海の記憶
先日海に行った。裸足で砂浜をあるき、海に足を浸して浅場をしばらく歩いた。晴れた日。水は冷たくて、足が痺れた。
わたしは海が大好き。
海には遠足でしか行かないような街で育ち、海に遊びに行くことがあっても、いつもどこかよそ行きの場所のようだった。30歳すぎてそれまでの仕事をやめて看護学校に入学した。その学校が海まで2分の場所にあった。2月、受験の時に初めて学校に行って、光あふれる海にとろけた。試験が終わって浜に降りて、ビーチグラスを集めながらしばらく海にいた。野比海岸はわたしには光の海。時が満ちて実家に戻るまで、それから20年以上住むことになった。朝に夕に潮の音を聴き、朝晩散歩で犬と歩き、日の出前のとろけるような薔薇色の空、仕事終わりに職場の駐車場に入るときの大きな夕陽。夕方になると何となく浜に来て海を眺める近所の人たち。ずうっとここに居たいと思っていた。
初めて海に潜ったのは野比に住み始めて数年後。友人とバリ島に旅行に行き、スキューバダイビングをやっていた友人に体験ダイビングを勧められたのだった。わたしは息継ぎが下手で、プールでは15メートル程度しか泳げない。捕まるものがないと不安で、プールの端で泳いで肩を擦りむくほどだった。体験ダイビングの時もマスクの鼻あたりまで水がくると怖くなって、何回か「やめます。」「やっぱりやります。」と繰り返した後、スタッフの女性にこっぴどく叱られて仕方なく海に入ったのだった。
潜ると海は別世界だった。
水深5m程度だったのではないかと思うけど息を呑んだ。いろんな色の小さな魚たち、海藻類や訳のわからない生き物たち。さざめいたり砕けたりしている光。時々聞こえる地上では聞いたことのない音。こうして今言葉にしているのはそのときの感覚の残骸でしかない。もっと大きな、本質的なものに包まれたような感じというか。34年生きてきて、そのときわたしは初めて「生まれてきて良かった。」と思ったのだった。「こんなにさまざまないのちがそれぞれ無心に生きている。地球に生まれてきて良かった!」「地球の半分はこの、沈黙の(人の言葉のない)世界に支えられている。」と思ったことを今でも鮮烈に覚えている。
わたしの生きる世界がぐんと、深く、大きくなった。
日本に帰ってからすぐにライセンスを取り、休みの日には一人で、あるいは友人と伊豆半島や伊豆諸島に潜りに行くようになった。初めの頃は恐怖心が強くて息が吐ききれないためにウエイト(錘)をつけても沈めず、他の人が海底の大きめの石を持ってきてくれてやっとエントリーしたりしていた。まるで海底を這うようなダイビングだったが、海の生き物の生態は面白かった。続けるうちに肺の空気を自分で扱えるようになり中性浮力が取れるようになってからは海の中空を浮力を調整しながら泳ぐというか、重力から解放されて遊ぶのは本当に楽しかった。100本くらい潜ると(1回潜ると1本、と数える。)魚の生態を追ったり、写真に興味を持ったり、つまりダイビングの自分なりの目的みたいなものができる人が多くて、ガイドさんに「今日は何を見たいですか?」「今日の目当ては?」など聞かれることが多いのだが、わたしはいつまで経っても「あ、潜れるだけで幸せなんです。」と言って、笑われていた。エントリー時に波に巻かれて溺れたり、海外で水深25mあたりでグループから逸れて、タンクのエアーもなくなり一人で浮上し「このままでは脱水で死んじゃうかも。」と思ったり、何回もいのちの危険を感じたことがある。そんな時には「これで助かったらもうダイビングはやらないかも。」と思うのだが、(もしかしたら、だからこそ?)海に潜ることにハマっていった。交通事故で死ぬより海で死んで魚の餌になった方がいいな、など思っていた。
8年前に四国徳島に戻ってからも何回か伊豆大島や西表島などに潜りにいったが、3年前に沖縄慶良間に行ってからは潜っていない。2年前は機材のメインテナンスをしたのに結局行かなかった。今年に入って断捨離とまでは行かないが部屋の片付けをしたときにダイビングの機材を処分するかしないか迷い、まだ納得して手放せないのならおいておこうとまた押し入れにしまった。また潜りたい気持ちはあるが、今後はもう機材はレンタルの方がいいな、とは思っている。
もし、これから潜ることがなく人生が終わることになったとしても、わたしの中に海はある。わたしの中を潜っていくと、初めて海に潜ったときの、小さな生き物としてのわたしを慈しむ大きな海の世界は今もしっかりとある。
「地球に生まれて良かった」
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