今川焼きで御座候
明け方、こんな夢を見た。
駅の地下街のような場所に、御座候(ござそうろう)
と書かれた看板の店があった。
私はその店の前で、外国人と共に列に並びながら、
今川焼きを食べている。
何故外国人であったか、わからないが、
日本の菓子に興味津々といった様子で、その外国人たちも
嬉しそうに今川焼きを頬張りながら列に並んでいた。
所詮夢の話なので、脈絡はないだろうが、
予想するに、一つ買って食べてみて美味しかったから、
再度購入しようと列に並んでいる状況なのだろう。
しかも不思議なことに、夢の中で食べていた今川焼きは、
いつも目にする、円柱を切ったような収まりのいい形ではなく、
生地があんこを包みきれないほどに分厚く、
その見た目は、今川焼きと言うよりも、
あんこが横からはみ出た、円柱型のどら焼きのようであった。
現実では、そんな今川焼きは見たことがないし、
実際にある御座候の店舗でも、そういった
あんこのはみ出た今川焼きは売られていない。
まさにこれは、夢の中の出来事なのである。
しかし、夢なのにもかかわらず、これが、美味しいのだ。
適度にもちっとした生地に挟まれた大量の粒あんは
甘さ控えめなのに、しっとりホクホク。
普通、こんなにあんこが入っていたら、食べ疲れがしてしまうだろうが
それがまったくなく、あっさり食べられる。
そんな風変わりな今川焼きをほぐほぐ頬張りながら私は、
これなら、おばあちゃんも喜びそうだな。
と思いながら食べていた。
普段、私は、今川焼きを買うことはないのだが、
夢の中の私は、それを買い求めるために、
何故か、外国人とともに列に並んでいる。
並んでいるうちに今川焼きを食べ終え、注文は、私の番となった。
いくつ買うか一瞬迷い、店員さんに、
「五つ下さい」
と言ったところで目が覚める。
目覚めたその日は、祖母の命日であった。
亡くなって、ちょうど一年になる。
昨年の今頃は皆、正体不明の疫病に震え、
世界中の人が、まるで手配犯にでもなったかのように、
家の中で息を潜めて静かに過ごしているような日々だった。
それゆえ、祖母の見舞いにもいけず、死に目にも会えず、
葬儀に参列することも叶わなかった。
そのせいか、未だに死なれた気がしない。
夢に祖母が出てきて、目が覚めると、一瞬、
祖母の生死がわからなくなる。そして二、三秒後、
あぁ、もういないんだ、と我に返るのだ。
祖母は私に会う度に、
「何か美味しいもの知らない?」
と聞くのが常であった。
それは私の意識に暗示のようにこびりついているようで、
何か美味しいものを口にすると、
自動的に祖母の顔が浮かぶようになってしまった。
それは亡くなって一年経った今でも変わらない。
せっかく夢で見たのだから、命日のその日、
私は今川焼きを買って、祖母に供えようと思った。
しかし、近所に思わしい今川焼きの店がない。
仕方なく私は、近所のスーパーで、
冷凍の今川焼きを買って帰ってきた。
私は関東出身なので、今川焼きと呼んでいるが、
北海道、東北、中部、四国では大判焼き、
関西、九州では回転焼き、または御座候、
広島では二重焼きと、
見た目の同じ食べ物で、地域によってこんなに呼び名が変わる。
私は【今川焼き】と大きくパッケージされた袋を開け、
カチカチの今川焼きを取り出すと、
祖母が食べやすいように半分に切って電子レンジで温めた。
湯呑に緑茶を淹れ、お盆に置く。
「はい、ばーさん、どうぞ」
わざわざ声に出して言ってみる。
仏壇があるわけではないが、何となく手を合わせた。
「あら、悪いわねぇ、頂くわ」
祖母がそう言っているような気がして、少し口元が緩む。
数分してお供えを引き上げ、祖母のお下がりを頂く。
「じゃあ、ばーさん、頂きます」
半分に切った今川焼きを、夫と二人で分け合って食べた。
先程まで冷凍されていたと思えないほど美味しかった。
これならば祖母もきっと、
「へぇ、案外美味しいわ」
と言って、食べてくれたに違いない。
祖母が亡くなって、もう一年、まだ一年。
母や姉、私以外の家族が感じる、それぞれの時間があるだろう。
私はと言うと、「もう」なのか「まだ」なのかよくわからない。
そうやってどちらにも、思わないようにしているのかもしれない。
祖母にお供えしてからというもの、
我が家の冷凍庫には、冷凍の今川焼きが常備されるようになった。