見出し画像

『カラマーゾフの兄弟』再読感想文 その9 物欲の権化 『こんな男がなぜ生きているんだ!』 (全12回)

※これから読む方々のために、なるべく物語の結末部分に触れないようにしたいと思っていますが、説明上どうしても全体の流れや途中のポイントなどネタバレしてしまうと思います。少しでもダメな方はご遠慮ください。


その9 物欲の権化『こんな男がなぜ生きているんだ!』

 前回まで、魅力的な脇役のお話をしました。
 主要な人物に勝るとも劣らない、生き生きと描写される脇役達。

 でももちろん。
 この物語の主要な人物、カラマーゾフ家の人々。
 彼らはそれを超える魅力と複雑さを持っていると思います。

 父 フョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフ
 長男 ドミートリイ・フョードロウィチ・カラマーゾフ。
 次男 イワン・フョードロウィチ・カラマーゾフ。
 そして三男でこの物語の主人公 アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフ

 新潮文庫の上巻裏表紙のあらすじにあるあの父と三兄弟。

 あらすじではそれぞれ

「物欲の権化」(フョードル)
「放蕩無頼な情熱漢」(ドミートリイ)
「冷徹な知性人」
(イワン)
「敬虔な修道者」
(アレクセイ)
 
 と一言ずつ添えられていますが。
 もっと他の、複雑な面には触れられていません。
 それはあらすじなので当然ですが、でもそちらに私の好きな部分があるので、その辺りをお話しできればと思います。
(同じくスメルジャコフ。彼についてもお話ししたかったのですが、すでにその4とその7でかなり取り上げましたので今回は見送ることにします。)

 カラマーゾフ家の彼ら。
 それはもう。複雑で深くて魅力的な人たちです。

 まずは「物欲の権化のような」フョードルから。



1 フョードルの複雑な内面。 

 ① 物欲の権化?

 修道院での「場違いな会合」。
 問題の諍いはある女性のこととか、お金のこととか。
 フョードルは修道院の中でも、「物欲の権化」ぶりを存分に発揮し、下品な物言いをやめず、周りを不快にさせます。
 その結果、皆の怒りをかいます。

「恥を知りなさい!」突然イォシフ神父が叫んだ。
「恥を知りなさい、みっともない!」終始黙っていたカルガーノフが、青年らしい声を興奮に震わせながら、顔を真っ赤にして、ふいに怒鳴りつけた。

ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」新潮文庫 上巻p.178

 イォシフ神父は会合に立ち会った司祭修道士の一人です。
 カルガーノフは前回お話ししました。
 このあと、年老いた地主のマクシーモフと仲良くなる予定の彼。マクシーモフと対照的なフョードルに対して、彼の態度もやはり対照的です。


 フョードルは会合の当事者でもない二人にこうまで言われ、さらに息子であるドミートリイからも。

「こんな男がなぜ生きているんだ!」もはやほとんど怒りに狂ったようになり、なにか異常に肩をそびやかし、そのためほとんどせむしに近い格好になったドミートリイが、低い声で唸るように言った。「いや、教えてください、この上まだこんな男に大地を汚させておいてもいいもんでしょうか?」片手で老人を指差しながら、彼はみんなを見渡した。

同上

 散々です。

 この時のフョードルの振る舞いを見れば確かに皆の非難も当然というか。
 読者も下品で道化のような彼に辟易するかも。

 でも。
 フョードルの「物欲の権化」ぶり。これでもかという卑屈な道化ぶり。
 
 ある意味なかなか見事です。


 ② 知性と苦悩

 一方で。
 彼はかなり賢く楽しい面を持っていると思います。
(だからこその道化ぶりだと思うのですが。)

 彼の賢さ。
 すでにその3とその4でかなりお話ししてしまったので、詳しくはそちらを読んでいただけると嬉しいですが。

 ここで簡単に繰り返しますと。

 例えば、
 「地獄に鉤があるのか」というエピソード。

 俺みたいな悪いやつは地獄に落ちて鉤に引きずられなければ。
 でもそうするとその鉤をかける天井がなければ。
 でも天井なんてあったら地獄らしくないから困ってしまう。

 などとアレクセイを揶揄うフョードル。

 賢くて、洒落の上手い面白い人間。

 それから。
 「山を動かすことができる人」のエピソード。

 もしかしたらこの世の中に一人か二人くらいはその信仰の深さゆえに山を動かすことができる人がいるかもしれないというスメルジャコフを笑いながら。
 その一方で。
 本当に神はないのか? 不死はないのか? と必死にイワンに問いかけてしまうフョードル。

 信仰心と知性の間で揺れ動く苦悩を抱えている彼。

 フョードルは複雑で賢い人でもあるのだと。
 私にはそう思えます。


 ③ 老いの哀れと意地

 物語を再読する良さは。
 歳をとってからの自分の感覚と若い頃のそれが異なることにもあると思います。
 昔見えなかったもの感じなかったものが、若い頃よりも強く印象に残ることがあって。

 知識人の賢さと苦悩の次に、さらに歳をとった私が強く心惹かれたフョードルの魅力は。

 老いの哀れ。

 誰の前でも道化を演じ、自分も他人も貶め、誰にも心を許さないフョードル。 
 それは誰もが自分を非難し、蔑んでいると思うから。
 世の中のだれもが自分を非難していると感じている。ちょっと悲しい人間です。
 成り上がりものの悲しみ。
 そして彼も老いて。

 彼が老いを感じ始めた頃、突然現れた三男アレクセイ。
 彼だけは自分を非難しない。

 すると彼はアレクセイに対してこんなふうに言うのです。 

とにかく俺は、お前だけがこの俺を非難しなかった、この世でたった一人の人間だと感じているんだよ。なあ、お前、俺は本当に感じているよ、感じずにはいられんものな!

上巻 p57

「待て、待て、待ってくれよ、もう一杯だけ。俺はアリョーシャを侮辱しちまったな。怒らんだろうな、アレクセイ? なあ、かわいいアリョーシャ、アリョーシャ坊や!」
「いいえ、怒ってませんよ。お父さんの考えはわかっていますもの。お父さんは頭より心の方が立派なんです」

上巻 p.331

 アレクセイはだれに対しても。フョードルに対しても優しい。
 息子の優しさは、それまで他の人間からは決して彼に与えられなかったもの。彼にとっては本当に貴重なものだったと思うのです。

 しかし同時に彼はアレクセイにこうも言います。

だが、俺はあと二十年くらいは男として通用したいんだ。そうなると、年をとるにつれて汚らしくなるから、女たちは自分から進んでなんぞ寄りつきゃしなくなるだろう、そこで金が必要になるというわけさ。

上巻 p.424

 フョードルは歳をとっても女性を惹きつけたい。そのためにお金が必要。だから息子にやる金などない。
 と唯一自分に優しい息子アレクセイにも宣言するのです。


 一般にフョードルは横暴で好色で嫌味な老人という印象が強いようですが。
 確かにそういう面はあると思いますが、同時に、知的で、機知に富んだ洒落のうまい、面白い人物でもあって。腹を立てていない時の彼はなかなか楽しいです。
 それなのに他人を苛立たせるような言動をしてしまう。
 彼の闇は深く。
 そして悲しい。

 傲慢で身勝手。卑屈な道化を演じる卑しさ。
 知識人の賢さと苦悩。
 老人の哀れ。

 フョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフ

 この複雑さはかなり魅力的だと私は思います。


2 ゾシマ長老の分析


 さて。
 彼の複雑な性格構造を物語の最初の方で分析し理解した人物がいます。

 それはゾシマ長老
 彼は主人公アレクセイの尊敬する長老。アレクセイは彼がいたから見習い修道僧になったほど慕っています。

 そしてゾシマ長老が立ち会う「場違いな会合」。
 長老はほんの少しの間その振る舞いを見ただけでフョードルにこう言います。

大事なのは、いちばん大切なのは、嘘をつかぬことです

上巻 p.102

おのれに嘘をつく者は、腹を立てるのもだれよりも早い。なにしろ、腹を立てるということは、時によると非常に気持ちのよいものですからの、ではありませんか? なぜなら本人は、だれよりも自分を侮辱した者などなく、自分で勝手に侮辱をこしらえあげ、体裁をととのえるために嘘をついたのだ、一つのシーンを作りだすためにおおげさに誇張して、言葉尻をとらえ、針小棒大に騒ぎ立てたのだ、ということを承知しているからです。それを自分で承知しておりながら、やはり真っ先に腹を立てる。腹を立てているうちに、それが楽しみになり、大きな満足感となって、他ならぬそのことによって、しまいには本当の敵意になってゆくのです・・・さ、お立ちになって、お掛けなさい。どうぞおねがいです。それもやはり、すべて偽りの行為でしょうが・・・

上巻 p.103

 さすがゾシマ長老。

 周りのだれもがフョードルの卑しく道化た言動に辟易し蔑む中。
 ほんの少し話をしただけでその心のうちを見抜いてしまう。
 フョードルの行動の仕組みを言い当ててしまうゾシマ長老の洞察力。
 
 なるほど。となりました。


 ゾシマ長老。
 彼もいうなれば主人公アレクセイにとってとても重要で大切な人で、父親的存在でもあります。
 心の父のような存在。
 ゾシマ長老も弟子の中でとりわけアリョーシャに愛情持って接しています。それはアリョーシャの顔が自分の亡くなった兄に似ているからなのですが。その辺りはその12でお話ししたいと思っています。
(そういえばイワンもアリョーシャの顔が好きと言ってますね。)


 フョードル。
 ゾシマ長老。
 そしてもう一人。その5でご紹介した、二等大尉スネギリョフという人もイリューシャの父親ですが。

 「カラマーゾフの兄弟」には「父と子」という主題が重要なモチーフになっていると思います。

 その関係をロシアと民衆、国家と革命家になぞらえ、第二の小説を予想する興味深い解説なども多く面白いのですが。

 それはそれとして。
 それぞれの父親像の描かれ方。
 面白いと思います。


 とりわけアレクセイの父、フョードル。
 彼の人物造形の見事さ。

 再読するたび心惹かれます。


 さて。次回は
 いよいよ三兄弟

 まずは長男ドミートリイ
「悲劇的な謎の死」の事件の主役のような彼。

 先日の舞台では松本潤さんが演じられたとか。
 配役を聞いた時、あ、あってるかもと思いました。

 なかなか魅力的な人物です。

 


次回 その10 三兄弟① 「放蕩無頼な情熱漢」

前回 その8 脇役の魅力④『人間はだれだって必要なのよ。』


その1 はじめに はこちらから



#海外文学のススメ

いいなと思ったら応援しよう!

十四
よろしければサポートお願いします!