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『カラマーゾフの兄弟』再読感想文 その7 脇役の魅力③ 二十カペイカ銀貨と三枚の百ルーブル札 (全12回)

※これから読む方々のためになるべく物語の結末部分に触れないようにしたいと思っていますが、説明上どうしても物語の流れや途中のポイントなどネタバレしてしまうと思います。少しでもダメな人はご遠慮ください。



その7 脇役の魅力③ 二十カペイカ銀貨と三枚の百ルーブル札

 前回。
 ペルホーチンとドミートリーの会話で、お金を盗んだことがあるかというお話が出ました。
 互いの罪や、それを罪として反省し告白する誠実さ、二人の心の交流が感じられるエピソード。
(ドミートリーは自分のことは話しませんが。)
 私の大好きなエピソードです。が。

 この「お金を盗むという行為」。
 形を変えて様々な場面で語られ、主題の一つになっているようです。

 そこで今回。
 さらに三人の登場人物を加え、このモチーフについてお話ししたいと思います。



1 ラキーチン 

『カラマーゾフの兄弟』の中には。 
 お金を盗まないから自分は正直だと思っている人が出てきます。

 見習い僧ラキーチンです。

 アレクセイの友人で、結構最初の方、「場違いな会合」あたりから出てきます。

 語り手である「わたし」はラキーチンについてこう言っています。

彼と非常に親しくしているアリョーシャを悩ませたのは、この親友ラキーチンが不正直なくせに自分ではまるきりそれを意識しておらず、むしろ逆に、自分はテーブルの上の金を盗むような人間ではないと自覚しているため、きわめて正直な人間とすっかり自分を決めてかかっている点だった。こうなるともう、アリョーシャのみならず、だれであろうと、手の施しようがないにちがいない。

ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』新潮文庫 上巻p.206

 だそうです。

 語り手「わたし」はラキーチンのことを「不正直なくせに」とはっきり言ってます。
 そして「お金を盗まないから正直だ」と思うなんて「手の施しようがない」とも言ってます。
 つまり「わたし」の考えでは。
 お金を盗まないからと言って正直とは限らない、むしろラキーチンのように不正直な人間もいる。
 ということに。

 このラキーチンという人。あちこちで色々言われています。

「君の兄さんのワーネチカがいつだったか、僕のことを《無能な自由主義の鈍物》と評したことがあったよ。

同上 中巻p.194-195

 三兄弟の次兄イワン。流石になかなか厳しいです。
(ワーネチカはイワンのことです。)

 長兄ドミートリーもアレクセイに言います。

ラキーチンと仲良くなった、だって? いや、とんでもない。冗談じゃないよ、あんな豚野郎! 俺を……卑劣漢と看做してやがるんだ。冗談も解さないくせに。

同上 下巻p.197

とか。

ラキーチンはいろいろ知ってやがるよ、いまいましい! あいつは坊主なんかにならないぜ。ペテルブルクへ行くつもりなんだ。向こうへ行ったら、評論の分野で活躍するんだとさ、上品な傾向のな。結構なこった、社会のためになり、しかも立身出世ができるとはな。ふん、あいつは出世の名人だからな!

同上 下巻P.199

と、散々です。
 ちょっと可哀想。

 でも実は。
 彼はアグラフェーナの従兄弟なのですがそのことを周りには隠しています。その上アレクセイを彼女のもとに連れて行ったら、彼女からお金をもらう約束なんてしていたり。
 かなり不誠実な人物に描かれています。
 
 さて。
 お金を盗んだことがあるけど誠実なペルホーチン。(かなりいい人として描かれていると思います。)
 お金を盗まないけれど不正直なラキーチン。(でも本人は自分を正直だと思っています。)

 この二人。
 下巻でホフラコワ夫人からの援助を巡って対立することになります。
(というより、ラキーチンが狙っていた夫人の興味がペルホーチンに向かってしまうという感じなのですが。ラキーチン。重ね重ねかわいそう。)

 ホフラコワ夫人を通して明らかに対照的なポジションに置かれている二人。
 作者ドストエフスキーの意図を感じないではいられません。


 そして実はもう一人。
 「お金を盗まなかった人」がいます。

 それはカラマーゾフ家の召使いスメルジャコフ
 彼については、その4の「山を動かす人」で少し触れました。
 新潮文庫上巻あらすじにも登場する主要人物の一人でもあります。
 脇役とは言えませんが。


2 パーヴェル・フョードロウィチ・スメルジャコフ

 せいぜい二十四かそこらの、まだ若い男なのに、おそろしく人ぎらいで、寡黙だった。人見知りするとか、何か恥ずかしがっているというわけではなく、むしろ反対に、性格は傲慢で、あらゆる人間を軽蔑しているようだった。

同上 上巻p.304

 彼はカラマーゾフ家に使える忠僕グレゴーリーとその妻マルファに育てられ、長じてカラマーゾフ家の召使になりました。

 そして彼は大金に手をつけなかったことで、三兄弟の父、フョードルに絶大な信頼を得ます。

一度こんなことがあった。フョードルが酔っ払って、受け取ったばかりの百ルーブル札を三枚、わが家の泥濘の中に落とし、翌日になってやっと気づいた。あわててポケットというポケットを探しにかかったとたん、ふと見ると百ルーブル札が三枚そっくりテーブルの上にのっているのだ。どこから降って湧いたのだろう? スメルジャコフが拾って昨日のうちに届けておいたのだった。「いやお前みたいな男は見たことがないよ」

同上 上巻p.309-310

 以来、フョードルは「彼の正直さを信じきって」(上巻p.309)「頭から信じ込んでいるのである。」(同上)

 「頭から信じ込んでいるのである。」なんて言い方。ちょっと引っかかりますよね。
 「でも本当は?」と聞きたくなってしまうような。
 
 彼が正直かどうか。
 それは物語を読み進めていくと少しずつ見えてきます。


 
 普通に考えると、お金を盗むことは悪いこと。

 でも盗まないからと言って正直とは限らない?
 逆に盗んだからといって不正直とは限らない?

「お金を盗むこと」と「正直さ」の関係。
 作者はなぜかここにこだわりがあるようです。

 興味深いです。


 ところでスメルジャコフは召使いですが。
 フョードルの子供では? という疑いがあります。
 本人も周りもそれを疑っていて。
(ここではその真偽については考えません。事実かどうかよりも彼がそう思っていることが重要だと思うので。)

 三枚の百ルーブル札の件の前から、なぜかフョードルは彼にちょこちょこと目をかけています。本を読むことをすすめたり、それが効果がないと、料理学校に行かせたり。
 同じ年頃の実の息子たち、三兄弟のことはほとんど、その存在すら忘れていたというのに。

 その後、三枚の百ルーブル札ですっかり彼を信頼するようになり、そばに置き、例の秘密の合図まで彼だけに教えます。

 スメルジャコフとフョードル。不思議な関係です。

 
 正直かどうかの問題と少しずれてしまいますが。
 スメルジャコフの性格描写で面白い箇所があるので紹介します。

 語り手の「わたし」は画家クラムスコイの『瞑想する人』という作品を例に取りあげます。

冬の森の中で、森の中の道に、ぼろぼろの外套に木の皮の靴を履いた百姓がたった一人、ひっそりと淋しい場所で道に迷ってたたずみ、物思いに沈んでいるように見えるのだが、べつに考え事をしているわけではなく、何かを《瞑想して》いるのだ。

同上 上巻 P.310

 そのイメージをスメルジャコフと重ね合わせるのですが。

 語り手の「わたし」によると、
 瞑想する人とは、例えばその瞬間、何を考えていたのか、と尋ねても思い出せない。
 何のためかもわからずただ印象を蓄え、突然全てを捨てて巡礼に出たり、故郷の村を焼き払ったり、あるいはその両方がいっぺんに起きるような人物で。
 民衆の中にはかなり多いのだそうです。

「わたし」はスメルジャコフもそうした瞑想家の一人だと言います。

 瞑想し、印象を蓄え、ある日突然、激しく行動を起こす。

 何だかちょっと怖いような。

 スメルジャコフという人。
 正直か否かは別にして。とても興味深い人物だと思います。

 
 
 さて。「お金を盗むこと」に戻りますと。

 この物語には。もう一人。この問題で大いに悩んでいる人物が登場します。
 それは長男ドミートリー。

 もう全然脇役ではないですが。


3 ドミートリー・フョードロウィチ・カラマーゾフ

 婚約者カテリーナから、彼女の叔母にお金を届けて欲しいと頼まれ大金を手にしてしまったドミートリー。しかしそれを届けず、アグラフェーナとの豪遊に使ってしまいました。
(ペルホーチンが心配していた豪遊よりもずっと前のことです。彼は既に一度、派手に豪遊しています。困った人なのですが)
 そしてそのことで悩み苦しみます。
 もしカテリーナにお金を返すことができなければ

──さもなければ『俺はこそ泥に、卑劣漢になってしまう。新しい生活を俺は卑劣漢として始めたくない』と、ミーチャは決心した。

同上 中巻p,256

カテリーナに返済し、それによって胸の《その個所》から、いつもそこに持ち歩き、そして彼の良心をこれほどしめつけている恥辱を取り除いてしまうための三千ルーブルを、もし手に入れることができなければ、この秘密は破滅と自殺に他ならなくなる、と彼は決心していたのだった。

同上 中巻p.311

盗むという行為に対し、彼は苦しみ続けていました。
(ミーチャはドミートリーのことです)

 さて彼は正直でしょうか?


 お金を盗んでしまい苦しむ人。
 盗んだことはあるけれどそれを正直に告白する人。
 盗まないから自分は正直だと思う人。
 盗まなかったから信頼される人。

 この問題。単純ではないようです。


 さて次回は。
 もう一人、どうしてもお話ししたかった脇役。
 マクシーモフを紹介したいと思います。

 この人も
 だれ?
 となるかもしれませんが。

 彼と対照的なフョードル(三兄弟の父)、純朴な青年カルガーノフ、ドミートリーの想い人アグラフェーナの三人も一緒に。
 最初の登場からは想像できないような、最後に彼が落ち着く場所のお話とか。
 こういう人物が描かれていることが、カラマーゾフの魅力の一つなのでは? と、私が思った人です。


 ただ、来週、9月24日はカラマーゾフ再読感想文を一回お休みする予定です。
 その8 脇役の魅力④『人間はだれだって必要なのよ。』はその次の週の火曜日、10月1日公開としたいと思います。
 以降、その9から終わりまで。順次、予定より一週間ずれて公開になります。

 なぜかというと。
 noteで、9月中、「有料記事キャンペーン」をしていると知りまして。
 せっかくなので参加してみようかなと思ったのですが、カラマーゾフは続きもので始めてしまったので別のものにしたいなと。

 というわけで、
 次週9月24日は別のものを。 
 いまのところ、「百年の孤独」の初読感想文か、「ナイルに死す」の再読感想文のどちらかにしようと思っています。

 読んでいただけると嬉しいです。


 あ、今その1に書いてあった公開予定の日付を直そうとして気が付きました。
 その7とその8の両方とも9月18日公開予定になってました。
 ごめんなさい。
 まとめて直しておきます。

 ということで。
 カラマーゾフ再読感想文は10月から再開になります。

 よろしくお願いします。


次回 その8 脇役の魅力④『人間はだれだって必要なのよ。』


前回 その6 脇役の魅力②「官吏ペルホーチン出世の糸口」

その1 はじめに はこちらから

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