きりたんぽ鍋騒動
その日、日本酒を買ったので、熱燗にきりたんぽ鍋としゃれこもうと準備をしていた。普段、きりたんぽ鍋はそんなに食べないのだが、柔らかく炊けてしまったご飯を冷凍してあったので、それを消費するために、きりたんぽを作ってみる気になったのだ。
ご飯を解凍し、ボウルに入れて木べらでぐりぐり潰し、片栗粉を入れてさらに潰した。水で湿らせた短めの菜箸に作った生地をまとわせ、魚焼きグリルで丹念に焼く。半額だった鶏もも肉のひき肉で肉団子を作り、その汁でもも肉を煮た。
ゴボウやマイタケ、長ネギなどの野菜を用意し、8割方支度ができたなと意気揚々としていて、ハッと気が付いた。
セリがない…。
うっかりしていた。自分があまりこういった香り野菜を好まないせいで、セリのことをすっかり忘れていたのだ。きりたんぽ鍋には、ご飯固めて焼いた、たんぽ餅があればいいと思っていた。
秋田の郷土料理であるきりたんぽ鍋には、セリが欠かせないと聞く。ここで着目したいのは「欠かせない」と言われている点だ。セリがなければ、たんぽ餅が何十本と用意されていようとも、きりたんぽ鍋とは認めない。そういう秋田県民の強い意志を感じる。
その土地独自の名物には、他県民にはわからない地元民のこだわりがあるものだ。私はたまに山梨名物のほうとう鍋を作るのだが、ほうとうも、あの平べったい麺さえあればいい、という食べ物ではない。山梨出身の人に「自分でほうとうを作りたい」と言ったとき、
「かぼちゃと油揚げは絶対に入れて!」
と強く言われた。肉は無くてもいいが、かぼちゃと油揚げがなければほうとうは作るべきではないそうだ。かぼちゃと油揚げがなければ、上杉謙信と戦えないのだ。ほうとうにとって、かぼちゃと油揚げは必須アイテムなのである。
かぼちゃと油揚げを入れないで、ほうとうを作った日には、きっと上杉軍に攻め込まれてしまうに違いない。そうなってから、
山梨県民の言うとおりに、かぼちゃと油揚げを入れておけば!
と後悔しても遅い。我が家が川中島になってしまう。
そんなトラブルは、どうにかして避けなければならないので、私はほうとうを作るときにかぼちゃと油揚げは欠かしたことがない。
それと同じように、きりたんぽ鍋にも、セリは必須アイテムなのだ。しかし、今、我が家にはセリはない。そして買いに行くほどの余力もない。早く買ってきた日本酒を口開けして、鍋をつつきたい。私は早く飲みたいのだ。邪魔しないでもらいたい。
だが、もし、セリの無いきりたんぽ鍋をつつこうものなら、
悪い子はいねぇがぁー!!!
かの有名な、なまはげが襲ってくる可能性もある。熱燗を飲んで酔いが回ってるところを襲われたらたまらない。
秋田県民にとってきりたんぽ鍋にはセリは必須。その掟を破った者には、きっと他県民であっても容赦しないだろう。
しかし何度も言うように、今、我が家にセリは無いのだ。こればかりはどうしようもない。そうなると、こちらも万が一のために、なまはげ対策を練っておかなければならない。
子供のように、怖がって泣く、という手もある。なまはげさんも、ああ見えて女の涙には弱いかもしれない。
しかし、四十路の酔いどれ女が、どれだけワンワン泣いたところで、ただの泣き上戸に過ぎない。なまはげにあっさり、悪い子認定されておしまいである。
なまはげの弱点は何だろうと、その姿を想像してみて、ふと思いついた。
なまはげ最大の弱点は藁だ。
なまはげは、藁でできたミノ状の衣装をまとっている。
藁は燃えやすい。カツオを一気に炙ってたたきにしてしまうほどの威力がある。あまりにひどい乱暴をしてくるようなら、火の点いたロウソクを手に、なまはげを追い回せばいい。
しかし、その恐ろしい形相のせいで、うっかり忘れていたが、なまはげは神様の使いなのである。
なまはげが自然に落とした藁は、拾って戸口に留めておくほどのラッキーアイテムだそうだ。そんなラッキーな存在である来訪神のなまはげを、ロウソクを片手に追い回していいはずがない。罰当たりである。
もし、なまはげもイケル口なら、「いらっしゃいませ!」と出迎えて、口開けした日本酒を飲ませて酔わせてしまうのが一番穏便な解決方法かもしれない。
もし、煮えた鍋を見て
セリがねぇ!
と言われたら、「まぁまぁ」となだめて熱燗を振舞えばいい。さすがのなまはげも、旨い酒には敵わないはずだ。
なまはげと私、どちらが先に酔いつぶれるか、乞うご期待である。