「まごわやさしいご飯」を作ってみた話
【まごわやさしい】
この言葉を初めて聞いたのは、当時、まだ現役の野球選手だった工藤公康さんのドキュメンタリーを見たときのことだ。
テレビカメラは工藤氏の自宅キッチンを映し出し、そこで奥さまの雅子夫人が手際よく料理をしている。大きな冷蔵庫を開けると、そこにはたくさんのタッパーが並んでいた。中身はすべて、下処理された食材や、夫人手作りのお惣菜だ。きちんとラベリングされ、整理された冷蔵庫は、なかなか壮観なものだった。
「やはり、食事はかなり気にされているんですか?」
ディレクターと思われる男性から、そう問われた夫人は、毎日のことなので難しいことはできない、と謙遜しつつも、
「一応、孫は優しいを目安にして料理しています」
と答えた。
孫は優しい?
咄嗟に祖父母の肩を叩いてあげる孝行な孫の姿が浮かんだが、もちろん、その孫のことではない。
食材の頭文字をとったこの標語は、食品研究家で医学博士の吉村裕之氏が提唱した、バランスの良い食事の覚え方だったのだ。
私は魔法のようにスイスイ調理を続ける夫人を眺めながら、
はぁー、まごわやさしいかぁーなるほどねぇ。
そう感心しつつ、私もできるだけ《まごわやさしい》を心掛けたいと思ったのであった。
それから十数年が経過した、先日のこと。
私は、ある動画を目にした。
デザイナーの板井亜沙美さんが、家族に朝食を作るシーンを撮影したものだ。そこで板井氏は、
《まごわやさしい》
を意識した食材を入れて炊き込みご飯を作り、おにぎりにしていると話していた。
私は十数年前と同じように、なるほどねぇと感心し、その手があったか、と膝を打った。
《まごわやさしい》をすべて網羅した食事を作るとなると、どうしても品数が増える。小鉢がたくさん並ぶ食卓は華やかだが、完食できず、食品ロスに繋がることもある。
ある程度の食材を、ご飯に入れて炊くか、混ぜご飯にすれば、子供やお年寄りにも食べやすいし、何より時間のない朝にピッタリだ。
夫はお昼ごはんに、職場におにぎりを持って出かけるのだが、それだけでは栄養が偏る。朝食と夕飯で補っているつもりではあるが、できればお昼もバランスのいい食事をしてもらいたい。この《まごわやさしいご飯》は、おにぎりだけのお昼にもってこいではないか。
そう思った私は猛然とキッチンに向かった。
まず、芽ひじきと干しシイタケを水でもどす。
戻った干しシイタケ、人参、油揚げを、ご飯粒に混ざりやすいように、すべてみじん切りにする。
今回は炊き込むのではなく、味をつけた具を混ぜ込むことにしたので、切った食材を、醤油、酒、みりんで味をつけて炒め煮にした。
水分を飛ばしながら鰹節とすりごまを入れ、混ぜご飯の素は完成。
今回の《まごわやさしいご飯》は、以下のメンバーで形成されている。
《い》の芋類が不在である。
今回、おにぎり用に作り置きして冷凍保存をしたいので、芋類にはご遠慮いただいた。芋、すまぬ。
ご飯も炊きあがり、自作の混ぜご飯の素を投入し、かき混ぜていく。たくさん作ったので、夕飯でも食べることにした。帰宅した夫に、うやうやしくお茶碗を差し出しながら、
「今日はね、栄養たっぷり《まごわやさしいご飯》だよ!」
私は得意気に言った。すると、茶碗によそったご飯を見るなり、夫はこう言い放ったのである。
「わー、美味しそうなひじきご飯だねぇ」
夫の言う通り、その姿は見紛うことなく、ひじきご飯そのものであった。
《まごわやさしい》を実践すべく、勢い込んでキッチンに立ってはみたものの、私はただ、ひじきご飯を作っていたに過ぎなかったのである。