

癌だった。
余命は約半年。
その後二人三脚での懸命の治療も虚しく、2024年1月26日、余命宣告後わずか1ヶ月で愛犬は天国へ旅立った。あまりにも残酷で突然のお別れだった。

あれからもうすぐ1年が経つ。
改札を抜け、明るく照らされた帰り道の途中、僕は止めどなく流れる涙を抑えきることができなかった。

愛犬と一緒に過ごした10年。その1日1日を頭の中で隙間なくなぞっていくようにゆっくりとゆっくりと僕は家へと帰っていった。

駅から家はそう遠くない。いつものように玄関にある集合ポストを開くと、よく見る飲食店や不動産会社のチラシの中に見慣れない住所が書かれた封筒が入っていた。

「東京都◯◯ 株式会社◯◯」

何だろう、これは。心当たりがさっぱりないまま家に帰りおそるおそる封筒を開けるとこう書いてあった。

「弊社主催の◯◯エッセイコンクールにご応募いただき、ありがとうございました。厳正なる審査の結果、あなたの作品◯◯は入賞に選ばれましたので、授賞式の参加可否についてご連絡いただけますでしょうか」

それは数ヶ月前に応募した、とある企業が主催するエッセイコンクールの結果だった。愛犬との日々をエッセイにまとめたもので、どちらかというと賞を取りたいというより、一緒に過ごした記憶を形にして残しておきたいという気持ちから書いたものだった。

それが賞に選ばれるなんて。
来年には優秀作品を集めたエッセイ集を書籍として一般販売までするらしい。
思いもよらないうれしい知らせに心が温まった。

「ここちゃん、うれしいお手紙が届いたよ ! 」
すぐに仏壇に駆け寄って言った。そしてそのまま線香を上げ、手を合わせた。

(ただいま、ここちゃん。今日うれしいことがあってな。ここちゃんと一緒に過ごした時のこと、お手紙みたいに書いたらな、とうきょうっていうところに偉い人が招待してくれるんやって。たくさんの人に読んでもらえたんやね、よかったね。)

目を開けて骨壺を撫でてやる。
(きっとこの中にも魂の一部を置いていってくれたんやね。こんなに静かなところで毎日眠ってるんやなぁ。いつも見守ってくれてありがとうな。ここちゃん、一緒にとうきょう、行く ? )

返事はない。僕は仏壇の遺影に目を凝らした。じっとこちらを見つめ返してくる愛犬の目。その目の中に愛犬の笑顔が映っていた。(決まりやな、ここちゃんの大好きなお出かけやで)

翌日、すぐに職場で有給休暇の申請を出した。せっかくなのでごくごく簡単に自慢もしておいた。上司は少し目を丸くして、「おめでとうございます。お気をつけて」と、なぜか妙な敬語で返してくれたものだから思わず笑ってしまった。

その後数日かけて高速バスに新幹線、東京での宿泊施設と、必要な手配を済ませ、いざ出発の日を迎えた。胸には遺骨ネックレスをつけた。この中に愛犬のしっぽの骨が入っている。断片が綺麗な星の形をしていて何とも可愛らしい。きっと星になって空から見守ってくれてるんだろう。

家を出る時、いつもなら「行ってくるな」と仏壇に声をかけていくが、今日は違う。
「さぁ、一緒に行こうか」
胸のネックレスを握りしめ、ジャケットの襟をしっかりと閉めて颯爽と駅へ向かった。

泣きながら帰ったあの日とは逆方向へ。
よく晴れた冬空の下、気持ちのいい風が辺り一面に吹いていた。

都心の駅から高速バスに乗り、いざ出発。
東京へ着いた頃には辺りは暗くなっていた。
着いたホテルで一泊し、翌日、会場へ向かった。

会場は主催企業の本社ビルのオフィス内だった。
受付を済ませて中へ入ると受賞作品がそれぞれ大きく展示されていた。運営側の方たちが1つ1つの作品をとても大切にされていることがうかがえる素敵な演出だった。

式典に定員を決めて一般の方も招待されていて、皆さん、思い思いに色々な作品を見て回っていた。
僕がその様子を見ていると、小さな女の子を連れた家族連れが僕の作品の前で足を止めてくれた。

「ママ〜、これワンちゃんのこと書いてるの ? 」
お母さんらしき方がうなずくと女の子は作品の前に前のめりになって、一生懸命に読み始めた。漢字が分からないのでお母さんと一緒に読む。

僕はその親子の後ろ姿を見てしばらくその場から動くことができなかった。ここちゃんと生きた証である文章を真剣に読んでくれている人がいる。
小さな女の子の無垢な目に小さな涙が浮かんでいた。

今日は思う存分に思い出に浸って泣いてこようと決めていたけれど、こんなに早く涙腺が緩むとは思っていなかった。小さな女の子に向かって愛犬が笑いかけているような気がして、本当にうれしかった。

その親子連れが去った後も何人かの人が僕の展示作品を読みに来てくださった。
(ここちゃん、よかったね。)
心の中で声をかけながら、僕は式に向かった。

式では何人かの受賞作品の朗読と表彰式が行われた。どのエッセイも素晴らしかった。思いがストレートに伝わってくる作品が多く、素直な心情表現ほど人の心に深く突き刺さるものはないなとあらためて感じさせられた。
やっぱり来てよかった。そう思える式典だった。

式典が終わると僕はすぐに自分の展示作品の前へ行った。僕がここに来て一番したかったこと。
鞄から愛犬が亡くなった当日に2人で撮った最後の2人の笑顔の写真と生前着けていた首輪を取り出して、展示作品の前にそっと置いた。

思い出の写真と首輪の前で、もう一度、自分の書いた文章を読んでいると、もうたまらなくなった。
一目もはばからず嗚咽を漏らし、ひたすら手を合わせて愛犬に語りかける。

(ここちゃん、今日ここに連れて来てくれてありがとうな。見守っててくれてありがとう。よかったね、こんなにたくさんの人たちがここちゃんのことを見てくれてるよ。ここちゃん、今そこにいるの ? )

後ろからカメラマンのシャッターの音が聞こえる。
振り返ると、主催企業の運営社員の何人かがこちらに来て声をかけてきた。

「あ、もしかしてここちゃんの作品の方ですか ? 」
弾けるような笑顔に「はい」と弱く言うと、

「私たちの会社は動物を大切に考えている社員が多いので、ここちゃんの作品を書かれた◯◯さんの気持ちが痛いほど伝わってきて、選ばせていただいたんです。社内でもすごく人気の高い作品でした」
とてもうれしそうにそう教えてくれた。

「そうなんですね。ありがとうございます···」
その時の僕にはそう答えるのが精一杯だった。
ただただ涙が溢れてきて言葉にならない。気の利いた言葉1つ言えず、せっかく社員の方と喋る機会をいただきながら、僕は何も言えなかった。

「ゆっくり見ていってくださいね」
という社員の方々の言葉も聞こえないほど、僕は愛犬と楽しく過ごした日々に頭の中でタイムスリップしていた。初めて家に迎え入れた日に狂ったように部屋を走り回っていたこと、小さなノズルで一生懸命に水を飲んでいた姿、散歩が大好きだった記憶、僕が泣いているとじっとそばにいてくれたこと。

僕はどうしようもなく切なくなって、愛おしくなって、写真と首輪を急いで鞄に入れて、泣き顔を見られないよう下を向き、頭を下げて会場を後にした。
本当にこれでよかったのだろうか。
答えを出せないまま予約していたホテルに着いた。

少し落ち着いたところでやっぱりちゃんと自分の気持ちを伝えたくなり、思い切ってメールを送った。

「本日、御社での受賞式、展示会に参加させていただきました◯◯と申します。
作品名「◯◯」
愛犬への手紙を書いたものです。
展示いただいた自身の作品を見ていた際、社員の皆さまから温かいお声がけ等をいただき、感激いたしました。私の方は感極まってしまい、きちんとしたお礼の一つも申し上げられないまま会場を去ってしまい、本当に失礼いたしました。せっかくの機会でしたので色々とお話もさせていただきたかったのですが、その点は私も少し心残りとなってしまいました。愛犬と生きた証である今回の手紙を多くの方に読んでいただくことができ、愛犬のここちゃんもきっと天国で笑顔で喜んでくれていたことだろうと思います。本当にこのような機会をいただきありがとうございました。急遽行かせていただき、本当によかったなと感じております」

しばらくしてこんな返事が返ってきた。

「このたびは温かいお手紙をお送りいただき、誠にありがとうございます。書籍がここちゃんへの贈り物となり、ご仏壇にそっと飾られる姿を思い浮かべると、我々もこの活動の意義を改めて感じ、心が温かくなりました。ここちゃんと◯◯様の絆がこれからも心の中で続きますよう、お祈り申し上げます。そして、改めまして、先週の受賞式と展示会にもお越しいただき本当にありがとうございました」

その文面を読んだ時、感謝の気持ちとともにある思いが心に浮かんだ。
(僕は今もここちゃんと一緒に生きているんだな)
姿形は消えてしまったし、もう会うことも二度と叶わないけれど、確かに今、一緒に生きている。

その思いは僕がエッセイの最後に書いた文章とリンクするところがあった。

(一緒に過ごしたかけがえのない時間。楽しかった思い出、思わず笑みがこぼれるような仕草の一つ一つ、ニ人で病気と必死に闘った日々の辛さや苦しみ。それらを決して時とともに美化される思い出ではなく、ありのまま覚えていてあげたいと思う。悲しみに暮れることなく、時々、君との思い出に涙しながら、君の分までしっかりと一緒に生きていきたい。おそらくそれが君への一番の供養になると僕は信じているから)

僕の顔には自然と笑みが浮かんでいた。
今なお僕の中に生き続ける小さな命はまた1つ、かけがえのないことを僕に教えてくれた。

心の中に去年の愛犬とのクリスマスパーティーで飾ったささやかなクリスマスツリーが浮かんだ。
愛犬との最後の楽しかった思い出だ。

この場所に連れてきてくれたこと。
今なおともに生きていることを実感させてくれたこと。これはきっと偶然ではないような気がした。

あるいはそれは天国にいる愛犬からの少し早いクリスマスプレゼントだったのかもしれない。
優しかったあの子のことだからきっとそういうことなんだろう。目の前に笑顔で笑う愛犬の姿。

(ここちゃん、会いに来てくれたんやね···)

僕はやっぱりたまらなくなって枕に顔をうずめた。


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虎吉
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