生きる(2) 雛の旅立ち
7月2日夕方。4羽いた雛のうちの1羽が、糞を受けるために敷いてある新聞の上に落ちていた。羽ばたくと少し跳び上がれるがまだ飛べない。親燕が低く雛の近くを掠めるように飛んで「ツツピツ!」「ツツピツ!」と強く声かけしていた。これは確か親が雛に巣から出て飛ぶ練習をするように促すときに聞いた鳴き声だ。何度も励ますように声かけしていた。親が落としたのではないようだ。巣が浅くて小さめなので、エサをもらおうとしてバランスを崩して落ちたのか。雛はだいぶ大きくなっていていて小さな巣は窮屈そうに見えていた。
巣は倉庫の鉄骨の梁に作ってある。一昨年、落ちた雛を父と協力して巣に戻し、上手く巣立ったことがある。一番大きい脚立を持ってきてみたがちょっとグラグラして怖い。腕1本分足りず届かない。棒に団扇をつけてその上に雛を乗せて巣に戻せないか試みたが、雛が羽ばたいて落ちてしまう。
『一度に4〜6羽も産まれるツバメのヒナは、全部が大人になれるわけではありません。成長が遅いヒナや体が弱ったヒナは他の兄弟に押し出されて落ちることが少なくありません。また、子育て中にオス親が入れ替わった時には、ヒナが新しいオス親に落とされる「子殺し」も起こります。弱いツバメが死んでしまうのはかわいそうですが、強い者が生き残ることで、ツバメという種全体が繁栄するのです。』(「ツバメ 田んぼの生きものたち」農文教ーより)
燕の本を探して見たら上記の文章があった。これも自然の経緯なのか。「できることがない以上見守るしかない。」と腹を決めた。
翌日(7月3日)落ちた雛は倉庫の中をあちこち動き、親が戻ってくると一生懸命に口を開けてエサをねだっていた。親も戻ってくるたびに近くを飛んで「ツツピツ!」と励ましている。それを見てもう一回巣に戻せないかやってみることにした。これでダメならほんとに諦めよう。
脚立より長い梯子があったので持ってきてみた。以前父はそれを使って雛を巣に戻したのだった。梯子の上の方まで登れば巣に届きそうだが近くに捕まるところがなく、梯子ごと後ろに倒れてしまいそうで怖い。やはり大きい脚立を使って途中まで近くにあるトラクターも支えにしつつ、一番上までまたがるようにして上がると巣まで15〜20cmくらいか。雛をティッシュで包むようにしてうちわに乗せて一旦トラクターの屋根の上に乗せ、そこから脚立の一番上にまたがるようにして上がり、雛が乗ったうちわを巣の方に精一杯差し出した。
雛が巣に戻れるように巣に向かってうちわを傾けるが、雛は逆の方に動いてしまう。何回かやったがダメで、腕が千切れそうになり、仕方なく巣のすぐそばに伸びている鉄骨にうちわを擦り付けるようにしたらうまく雛が鉄骨に留まり、捕まっている。そろりそろりと脚立を降りて、ビデオカメラで撮っていたら親ツバメが帰ってきた。巣の中の雛と一緒に、口を開けてエサをねだっていた落ちていた雛がエサを口に入れてもらった。「良かったねぇ。」「良かった。良かった。」ビデオでアップで見ているときに巣の中の雛が鉄骨に留まっている雛を突くような素振りをしたことがあったが、しばらく見ているとその後はそういう仕草は見られなかった。朝から田の草取りで疲れていたのでしばらく部屋でうたた寝をした。
夕方激しい雨の音で目が覚めた。倉庫に行くと雛はまた落ちていた。犬のリードの近くに来ていた。犬が気づいて近くに行こうとしたので止めた。親が来るたびに口を開けて声をあげていたが、鉄骨に乗せるまでの無邪気さは失われていた。少しずつ動いてシャッターの下あたりまで出てきて外を向いて座っていた。呼吸は荒く、弱っている感じがしたが、親燕は出入りするたびに「ツツピツ!」と励まし、雛も「ピピッ!」「ピピッ!」と答えていた。時々羽ばたくように羽を広げた。どしゃぶりの雨を眺めるように少しずつコンクリートの上を進み外に出た。軒があるので雨はかからない。体全体で呼吸している。必死でこの世の息を吸い、小さい体を巡らせて吐き出す。それだけでも大変な疲労のはずだ。雛の羽毛や羽が少しずつ乱れていき、後ろ姿は段々と「燕の雛」から黒い「何か」に変化しつつあった。それでも時々親燕が低く近くを飛んで「ツツピツ!」と声をかけると「ツピ!」と返していた。後方の巣からは時々、戻ってきた親に餌をねだる雛たちの賑やかな声が響いていた。その賑やかな声は聞こえていただろうか?
黒い後ろ姿を犬は距離を置いてじっと見ていた。向こうのほうから発情期を迎えた黒猫があげるいつもとは違う鳴き声が聞こえていた。雨は降り続けている。段々と雛は座っていることができず、羽を広げて横たわるようになった。横たわったりまたなんとか座ったり。それでも少しずつ外に出ていく。何を見ている?
しばらくして見にいくと雛にたくさんの蟻が群がってきていた。雛は振り払おうと体を弱く動かしていた。ティッシュを持っていって蟻を払い、雛をテイッシュに包んで小さいカゴに入れて机の上に置いた。もう体勢を保つことはできず斜めに横たわるような格好だったが、時々口を開けて小さい声をあげた。弱いが息をしているのを確かめて寝た。
翌朝(7月4日)起きると息をしていなかった。包んでいたティッシュに薄茶色の小さな染みがあった。おしっこか?糞か?その染みが可愛らしくて泣いた。柿の木の下に鍬で穴を掘って亡骸を埋めた。その日から数日は梅雨らしい蒸し暑さで、雨も多かった。小さい身体は溶けて、小さい虫たちの血となり肉となり、そして土に帰っていっただろう。地球に戻っていっただろう。
7月7日朝の散歩から帰ると巣の中に3羽の雛の姿はなく、巣立っていた。巣立ちまであと5日だったのだ。2羽が夕方帰ってきたが巣には入らず、鉄骨の梁にいて親に餌をもらっていた。その後も雛は2羽しか見ないので1羽は何かで命を落としたのだろう。
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