10日ほど前から、よほど時間がない時以外は薪で風呂を炊いている。 母屋の風呂は灯油を使って沸かすようになっているが、薪で炊くこともできるようになっている。 父はほとんど灯油を使うことはなく、夏は倉庫の屋根の上の太陽熱温水器の湯を使い、冬は、使わなくなったハザがけ用の棒や以前の家の廃材、庭木や果樹を切った枝などを薪として風呂を炊いていた。生活時間が違うので、わたしは母屋の風呂には入らず、自分が生活している離れにつけてもらったユニットバスで、ガスで沸かした湯を使っていた。 母が
先日海に行った。裸足で砂浜をあるき、海に足を浸して浅場をしばらく歩いた。晴れた日。水は冷たくて、足が痺れた。 わたしは海が大好き。 海には遠足でしか行かないような街で育ち、海に遊びに行くことがあっても、いつもどこかよそ行きの場所のようだった。30歳すぎてそれまでの仕事をやめて看護学校に入学した。その学校が海まで2分の場所にあった。2月、受験の時に初めて学校に行って、光あふれる海にとろけた。試験が終わって浜に降りて、ビーチグラスを集めながらしばらく海にいた。野比海岸はわたしに
意識2022年9月7日朝 午前4時半。 離れから引き戸を開けて外に出ると、Tシャツ、パジャマのズボン姿の父が倒れていた。 ギョッとしたが、何回か大きい声で呼びかけると「ふあぁ」と息を吐きながら声にならない声で答えた。 コンクリの上、棒の杖を持ったまま。 後頭部を確認したが出血はない。 霧雨が降っている。 身体は冷えていた。 昨夜は立つこともままならなかったのに、どうやって外に出たのか? 母屋の裏口は鍵がかかったままだった。 叱咤激励しながら何とか起こそうとするが身体は全く
昨年9月、89歳で父が亡くなった。 亡くなるまでの介護の時間は今まだ言葉にしようがなく、言葉にしようとすると取り留めなく、まとまりないものになってしまう。が、時間とともに確実にその実感は薄れつつある。 介護ってそういうものかもしれない。ひとつひとつの出来事は些細な、取り留めがないようなこと。その徒労感。終わりが見えない閉塞感。闘う相手は父ではない。自分の中に出てくる鬼である。自分の中に棲む鬼と向き合い続けなければならない。親子という距離感。親愛な情とともにお互いの中にある
昨日「はじめの一歩」というタイトルの記事を投稿した。 しばらくして、 「自然農を始めてからの10年は確かに、表面的なことしか見えていない『自然農 のようなこと』をしていたに過ぎなかったが、そのまだ始まってもいない時間があ ったからこそ、いま気づくことができた。"はじめの一歩"ではなく,"はじめの二歩"ではないか」 という考えが生まれてきた。 「投稿を削除してタイトルを変えて、書き足そうか」という気持ちになったが、「しばらく時間をおこう」とそのままにした。 結果、「
「自然農」というものに出会ってから10年以上になる。 隔月で1泊2日で行われていた奈良の川口由一さんの学びの会に通い始めたのは、2011年の8月。東日本大震災と福島原発事故の後だった。その数年前に、新聞の記事かなんかで興味を覚えて川口さんの「妙なる畑に立ちて」という本を購入して少し読み始めてみたものの、読み進めなくてそのままになっていたのだった。 当時は横須賀に住んでいた。8月の学びの会の後すぐに畑を探し始めた。自宅の近く、登れば海が見える山の中腹に畑を借りることができた
4時半過ぎに起きた。 庭でおしっこをさせるために犬を抱えて外に出た。 空にはたくさんの星が瞬いていた。 半分に近い月が白く輝いていた。 何だろう。 こんな空は初めてだ。 民家の屋根のあたりまで星々がそれぞれの光で瞬いている。 雨の後空気が澄んで星がたくさん見えることがあるが、それとは違う。 その賑やかさ、華やかさのようなものはない。 静かだ。 とても静かに何かに満ち足りているような。 天頂からやや東寄りに赤青の小さな点滅がふたつ移動していった。 しばらくしても音は聞こえなか
今年の冬は足湯をたくさんした。ちょうど年末から自宅でデスクワークをしていたので、「足湯依存症」という言葉が浮かんでくるくらい、足がふやけてくるくらいに足湯をした。 きっかけは年末に美容室で足湯をしてもらったこと。私は以前訪問看護の仕事をしていたことがあり、訪問先で利用者さんを足湯しながら身体を拭いたりする事は多かった。また、母が圧迫骨折で入浴できなかった時にも足湯しながら身体を拭いたが、自分が誰かに足湯してもらうのは初めての経験だった。それがとても気持ちよくて、身体も心も
最近になって、わたしはやっとわたしに会えたと感じている。 「会う」と言っても「こんにちは」と面と向かって会ったということではない。それこそ、たくさんの訳のわからない、分厚く堆積したものの奥に柔らかい殻に包まれた卵がある感じ。その卵の中に眠っている何かが生きている感じ。眠っているけど、夜の星の瞬き、葉っぱの上にちょこんと座っている雨蛙、風に靡く風草や空気の中を点滅しながら漂っている粒々の光やいろんなものと交感している。静かに耳を澄ませて、海を潜るように、集中して堆積物を通り抜
今日で右肩のリハビリが終わった。昨年の6月から右肩を痛めて、「整形外科に行っても痛み止めと湿布だけだから。」と思って様子を見ていたがだんだん痛みがひどくなり、8月にはほとんど動かなくなっていた。ちょうど父が具合悪くなり休職したのを機に整形外科を受診した。何回か痛み止めの注射をして、山のように湿布も処方されたが、私が以前受診した時と比べて理学療法がめっちゃ充実していて驚いた。 担当の先生は24歳の若い女性だった。「学校で習ったことは本当に基本で。実際的なことは卒業してから講習
3日前も昨日も一時雨の予報だったが、一滴も降らなかった。気温は連日33〜35度。畑は乾き切っている。日中は暑くて作業できないので夕方4時頃に畑に行く。野菜たちはみんなうなだれている。畑の前を流れる小さな水路からジョウロで水をすくい、一株一株かけていく。土が硬くなり表面を流れてしまうのでできるだけ2回に分けてかけるようにしている。 ジョウロに一杯の水をかけるとジョウロ一杯分の変化がある。30分も経てば、葉裏を見せてうなだれていた甘長唐辛子の葉が、少し開いて元気になる。ディルや
7月2日夕方。4羽いた雛のうちの1羽が、糞を受けるために敷いてある新聞の上に落ちていた。羽ばたくと少し跳び上がれるがまだ飛べない。親燕が低く雛の近くを掠めるように飛んで「ツツピツ!」「ツツピツ!」と強く声かけしていた。これは確か親が雛に巣から出て飛ぶ練習をするように促すときに聞いた鳴き声だ。何度も励ますように声かけしていた。親が落としたのではないようだ。巣が浅くて小さめなので、エサをもらおうとしてバランスを崩して落ちたのか。雛はだいぶ大きくなっていていて小さな巣は窮屈そうに見
今年も燕がやってきた。倉庫の天井の鉄骨の梁に、2組の燕のつがいが以前からあった巣を少し修理して入った。西の奥の方にはベテラン風の大きめのつがい、北の出口に近い方には少し小さいつがい。二組の雛が孵った頃にもう一組のつがいが来て南の出口の近くにあった巣に入ろうとしたが、大きいつがいが徹底的に攻撃して追払い、1日2日のあいだ隙を見て何回か入ろうとしていたが諦めたようだ。北の小さいつがいは攻撃に加わらず、四羽の戦いを離れたところから見ていた。 私の部屋は倉庫の一隅にある。燕のために
外に出てみると、雨が上がった空は明るく、透明な石のように灰青色だった。明日満月を迎える月の光は強く、家や電信柱には月の影ができていた。もちろんわたしの影も。何かを伝えようとしているが理解できない言葉のように、大小様々な雲が静かに形を変え、千切れては繋がりどんどん動いていく。北斗七星、アークトゥルス、スピカ、その他名前を知らない小さい星もみんなどんどん空を飛んでいるようだ。犬は丸くなって寝ている。今夜は猫は来なかった。わたしも休もう。丸くなって宇宙に浮かび、言葉にならないところ
時折来る程度だった黒い猫、クロちゃんは雨の日以外は毎晩のように来るようになった。時間はまちまちだが、多分少しの時間はわたしが外に出てくるのを待っている。倉庫の戸を開けると強めの声で「ください、何か食べるものをくださぁい。何かぁ。」と訴えてくる。ドックフードを持っていくと「シャー!!!」と威嚇して凄んだかと思うと「にゃぁん。」と甘えた声が出る。わたしが一歩進むたびに「シャー!!!にゃぁん。」の繰り返しで忙しい。クロちゃんの葛藤が窺われる。 以前はわたしが見ているとフードを食べ
2ヶ月ほど前からほぼ毎日、アーユルベーダのセルフマッサージというのをやっている。太白胡麻油を使って、頭頂から足の裏まで自分でマッサージする。毎回驚くのは、最初に頭頂部にごま油を少し乗せたときにそれまでより視界がクリアになることだ。今まではぼやけて見えていたということにそこで気がつく。マッサージ中何度かクリアになる時があり、ぼやけたりクリアになったりしているようだが、ぼやけた時は気がつかない。クリアになって初めて今までぼやけていたことに気がつく。 2011年の夏、知人に誘われ