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『カラマーゾフの兄弟』再読感想文 その8 脇役の魅力④ 「人間はだれだって必要なのよ。」 (全12回)
※これから読む方々のためになるべく物語の結末部分に触れないようにしたいと思っていますが、説明上どうしても物語の流れや途中のポイントなどネタバレしてしまうと思います。少しでもダメな人はご遠慮ください。
その8 脇役の魅力④「人間はだれだって必要なのよ。」
カラマーゾフ再読感想文。再開です。
さて今回も。
私の好きな脇役をご紹介します。
それは
マクシーモフ。
でもマクシーモフってだれ? となるかもしれませんね。
彼自身が何か事件を起こすわけでもなく、物語の周辺をうろうろするだけなのですが。その立ち位置がちょっと面白くて。
そこで。
彼が登場する場面を三つ。お話ししてみたいと思います。
1 三つのまなざし
① フョードルから見たマクシーモフ 「フォン・ゾーンそっくりだ」
物語の始まり。
主人公アレクセイ・カラマーゾフが見習い修道僧をしている修道院。
カラマーゾフ家のいざこざを話し合うための会合が開かれます。
あの「場違いな会合」です。
修道院を訪れたアレクセイの父親フョードルと次兄イワンとその他数人。一行が会合のためゾシマ長老の庵に向かう途中のこと。
ふいに、彼らのところへ、髪のだいぶ薄くなった、スプリングコート姿の、年配の紳士が、やけに愛想のいい目をして近づいてきた。帽子をかるくあげて挨拶したあと、彼は甘たるい舌足らずな発音で、トゥーラの地主マクシーモフであると、だれともなく自己紹介した。
田舎の地主マクシーモフ。
彼はこの会議に呼ばれているわけではなく、たまたま居合わせただけなのですがフョードル一行に付きまといます。
ミウーソフには「しつこい爺だな」(上巻P.83)と言われたり。
(ミウーソフはフョードルの最初の妻のいとこです。「場違いな会合」に出席します。)
フョードルには「フォン・ゾーンそっくりだ」(同上)と揶揄され。
(フォン・ゾーンは訳註で、当時評判になった殺人事件の被害者だと説明されています。)
その後、マクシーモフは物語から一旦退場します。
さて。
「場違いな会合」はフョードルのせいで散々な結果になり。
一行は気を取り直してフョードル抜きで修道院長主催の食事会へ向かうのですが。そこにまたフョードルが現れ大騒ぎに。
騒ぎを起こし皆を不快にし、会議の面々だけでなく、修道院に対しても失礼な態度を取ったのち引き上げるフョードル。(このあたりのフョードルのいやみで卑屈で賢い感じ。ドストエフスキーの人物描写が素晴らしいです。)
その帰り際のエピソード。
再びマクシーモフが登場します。
フョードルはふざけた勢いでマクシーモフを食事に誘います。
するとマクシーモフはそれを間に受け、馬車に乗り込むフョードルとイワンを追ってきます。私も連れて行ってください。と。
「ほら、俺の言ったとおりだろうが」フョードルが有頂天になって叫んだ。「やっぱりこいつはフォン・ゾーンだ! 死者の国からよみがえった正真正銘のフォン・ゾーンだて! それにしても、どうやってあそこから逃げ出してきたい? どんなフォン・ゾーンぶりを発揮したんだか、よくも食事の席からずらかってこられたもんだな? こいつはよほどずうずうしくなけりゃできん芸当だぜ! 俺もずうずうしいほうだが、お前には恐れ入ったよ! 跳びのれ、早くのるんだ!──後略──」
フョードルはますます面白がりますが。
馬車に乗り込もうとするマクシーモフはイワンに胸を突かれ、馬車には乗れません。
マクシーモフは六十位の年配でフョードルより少し年上。
田舎地主の、だれにでもへつらい、付き纏うような、ちょっと哀れな老人という感じです。
フョードルは彼を蔑み、からかい、面白がりますが。
一応同じ地主という立場。
お金があり強欲に生きるフョードルと、蔑まれ滑稽で哀れなマクシーモフ。二人の老人の違いが明確で興味深いです。
しかしここで、この二人の短い接触場面は終わり、このあと二人は会うことはありません。
ところがこのマクシーモフ。
これで終わりません。
② カルガーノフから見たマクシーモフ 「卑劣じゃありませんよね?」
物語は進み、中巻。
フョードルと長兄ドミートリーの争いの主な原因、アグラフェーナ。
彼女は昔の恋人に会うために街から離れたモークロエの宿屋へ向かいます。
(その辺りは「その6 官吏ペルホーチン出世の糸口」で少しお話ししています。)
そこでマクシーモフが再登場。
彼は「場違いな会合」の騒動がきっかけで、いつの間にかカルガーノフという青年と仲良くななっています。
(カルガーノフはミウーソフの親戚で「場違いな会合」にも出席しています。)
そしてたまたまこの場に居合わせた二人は、乗り込んできたドミートリーの起こす一件を目撃することになるのですが。
カルガーノフはマクシーモフについてこう話します。
「実はあの人が嘘ばかりつくもんで、僕らはずっと笑いどうしなんですよ」
「考えてもくださいよ、僕はもう四日もこの人を連れ歩いているんですからね」いくらかものうげに言葉をひきのばし、だが少しも嫌味な感じではなく、ごく自然な口調で彼はつづけた。「おぼえていらっしゃるでしょう、あの日、あなたの弟さんに馬車から突き落とされて、この人がふっとんだとき以来ずっとなんです。あのとき、僕はこの人にとても興味をもったもので、田舎へ連れて行ったんですが、今やのべつ嘘ばかりついているもんだから、いっしょにいるのが恥ずかしくなりましてね。送り返すところなんです……」
などと言いつつ。
「かりに嘘をつくにしても、でもこの人の嘘は、もっぱらみんなを楽しませるためなんです。これは卑劣なことじゃないでしょう、卑劣じゃありませんよね? 実は、僕はときおりこの人が好きになるんですよ。この人は卑劣ではあるけれど、その卑劣さがごく自然でしょう、え? どう思います? ほかの人なら、何か理由があって、利益を得るために卑劣な行為をするものですが、この人はただなんとなく、天性からそうするんですものね──後略──」
カルガーノフという青年も、ちょっとユニークで面白いのですが。
ここでのマクシーモフは。
ちょっと品のない面白話をしてみんなを笑わせるおじいちゃんみたいな感じで。
カルガーノフばかりでなくこの時のアグラフェーナも彼の存在を喜んで面白がります。
この場面が縁となって。
マクシーモフは下巻でさらに。
いつの間にかアグラフェーナの家に居候しています。
③ アグラフェーナから見たマクシーモフ 「人間はだれだって必要なのよ」
そのうち、グルーシェニカは彼に慣れてさえきたので、──中略──憂さを晴らすつもりで腰を下ろし、ただ悲しみを考えずにいられさえすればという気持ちから、《マクシームシカ》相手に、いろいろ他愛ないことを話すようになった。老人も時によると話の一つや二つできることがわかったので、しまいには彼女にとって必要な存在にさえなった。
「わたしはあなたのご親切に値しない人間です、役立たずで」マクシーモフが涙声で口走った。「わたしなぞよりもっと必要な人間に、ご親切を施すほうがよろしゅうございますよ」
「あら、人間はだれだって必要なのよ、マクシームシカ、それに、どっちの人がより必要かなんて、どうして見分けられるの。──後略──」
(グルーシェニカはアグラフェーナのこと。マクシームシカはマクシーモフのことです。)
ここに至って。
マクシーモフはアグラフェーナにとって「必要な存在」になっているのです。
彼女の優しい愛情を受けるマクシーモフ。
フョードルの望んだものと形は違うものの、物語の終わりにアグラフェーナのそばにいるのがマクシーモフだなんて。
皮肉な感じがします。
それから。
「人間はだれだって必要なのよ。」
とさらりと言ってのけるアグラフェーナ。
彼女の優しさ。心根の美しさが感じられます。
いいセリフです。
アグラフェーナはフョードルとドミートリーの二人を手玉に取った悪女みたいに語られることが多いようですが、彼女の生い立ちは不遇で辛く悲しいもの。そこから這い上がってきた人です。
私は彼女の賢さとか情の深さ、優しさに心惹かれます。
素敵な女性だと思います。
それはともかく。
マクシーモフの不思議な変遷。
フョードルと比較することで、老いの悲しみとか皮肉なおかしさも感じられて。
この辺り、私は年を重ね、再読した時のほうが、若い頃より興味深く面白く思えました。
2 そのほかの魅力的な脇役たち
さて。カラマーゾフの脇役。
四回にわたってご紹介しましたが、他にも興味深い人物がたくさんいます。
今回あまりお話しできませんでしたが。
ピョートル・アレクサンドロウィチ・ミウーソフ。
フョードルの最初の妻の従兄弟で「教養が深く、都会的、外国的」(上巻p.22)だそうです。いい人だけど知識人を気取ってちょっと滑稽に描かれているように思います。
カルガーノフ
②の場面の後のドミートリーの顛末に対する彼の反応が好きです。
それから。これまでお話しした人たち。
フョードルの忠僕。グレゴーリイ夫妻。
敬虔なグレゴーリーに対しマルファは実はいいところに使えていた洒落た人だっようです。マルファのダンスのエピソード。二人の関係が見えて興味深いですし。
ホフラコワ夫人。
「信仰のうすい貴婦人」。その3とその6でも紹介しましたが、その12でもちょっとお話しする予定。物語の中にちょこちょこと出てきます。
それから前回お話ししたペルホーチンやラキーチンも大好きですし。
まだお話ししていませんが。
修道院の人たち。
例えばパイーシイ神父。
知性と誠実さ、厳しさを持つ人という感じが好きです。
アレクセイと関わる少年たち。
イリューシャはその5で少しお話ししましたが、下巻で丁寧に描かれるコーリャ・クラソートキンとか。スムーロフやカルタショフ少年なども成長したらどんな感じになったのかなと気になる子供たちです。
「悲劇的な死」の事件に関わる警察関係の人たちも。
どの人物も読めば読むほど面白いです。
カラマーゾフの兄弟の脇役達は。
主要な人物に負けないくらい生き生きとして面白くて、私は大好きです。
そういえば、先週公開しました『百年の孤独』初読感想文。
私が一番お話したかったのはサンタ・ソフィア・デ・ラ・ピエダという人でした。
彼女は脇役ではないと思うのですが、その徹底した「脇役ぶり」が大好きです。
実は私。
こういう人たちの物語を読むことが一番好きなのかもしれません。
とは言ってみましたが。
さて。次回。
主要人物の魅力についても語ろうかなと。
カラマーゾフの主要人物。父と三兄弟。
すでにたくさんの人が語っているので今更私が。とも思ったのですが。
やっぱり好きなので。
まずはフョードル。
物欲の権化と言われた彼。
私が好きな彼の魅力をたっぷりと。
次回 その9 物欲の権化『こんな男がなぜ生きているんだ!』
前回 その7 脇役の魅力③ 二十カペイカ銀貨と三枚の百ルーブル札
その1 はじめに はこちらから
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