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内向型の私が49歳で初めて発信に挑戦してみたら人生が覚醒した話


こんにちは。パーソナルメンタルコーチのしんかいさんこと新海智子です。

私が初めてSNS発信をはじめたのは、いまから2年半前。

それまでは、いわゆる「見る専」だった。

内向型な私は、自分のことを発信するなど恐れ多く、また私の発信など誰も興味ないだろうと「見る専」を貫いてきた。

なんて、貫くなんてかっこいいものではなく、ただただ発信ができなかっただけだ。

今からちょうど2年半前に「note」を書き始めたのだが、その日まで私は「note」というものの存在も知らずにいたのだ。

その前の月、私は自分に呆れていた。なぜなら、「今まで山ほどインプットをしてきたが、果たしてこれは何かに役立っているのだろうか」という疑問が湧いてきたからだ。

向学心を満たし、楽しいという気持ちがあったが、急に自分だけを満たしていることに嫌気がさしてきたのだ。

なぜなら、私は人生の後半に自分の経験や学びを人の貢献に活かしたいと、20代からずっと願ってきたからだ。

しかし、私は50歳という節目をまえに、さらなるインプットという学びに走ろうとしていた。

それは、具体的に言うと49歳で大学を卒業した後にそのまま大学院へ行こうとしたのだ。

これは、一見前向きな行動に見えるが、私にとっては、「アウトプットをしない」ための逃げであることは自分で気づいていた。内向型な性格や完璧主義が邪魔をし、「アウトプットする」という未知の世界への一歩を踏み出さないで済む理由を自ら作り出そうとしていたのだ。

それは私が私自身を「内向型」に対してステレオタイプな見方をし、長年に渡り私のアウトプットを制限してきた私自身の生き方のパターンそのものであった。

私は幼少期より、どこからかいつも「内向型はよくない」というメッセージを引き寄せ、自分を否定し、外向型にみられるように頑張って演じてきた。

大勢の集会に行けば頑張って無理して話かけてみたり、会議ではしたくもない「質問」を挙手してみたりと、積極的で外向型な人間に見られることばかりを意識して生きてきた。

外向型にみられる策はとくに20代は徹底していた。

明るく元気にみられそうな営業職を選んでみたり、波乗りもそうだ。当時、雑誌「Fine」というものがあった。

女子サーファーがモデルとなっている雑誌だ。そこに映るモデルたちは何とも明るく外向的な様子だった。

私の「見られたい理想の姿」がそこにはあった。そのため、私は20代、その子たちをロールモデルとし湘南でボディーボードを始めた。

しかし、やってみるとこれ自体は個人スポーツで意外と黙々とやる地味なものあった。そのため、沖で波待ちする時間は、内向型な私にとって誰にも邪魔されない、ほどよいパーソナルスペースを確保でき、思考を落ちつける場となり性に合っていた。「来る波に全集中」という、マインドフルネス状態であり、ストレス発散となっていたのだ。

冬の海でも台風でも頭サイズ波に向かっていき、グーフィーの面ツルの波を乗りこなすガチの波乗人になっていて、気のおける友人や一人で七里ヶ浜の海に行き、気づけば20代を波乗人として生きていた。



「note」をはじめて気が付いたのが、SNSは内向型な人間に最適な場所であるということだ。

大勢の中にいても、だいたい聴く専の内向型な人間。いつだったか「内向型な息子は、くらいつくサッカーより、順番に出番が回ってくる野球の方があっていた」と、どこかのママ友が言っていたが、順番が回ってこないと発言できない自分に重ね妙に納得したこともあった。

いつも自分の話は後回し、いつも聴く専門。だから話すバンなど永遠に回ってこない。これはZOOMでもそうだ。いざ話そうと決死の覚悟をして一声を上げると、だいたい外向型な人とかぶり、かぶされて終わる。次に発言しようと、ドキドキしていたって、さらに別な外向型な人がしゃべりだす始末。
いつだってそうだった。

そのような状況がたて続けにあると、♪私は東京生まれ 内向型育ち 地味そうな奴は大体友達♪と、まるで自分をディスるかのような替え歌が脳内でリフレインする事もある。

しかし「note」は違った。話をしている途中だれにも邪魔をされないし、かぶされもしない。はじめて自分の思ったことを最後まで発言できる場であった。

SNSがそんな場所だなんて50年も知らなかった。

「note」で実名顔出しをするには、壁がいくつもあった。内向型な私が、実名顔出しするなんてとんでもなかった。

「だって、だって。私の書いていることが、職場の人や近所の人、ママ友や昔の同級生にまで、見られることもあるわけでしょ。」
「あの人、こんな風に思っているんだ。と思われるのではないか」と妄想族になった。

そのため、はじめからはアイコンに顔出しはハードルが高くできなかった。しかし、私のメンタルブロックをとっていくにつれて、私のアイコンは変化を遂げていった。

花→蝶→後ろ姿→似顔絵→顔写真 と。
幾度となく生まれ変わってきた。

外向的な人は、何も考えずに「顔出しBoooooooon!」としているのかと思うと、
すごい、すごすぎる!!尊敬しかなかった。

私はこれひとつするにも、どんだけの時間を要し、どれだけの葛藤やメンタルブロックを乗り越えてきたのかわからない。


私にはひとつ謎がある。何故「note」というSNSにヒットしたのかということ。

どうして「note」にヒットしたのか、なぜこのSNSから始めたのか、自分でも覚えていない。

インスタとかフェイスブックとかは名前も知っていたし、見たこともあったのに、それまで一度も見たことも聞いたこともない「note」という媒体に辿り着き、選び、書き出したのか謎なのだ。

はじめての発信では、とにかく自分の思っていることや経験をありのままに発信することを決めていた。

それは、人生の後半には、内向型な部分も含め、全てを受け入れ、こうゆう人間であると堂々と生きようと決めていたからだ。

子どもの頃から、内向型な人を悪い人、心身共に弱い人、だめな人だと思っていた。しかし、今は全くそうは思っていない。

内向型な人というのは、ただ騒がないだけで、ちゃんと考えがある。思慮深く、内省力があり、探求心や向学心もあり、慎重な面もあるから信用もあったりすると思っている。

私は、内向型な自分を開示することにより、想像していなかった未来があった。

それは、内向型な私がいままでひそかにしてきた沢山の谷山の人生経験を発信することで、それを様々な形でご興味をいただく機会を得た事だ。

その機会を得られたのは、内向型な私にとって一番大きな壁であった「実名、顔出し」の私なりのリスクをとった恩恵ではないかと思っている。

内向型な私はSNSで「顔出しする」ということが、地元の街をすっぱだかで歩くくらいの抵抗があるからであり、その壁を乗り越えるには、さまざまなメンタルブロックをはずしていく必要があった。

自分の殻を破るというのは、とても勇気がいること。けど、その殻を勇気をもって一度破ってしまうと、意外となんてことなくて、自縄自縛していたことに気付く。

もし、私のように「殻をやぶりたい」と思っている内向型の人がいたら、noteで顔出し、実名で発信することをオススメしたい。やってみて嫌だったら、すぐやめたらいい。

そこには想像していなかった未来がきっとあると思う。


私が喫茶店で読書をしていることをSNSで発信し、暇そうにしていると、外向型の知人は私を誘ってくる。しかし、私にとってこの「喫茶店で暇そうにしていること」は、私の大切な充電時間なのだ。

外交型な人は人と会うことでパワーをもらうそうだが、内向型な人は逆。暇そうにしている一人時間でパワーを得られるのだ。よって、「暇そうにしている」のはなく、「充電している」ということを、この場を借りて外向型な人にお伝えしておこう。

といっても、誘ってほしい。誘われないと寂しいという、アマノジャクな内向型の私だから。

感謝しています。
しんかいさんこと新海智子


内向型な私が「note」で発信していたら先月に日経xwomanの取材をうけることになりました。これも想像していなかった未来です。ご覧いただけますと幸いです。

今回、私の発信にご興味をいただいたこと、取材に携わってくださった方々にに心から感謝申し上げます。ありがとうございました!




その他 発信を通じて受けた取材など


#想像していなかった未来

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