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『カラマーゾフの兄弟』再読感想文 その12 三兄弟③  「敬虔な修道者」(完結)

※これから読む方々のために、なるべく物語の結末部分に触れないようにしたいと思っていますが、説明上どうしても全体の流れや途中のポイントなどネタバレしてしまうと思います。少しでもダメな方はご遠慮ください。


その12 三兄弟③ 「敬虔な修道者」


 アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフ。
 
 カラマーゾフ家の三男。この物語の主人公です。
 新潮文庫上巻裏表紙のあらすじで書かれた人物像は「敬虔な修道僧」。
 でもその言葉だけでは言い表せない意外な面をいくつも持っていて。
 私はその辺りがすごく好きです。

 私が好きなアレクセイ。
 すでにこれまでの記事でいくつかお話ししましたが、ここで簡単におさらいして。
 最後に私が一番好きなエピソードを紹介して、この長かった再読感想文を終わりにしたいと思います。



1 敬虔なリアリスト


 さて。
 アレクセイの意外な面は。

 ① 「兄さんとまったく同じ」


 その10でお話ししましたが。
 三兄弟の長男ドミートリイが女性への関心とか情熱とかを語ったとき、「僕も兄さんとまったく同じ」だと告白するアレクセイ。

「しょせん同じ階段に立っているんですよ。僕はいちばん下の段だし、兄さんはもっと上の、どこか十三段目あたりにいるってわけです。僕はこの問題をそんなふうに見ているんですよ、しかしどっちみち同じことで、まるきり同類なんです。いちばん下の段に足を踏み入れた者は、どうせ必ず上の段にまで登っていくんですから」

『カラマーゾフの兄弟』ドストエフスキー著 原 卓也訳 新潮文庫
上巻 p.267(その10でも引用)

 なかなかすごいことを言ってるなあと思いますが。
 わかるような気もします。

 また、アレクセイには具体的に恋する女性もいます。
 幼馴染のリーザに対して。

そして法に定められた年齢に達したら、すぐに僕たちは結婚しましょう。僕はずっとあなたを愛し続けます。

同上 p.452(その10でも引用)

 なんて言ってます。
 女性への情熱を抱くアレクセイ。
 見習い修道僧なのに。

 でもそれを隠そうとはしないアレクセイに誠実さを感じます。
 
  

 ② 子供好き。

 これは意外な面とは言えないかもしれませんが。
 彼はかなり子供好きです。
 彼が子供達と関わることで、下巻の大きなエピソードへ繋がっていきます。
 この物語の重要な要素の一つです。

 その5とその10でお話ししました。
 

 ③ 「現実主義者」

 これもその5でお話ししました。
 二等大尉スネギリョフに対するアレクセイの態度などに表れていると思います。

 二等大尉からの侮辱も拒絶も全く気にせず。
 彼はただ、カテリーナ(兄ドミートリイの婚約者)の謝罪を二等大尉に受け入れさせるためにはどうすれば良いのか冷静に分析します。その分析も、ややもすると冷淡で傲慢な感じがするほど。
 彼には「熱に浮かれた神秘主義者」というより、意外と賢く、リアリストという一面があって。

ひょっとすると読者の中には、私のこの青年が、異常なほど感激しやすい、発育の遅れた病的な性格の、青白い夢想家で、──中略──ことによると、赤い頬とて狂信や神秘主義を妨げるものではないと、いう人があるかもしれない。だが、わたしには、アリョーシャはだれにもまして現実主義者だったような気がする。

上巻p.57~58(その5でも引用) 

 語り手「わたし」も、物語のかなり始めの方でこう言ってます。

 大好きな子供と関わる時も、彼は挨拶無しでいきなり自分が子供の頃の石の投げ方みたいな実際的な話から始めますし。
(この場面好きです)

 リアリストで、女性に恋していて、子供と実際的に関われる。
 見習い修道僧なのに。
 なかなか面白い人物造形です。


 また。彼をすぐ上の兄、イワンと比較すると。

 「冷徹な知識人」だけど実は情熱的でロマンチストな兄。 
 「敬虔な修道僧」なのにリアリストな弟。

 妙な対比になってます。
 ドストエフスキーの作為を感じます。

 そして。
 二人とも子供が好きで子供の悲劇に胸を痛めていて。
 長男ドミートリイも窮地に立たされて初めて、子供達を救済することへの情熱的な希求を口にします。

 結局ドミートリイはその罪を引き受けることに耐えられないだろうと悩み。
 イワンは未解決なまま錯乱します。

 さてアレクセイは?


2 『僕のためには、ほかの人が赦しを乞うてくれる』

 ① 腐臭

 最後に、アレクセイの物語の中で私が好きなエピソードを紹介します。

 それはゾシマ長老の腐臭のエピソード。

 アリョーシャが敬愛するゾシマ長老。
 物語の始めから、すでに体は弱り命の火が消えかけていました。中巻でお亡くなりになってしまうのですが。
 この時、遺体の腐敗が思っていたよりも早く進むのです。
 人々は困惑します。

 あれほど立派な人だったのだから死後に何か起こるはず。
 長老のような素晴らしい人ならば、きっとその遺体は腐ることなく、いつまでも美しく、良い匂いがするかもしれない。
 
 などと奇跡を期待していたからです。

 しかし奇跡は起こらず、むしろ普通の人よりも早く腐臭がし始めます。

 憤り、嘲り。
 手のひらを返す人々が描かれます。

 それまでゾシマ長老の行動を奇跡だと言って大騒ぎしてありがたがっていたホフラコワ夫人などは

『ゾシマ神父のような立派な長老から、このような仕打ちは予期していませんでした!』

中巻 p.195

 と憤りをあらわにします。

わたくし今やリアリズムに味方ですのよ。

同上 p.298

なんて言い出したり。
(ホフラコワ夫人はその3の「信仰のうすい人たち」で詳しくお話ししています。リーザのお母さんで裕福な上流階級の人です。)

 彼女はやや滑稽に描かれ、作者の皮肉なユーモアを感じますが。
 彼女は人々の考え方の代表のようで。
 簡単に手のひらをかえす人々の怖さみたいなものも感じられます。

 しかもこれは民衆に限ったことではなく。
 修道僧たちの間にさえ、似たような反応が見られます。

 ゾシマ長老の死に際し、奇跡を期待し、それがなされなかった途端、長老の生前の行いや彼の人となりまで非難し攻撃する修道僧たち。

 語り手の「わたし」はこの問題についてこう言っています。

なぜ長老の棺のわきであんな不謹慎な、愚かしい、悪意にみちた事態が生じえたのか、──中略──故人の神聖さに対する妬みも、もちろんあったにちがいない。なぜなら、亡くなった長老は多くの人々を、奇跡よりはむしろ愛によって惹きつけ、──中略──ほかならぬそのことによって羨望者をも、さらにつづいて公然、隠然のはげしい敵までも生み出し、しかもそれが修道院の内部だけではなく、俗世の人々の間にさえ見出されたからである。

同上 p.168-169

 あまりにも長老が崇められたために、同時に多くの人々に羨望を生み出し、「飽くことを知らぬ憎悪の深淵を生み出し」た(同上p.169)というのですが。

 「不謹慎な、愚かしい、悪意にみちた事態」だそうです。


 そもそも人々は皆奇跡を期待している。
 修道僧でさえ。

 これ。
 前回その11でお話ししたイワンの苦悩を思い出さずにはいられません。

 イワンの作り出した大審問官という人物は言いました。
 愚かな民衆は「神そのものよりも奇跡を望む」と。
 民衆は「キリストの崇高な教えを理解することはできず、キリストが退けたはずの奇跡を望んでいるのだ」と。

 その実例がゾシマ長老の死によって描かれることになります。

 その上ゾシマ長老の死の場合、奇跡を求めるのは民衆だけでなく、修行を極めた修道僧たちまでも、いやむしろ修道僧たちの方が大騒ぎをしているかもしれない。

 絶望します。


 でも。
 ゾシマ長老は「奇跡よりはむしろ愛によって惹きつけ」た人。
 実際的に民と交わり声をかけ助言し、民の救済に心を砕いた人。
 潔斎したり奇跡を起こしたりすることよりも、実行的な愛を実践した人。

 腐臭は生物の死にとっては自然なことであり、彼は死してもなお奇跡とは無関係に存在している。

 腐臭はそういったことの象徴のようにも思えます。


 ではリアリストアレクセイはこれにどう反応するのでしょう?

 もちろんアレクセイも奇跡を期待していなかったわけではありません。
 ただちょっとその意味は違うのだということを語り手「わたし」は説明します。

たとえ奇跡が全然なくともかまわない、奇跡的なことが何一つ起こらなくとも、期待していたことがただちに実現しなくともかまわない、だが、いったい、なぜあんな不名誉なことが現われ、なぜあんな恥辱がそのままにされたのか

同上 p.188-189

 この時アレクセイの「心が血を流し」(同上p.189)たのは奇跡がなかったためではなく。
 愛する長老が「《辱められ》、《泥を塗られ》た」ことのためなのだと。

 アレクセイにしてみれば。

 あんなに素晴らしい人に対して、よりによってこんな仕打ちをなぜ神が?

 という感じでしょうか。

 奇跡が起きなかったために手のひらをかえす人々に対して憤り、悲しくなって。

 この後彼は自棄になり、友人のラキーチンの誘いに乗ってしまいます。


 ② 一本のネギ

 
 アレクセイをアグラフェーナの元に連れていったらお金をもらう、という約束を彼女と交わしていたラキーチン。
 自棄になったアレクセイを見てこの時とばかりにアレクセイをアグラフェーナの元へ連れて行きます。
 アグラフェーナはドミートリイの想い人です。
 ラキーチンは不誠実な人のようです。(その辺りはその8で。)

 アグラフェーナもちょっと悪意あるイタズラをアレクセイに仕掛けるつもりでしたが。
 長老が亡くなったことを知り、アグラフェーナはアレクセイを憐れみます。

「ゾシマ長老が亡くなったの!」グルーシェンカが叫んだ。「まあ、そうとは知らなかったわ!」彼女は敬虔に十字を切った。「まあ、それなのにあたしはなんてことを。今この人の膝に乗ったりして!」不意に怯えたように叫ぶと、急いで膝からおり、ソファに座り直した。

同上 p.217

(グルーシェンカはアグラフェーナのことです)
 それを見てアレクセイはラキーチンに言います。

僕はよこしまな魂を見だそうとしてここへやってきたんだ。僕が卑劣な、よこしま
な人間だったから、そういうものに強く惹かれたんだね、ところが僕は誠実な姉を見いだした。宝を、愛に満ちた魂を見出したんだよ……この人はたった今、僕を憐んでくれた……

同上 p.218

  アグラフェーナは長男ドミートリーと父フョードルの二人を手玉に取った悪女のように登場しますが、実は情が深く、彼女も激しく善良さを求めている。
「姉のような」 善良さを持っている。

 ここであの有名な「一本のネギ」の寓話になり。
 アグラフェーナはこんなわたしでも他人を助けたことがあるのだといいます。

 このエピソードも私は好きですが。

 アレクセイは思いがけず、意外な人の善良さに気づき、ゾシマ長老の草庵に戻ります。 


 ③ 最初の奇跡は喜びだった。

 アレクセイが草庵に戻ると、パイーシイ神父が一人、棺の枕辺で福音書を読んでいます。
 アレクセイは跪き祈り始めますが。彼はパイーシイ神父の朗読を聴きながらまどろみ出して。
 
 パイーシイ神父の朗読はちょうどガラリヤのカナの婚礼の場面でした。
 アレクセイは気づきます。
 キリストの最初の奇跡は人々の喜びのためのものだった。と。

 アレクセイは夢を見て、ゾシマ長老の声を聞きます。

『愉快に楽しもう』枯れた老人はさらにつづける。『新しいぶどう酒を、新しい偉大な喜びの酒を飲むのだ、どうだ、この大勢の客は? ほら、新郎新婦もいる、あれが賢い料理がしらだ、新しいぶどう酒を味見しているところだよ。なぜ、わたしを見て驚いている? わたしはネギを与えたのだ、それでここにいるのだよ。ここにいるものの大部分の者は、たった一本の葱を与えたにすぎない、たった一本ずつ、小さな葱をな……われわれの仕事はどうだ? お前も、もの静かなおとなしいわたしの坊やも、今日、渇望している女に葱を与えることができたではないか。はじめるがよい、倅よ、自分の仕事をはじめるのだ、おとなしい少年よ!

同上 p.244

そして。

何かがアリョーシャの心の中で燃え、何かがふいに痛いほど心を充たし、歓喜の涙が魂からほとばしった

同上 p.245

 アレクセイは草庵から出て「大地を抱きしめ」(同上p.247)

彼はすべてに対してあらゆる人を赦したいと思い、自らも赦しを乞いたかった。ああ、だがそれは自分のためにではなく、あらゆる人、すべてのもの、いっさいのことに対して赦しを乞うのだ。『僕のためには、ほかの人が赦しを乞うてくれる』

同上 p.248

大地にひれ伏した彼はかよわい青年であったが、立ちあがったときには、一生変わらぬ堅固な闘志になっていた。

同上

 私には、ゾシマ長老の腐臭はアレクセイにとっての通過儀礼のように思えます。
 喜びに満ちた力強い彼の覚醒。
 アレクセイはここに至って一つの答えを見出したようです。

 


 しかし。
 実はこの物語。ここまででようやく半分。中巻の半ばです。
「不可解な謎の死」が起こるのはこの後。
(物語の中の時間では同時進行ですが。)
 下巻は事件の顛末が語られます。

 覚醒した主人公アレクセイの「自分の仕事」はおそらく。
 この物語の十三年後、第二の小説につながっていくように思われます。
 描かれなかった物語に。

 それを読むことはできないのが残念です。


 さて。
 全12回。長々とお話ししてきましたがわたしがお話ししたのはほんの一部。
 『カラマーゾフの兄弟』にはまだまだ魅力的なエピソードや登場人物がたくさんあります。

 多分また、再読を重ねていくうちにお話したいことがたくさん出てきそうです。
 すでに、ドミートリイの婚約者カテリーナの話とか、下巻の裁判の成り行きとか、アレクセイが関わる子どもたちの話とかもお話したい気分になってますが。

 それはまたいずれ。

 ここまで読んでくださった方々に感謝を。



 次回は一回お休みしようかと思ったのですが。
 note公式で秋の連続投稿キャンペーンなるものがあるとか。
 というわけであと2回、何か読書感想文をあげたいと思います。

 今の所、2024年に読んだ本から面白かった作品の初読感想文を予定しています。
 再読ほど読み込んでいないので少し軽めに二作品。

 まずは次回。
 エラリー・クイーン『境界の扉 日本カシドリの秘密』の初読感想文。

 この夏出たばかりの新訳版です。
 初読です。



前回  その11 三兄弟②  「冷徹な知性人」


その1 はじめに はこちらから


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