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『カラマーゾフの兄弟』再読感想文 その5脇役の魅力①「すがすがしい大気のなかでも」 (全12回)

※これから読む方々のためになるべく物語の結末部分に触れないようにしたいと思っていますが、説明上どうしても物語の流れや途中のポイントなどネタバレしてしまうと思います。少しでもダメな人はご遠慮ください。


その5 脇役の魅力①「すがすがしい大気のなかでも」

「・・・誰も彼もを永遠に生かしておこうと努めることさ。最後には死んでしまう者すら、ね。そういう人間こそ、生かしておいてやりたい一番重要な人間なんだ。」

ジョン・アーヴィング『ガープの世界』 新潮文庫 下巻 p.474

 ジョン・アーヴィング『ガープの世界』。主人公ガープは作家です。彼が自分の作品の登場人物について語るこのセリフ。
 その言葉には、どんな登場人物にも主役と同じように人生があって。だから脇役といえども、まるで本当に生きているように丁寧に描きたい。という作者の強い意思のようなものを感じるのですが。
(「ガープの世界』感想文その6でも引用しました。そちらもぜひどうぞ。)

 私は長編小説を度々再読します。
 長編小説の良さの一つはその長さ故、主要人物以外の登場人物も丁寧に描くことが可能なことだと思います。例えば二時間くらいで終わる映画より、一年じっくり続けて描けるドラマのように。 
 ただ、可能であってもそれを成し遂げることはなかなか難しく、だからこそ、それを実現した素晴らしい物語に私は心惹かれるわけですが。
 『カラマーゾフの兄弟』はとりわけその魅力が強い作品だと思います。

 『カラマーゾフの兄弟』新潮文庫上巻裏表紙の。そのあらすじには登場しない脇役たち。
 その3と4でホフラコワ夫人や老僕グレゴーリーなどを少し取り上げましたが、まだまだたくさん魅力的な人物が登場します。

 そこで今回「その5」から「その8」までの四回で。
 カラマーゾフの脇役を取り上げていきたいと思います。(主要な登場人物はその後お話しする予定です。)

 まずはこの人。
 二等大尉スネギリョフという人物を紹介します。



1、二等大尉スネギリョフを取り上げた理由。


 小説を度々読み返すと。
 当然その間に読み手である私は歳をとります。若い頃と歳を取ってからとでは、物事の受け止め方が変わってきたようで。再読すると印象が異なる登場人物も多いです。
 『カラマーゾフの兄弟』で私がその変化を一番感じた登場人物がこの元ロシア歩兵二等大尉スネギリョフ。

「元ロシア歩兵二等大尉スネギリョフでござります。持ち前の短所が仇となって恥をさらしはいたしましたものの、これでもやはり二等大尉でござんして。しかし、スネギリョフというより、二等大尉スロヴォエルソフ(訳註 ロシア語で召使などの用いる敬語の接尾辞Sをスロヴォエルソフとよぶ)と申したほうが手取り早いようでして、と申しますのも人生半ばを過ぎてから、やたらとスロヴォエルソフをつけて話すようになりましたものですからね。人間落ちぶれると、言葉遣いまで卑屈になりますね。」

新潮文庫『カラマーゾフの兄弟』上巻p.492-493

  最初の登場場面でのこのセリフ。本人の言うように確かに卑屈な感じがします。
 私の若い頃の彼の印象は貧しく、悲しく、哀れ。
 
読んでいるとなんだか居た堪れなくて。彼と家族のあまりにも貧しい生活の様子が辛かったことを覚えています。

 スネギリョフは主人公アレクセイと関わる人物なのですが、そもそもこの二人が出会うのも、スネギリョフがアレクセイの兄であるカラマーゾフ家の長男ドミートリーに酷い辱めを受けたことが原因でした。

 その経緯。
① スネギリョフはドミートリーとその父親フョードルの諍いに巻き込まれ、激しい怒りに駆られたドミートリーから侮辱的な暴行を受けてしまいます。(髭を掴まれ、自分の息子の見ている前で、往来で引き摺り回されます。ひどいです。)
② ドミートリーの婚約者であるカテリーナ・イワーノヴナはそれを知り、ドミートリーの代わりに自分が謝罪したいと考え、アレクセイに謝罪に行ってほしいと頼みます。そのためアレクセイは彼の家に向かったのでした。
③ そこには貧しく見窄らしい家に病気の妻や子供を抱え苦しい生活をしているスネギリョフの姿が。
④ また、そこにはその少し前にアレクセイが道端で出会った謎の少年もいました。その少年。河原で数人の少年たちを相手に一人で対抗していた少年で、それを見て心配したアレクセイに、逆に憎しみをぶつけ、アレクセイの手を強く噛んで血を流させました。彼はスネギリョフの幼い長男、イリューシャでした。
⑤ アレクセイはドミートリーの侮辱が少年の心も傷つけていたことを知るのですが。

 貧しく、見窄らしく哀れ。理不尽な暴力を受けてもただそれに耐えるしかない人達の象徴。そんな悲しいイメージです。

 でも自分が歳をとって再読したとき、その貧しさ哀れさ以上に強く感じたものは彼の家族に対する深い愛情でした。

 スネギリョフには気の触れてしまった奥さんと二人の不幸な娘さんがいますが、彼は奥さんの狂気にも優しく付き合い、父を誹る娘にも腹を立てません。
 そして何より胸に迫るのは幼い長男のイリューシャに対する深い愛情。
 少年との会話から感じるものは、貧しくても真っ当に生きようとするスネギリョフの崇高な心。
 私の中で「貧しく哀れで卑屈な人」は、「厳しい生活の中でもなんとか家族を守ろうとする誠実な父親」のイメージに変わりました。


2、父と子

 謝罪に来たというアレクセイにスネギリョフは語ります。
 彼は夕方になるとよく、幼い長男イリューシャを連れて散歩をするのですが(そこは「ひっそりと人気のない美しい場所」(上巻p.513)です。二人の貧しさと仲の良さを感じさせられます。)ドミートリーに侮辱された後も二人で散歩にでました。
 その途中、父親に決闘を申し込むようにせがむイリューシャ。でもそれは貧しくて家族を養わなければならない自分にはできないという父。すると息子は自分が大きくなったら決闘を申し込んであいつ(ドミートリー)を殺してやるんだといいます。
 それに対し二等大尉はこう言います。

それでも手前は父親でござんすから、正しいことを言わねばなりません。手前はあの子にこう申しました。『たとえ決闘にせよ、人を殺すのは罪深いことなんだよ』するとあの子の返事がこうです。『パパ、それじゃね、パパ、僕が大きくなったら、あいつを投げ倒してやる。僕のサーベルであいつのサーベルを叩き落として、組みついて、投げ出すんだ、そしてあいつの上にサーベルをふりかざして、今すぐにでも殺せるんだが赦してやる、思い知ったかって言ってやるんだ!』どうですか、いかがですか、二日の間にあの子の頭の中にはこれだけの思考過程が進んでいたんですよ。

上巻P.514

(決闘だとしても人を殺してはいけないという言葉。のちにアレクセイが敬愛するゾシマ長老のお話の中のモチーフと響いてくるのですが、それはまた後で。)

 幼くても気高く激しい心の持ち主の少年と。その少年を父として正しく導こうとする優しく愛情深い父親。
 互いを思いやる父と子の美しい愛情の関係が胸に染み入るようで。

 彼の話は続きます。
 その後、少年が「憎しみの塊になって」(p.515)学校で友達と諍いを起こしていることを知り、暗い考えから息子の心を引き離そうと、他の町に引っ越すという夢を、でも貧しくて到底実現できそうもないとわかっている夢を語ったというスネギリョフ。

ママと姉さんたちは荷馬車に乗せて、何かにくるんであげようね。パパたち二人は横について歩いて行こう、お前は時々は坐らせてあげるけど、パパはずっと歩くぞ、うちの馬だもの、大事にしてやらなけりゃいけないし、みんなが乗るわけにゃいかないものな、さあ出発だ、といった具合にですな。

上巻p.516

 病気の母や姉を思いやり、少年には小さな責任(家族のために歩くこと)を与えつつ、労る(「お前は時々は座らせてあげる」)。自分は家族のためにも馬を大切にしなければ、と歩くことを宣言するスネギリョフ。
 父親として息子への細やかな配慮と愛情が感じられます。
 ささやかな夢を語るこの場面。
 切ないです。

 スネギリョフは、今回のカラマーゾフ家の「悲劇的な謎の死」の事件とはほとんど関わりがありませんが、彼と息子イリューシャとその友人達はこの後、下巻でもアレクセイと交流があり、そのエピソードは結構長いです。解説などによると、十三年後を描いた第二の小説ではこの少年たちが成長して重要な役割を担うという構想があったようなのですが。

 それはともかく。
 学生の頃はあまり印象に残らなかったスネギリョフの物語。
(若いということはやや傲慢なのかもしれません。)
 歳をとって再読すると。重く悲しく、でも優しく思い出されて。
 私にとって強く心に残るエピソードに変わりました。

 またスネギリョフはアレクセイの父フョードルとは全く異なる父親像を提示してくれます。
 この対比。面白いです。

 

3、アレクセイの意外な(?)一面

 もう一つ。スネギリョフを紹介する理由は。
 彼と関わることで主人公アレクセイの人となりが見えてきて面白いと思ったので。

 例えば。
 カテリーナの謝罪というのは、スネギリョフにお金を渡すことだったのですが。
 この後。もう少しで渡せそうなところまで行き、結局ギリギリで拒絶されたアレクセイ。そのことを幼馴染の女の子リーザに話しながら、でもそれでよかったのだといいます。

 アレクセイの語るところによると
① そのお金をあまりにも素直に喜んでしまったスネギリョフ。
② でもそんなふうに一度の申し出でお金を受け取ってしまったら。
③ それにカテリーナからだけでなく、アレクセイにまで同情されたと思う惨めさも加わってしまったら。
④ きっと、彼はそれらを卑劣なことと考え、お金を返しにきてしまうかも。
⑤ しかし彼は一度断ったので、アレクセイがまた明日渡しに行けば。

『あなたは誇りに満ちた方です、あなたは立派にそれを証明なさったのですから、今度は気持ちよく受けとって、わたしたちを許してください』こういえばあの人はきっと受け取りますとも!

上巻p.539

 だそうです。

 またアレクセイはスネギリョフの心理も分析しています。
① あれは臆病な、性格の弱い人(p.536)
② 羞恥心の強い貧乏人(p.537)
③ このお金は咽喉から手が出るほど必要なんです(p.539)
④ 明日の朝までにはおそらく、僕のところへ駆けつけて許しを乞いかねぬ心境になるでしょう(p.539)

 などと、結構冷静で容赦ないです。
 見方によっては傲慢な感じがするかもしれません。
 この後リーザからもそんなふうに言われてしまいます。

そういう考え方に、その不幸な人に対する軽蔑は含まれていないかしら……つまり、あたしたちが今、まるで上から見下すみたいに、その人の心を分析していることに?

同上 p.541

それに対しアレクセイは

「いいえ、リーズ、軽蔑なんかありませんよ」まるでこの質問にかねて用意していたかのように、アリョーシャはしっかりした口調で答えた。「僕自身、こちらへ伺うみちみち。そのことを考えていたんです。──後略──

同上

と言って丁寧に反論していきます。
(リーズはリザヴェータの愛称リーザをフランス風に発音したものだそうです。リーズと呼ぶかリーザと呼ぶか、で、彼女の存在をどう解釈するか、という考察もあるようですがここでは触れません。)

 自分が侮辱されることなどなんとも思わないアレクセイ。意外としたたかでリアリスト。時には傲慢と思われるような理屈も並べ立てて。
 他の登場人物からは信仰に厚い純真無垢の天使のように言われる彼ですが、本当はちょっと違うようです。
 そもそも物語の始まりの方で語り手の「わたし」はアレクセイのことをこう言っています。

わたしには、アリョーシャはだれにも増して現実主義者だったような気がする。

上巻p.58

 「誰にも増して」です。
 見習い修道僧なのに?

 アレクセイの内面はなかなか複雑で興味深いです。

  
 

 さて。次回は。
 私が最も好きな脇役を紹介します。
 と言っても、その人物像が好きというより(もちろん好きなのですが)物語への関わり方みたいなものが好きなので。
 その人はピョートル・イリイチ・ペルホーチン
 この人。「悲劇的な謎の死」にも奇妙な形で関わってきます。
 その辺りのドストエフスキーの書き方がなかなか面白くて。

 でも、もしかしたら既読の人でさえ、誰だったかなと思ってしまうくらいの脇役かも。な人物です。


次回 その6 脇役の魅力②「官吏ペルホーチン出世の糸口」


前回 その4 信仰のうすい人たち②  山を動かすことができる人


その1初めに はこちらから


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