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ころがろう書店の定期便|もの思う葦

今月もときめきが届いた。

今月届いたのは
「もの思う葦」太宰治

(なぜ私が「人間は考える葦である的なこと言ったの誰だっけ…」とぼんやりと思案していたかがわかるでしょう。)

前回の檀一雄氏との出会いから、その盟友である太宰治の存在は気になっていた。

しかし、近代文学について学のないわたし。
恥ずかしながら、太宰治は走れメロスしか履修していない!

気になるけども何から読めば…と思案していたところでの、太宰の到着。
しかもこの「もの思う葦」は彼のエッセイ集である。
星野源、原田マハ、村上春樹と気になる文筆家たちのエッセイに浸っている、いわばエッセイブームがきている私にとって、この上ない太宰デビューである。

まるで、私の心のうちを見透かしたような選書に、包みを開けた途端歓声の声をあげてしまった。

声につられてやってきた子どもたちに、「みてよ、太宰治だよ!最高!」と言った。
キョトンとされた。


さて、さっそく読み始めるが、驚いたのはその文体。
近代文学って何だか難しそう…しかも太宰…という私の不安をいい意味で裏切る、軽快な文章。
前回の檀一雄氏といい、太宰治といい、この時代の文筆家たちの文章は小気味良い。

言葉遊びというだろうか。
職業的小説家として文章を自在に操るのは当然のことなのだろうけど、近代の言葉を操るのは、今を生きる作家たちの文章とはまた違った面白さを感じる。

そして、縛りなくのびのびと(あるいは行きすぎるときもあるが、それとして)書くエッセイだからこその、魅力。
言葉こそ古くとも、文章の鮮度は確かなものだ。

太宰治の第一歩として、「もの思う葦」に出会えたことは、このうえない幸運な巡り合わせだ。


多幸感と共に、読了した一冊を本棚にしまった。

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