病気が一番怖かったわたしが、がんになったら怖いものではなくなったと言うコトについて
人にはそれぞれ、「これが起こると一番怖い」ってゆうことってあると思う。
人によってそれは様々だと思う。
わたしは今まで、「大きな病気になること」がこの人生で一番怖かった。
なので病気にならないように色んな健康習慣を取り入れてきた。
でも、そんなわたしが“がん”になった。
その事実と本当に向き合わざるを得なくなって、受け入れるまでに数週間必要だった。
それが長いのか短いのかわからないけど。
信念として大切にしてきたものが、目の前でがらがらとぶっ壊れたのだ。
まさにアイデンティティと大事に守ってきた価値観の崩壊だ。
例えば、お金がなくなる恐怖とか、大切な人に裏切られる恐怖とか、、
そうゆうものは、私の中では何とでもなるという考えがあった。
「健康」さえあれば。
健康な身体があれば、大抵のコトって乗り越えられるんじゃないかって思ってたから。
様々な悩みや葛藤は、考え方や生き方を自由にしてあげることで乗り越えられる。
健康であれば自由に働くことができる。
健康を失ったらその基準はなくなるんじゃないかって思ってた。
でも、怖いものをリアルに経験してみたら、それはもはや自分にとって怖いものでは無くなってしまったのだ。
なぜそうなったのか?
たぶん、毎晩寝しなに不審な音がして、幽霊みたいなものを意識して、得体が知れないから怖い怖いと思ってたけど、勇気を出してその存在を確かめてみたら、それはただ家の外で飛ばされてきたゴミが窓にひっかかり、風に靡いて不審な音を出してた、とか…。
いざ蓋を開けて真実や事実と向き合ってみたら、その囚われていたものから解放されることってあると思う。
それは対人関係の悩みや、なぜか常に自分の人生で同じように繰り返す課題のようなものも同じ。
モヤモヤするのは「本当の意味で向き合っていないから」だと気づく。
わたしはがんになってみて、とにかくこの病気のことを知ろうと思ってあらゆる方面から情報を得た。
自分が罹患する前は、なんの知識も持たず、ただ漠然と怖い病気と思っていた。
自然療法を信じていたわたしは、今思えば、全てではないけれど現代の西洋医学をどこかで漠然と否定していた。
やみくもに薬を飲んだり医療に頼る前に、まず「健康は自分で作るもの」だと思っていたから。
でも自分がいざ一番の恐怖に対峙してみたら、何よりも変えがたい“知識”と“経験”を得ることができた。
この世の中で、自分自身で経験するもの以上に勝るものはない。
がんになったことでわたしは、このような気づきがあった。
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どんな物事にも必ず二面性がある。
自然の摂理と同じように、太陽と月があり、隠と陽があるように。
そのことからも言えるように、人生には、一見、ネガティブで酷い経験の中にこそ、真実を養う宝が潜んでいる。
逆に成功体験は、自信や豊かさ、活力を持つことになると同時に、もっともっとという乾きを生み出す。
成功への欲望や意欲、それ自体が悪いことではないのだけど、周囲や無意識の澱みが見えにくくなるという面も持ち合わせる。
一番怖いのは、自身の無意識と信頼関係が築けていないままにその乾きに貪欲になりすぎること。
ここでボタンの掛け違いや目に見えない小さな綻びが生じる。
他人についている嘘よりも怖いのは、「自分自身についている嘘」。
本当は辛いのに、やめたいのに、そうじゃないと自分に言い聞かせる。
そして本当は心のどこかに違和感を感じていたり、心身が限界に達しているはずなのに、自分と手を繋げていない状態でこの「乾き」を追うと、小さな綻びが大きくなり、いずれどこかで川は決壊する。
それがトラブルや病気のようなものを作り出す。
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今回わたしは、人生最大の怖いことへ向き合うために、ノートなどに感情を書き出し、何より自分との信頼関係を取り戻すことに徹した。
そしてできるだけたくさんの情報を集めた。
情報を集めるのは労力もいるし、怖さとも向き合うことになる。
でもそうやって対峙していることへの解決方法や、選択肢をできるだけ多くもつこと。
そしてメリットもデメリットも全て挙げて、収集してきたカードを目の前に並べる。
なぜこのような状況(今回のわたしで言えば、がんという病気)を作ったのかを考える、分析する。
何が足りなかったのか、もしくは過剰だったのか、無理や処理しきれていない問題、感情は何だったのか、生活やフィジカルな面での影響は何だったか…?
こうやって行った結果、わたしの中で、ひとつの答えに辿り着く。
そうか、わたし自身は心の中で、この部分に心底泣いてたんだ、苦しかったんだと。
ごめんって自分に謝る。
本当の意味で「受け入れる」「負けを認める」、ということ。
受け入れないと次はない。
自分のキャパを超えた無理に気づく、負けを受けいれる、という部分をすっとばすと、必ず潜在意識はその澱みの形を変えて、シチュエーションを変えて、同じように似たような問題を自分の人生に登場させる。
職場の転職や離婚問題、対人関係のトラブルなども同じだと思う。
そしてがんという病気も。
人や場所を変えても、根底が変わっていなければまたそれは起こる。
そしてそれは、どんどん大きくなってくる。
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前回の記事でも紹介したんだけど、この本はその過程を著者の実体験をもとに綴っている本。
この著者は全身に広がったがんを、最終的には寛解させた。
その道程では、次々と奇跡的な展開が繰り広げられる。
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では現実を動かすにはどうしたらいいんだろう?
病気を病気で無くすとか、今うまく行っていない問題を解決するには?
それには、上記で挙げたような精神面で向き合うことの後に、必ず具体的な行動が必要になる。
重い腰を挙げて、中途半端にせず本気になるということ。
できていなかった部分にいよいよ本気で取り組むということ。
「本気で」、だ。
例えば、ある人にとって、がんを作った原因が不規則な生活や食事面の偏りだという要因があがったのなら、それを本気で変えなければいけない。
お酒を辞める、タバコを辞める、砂糖や添加物を控える、夜は早めに就寝し、十分な睡眠時間を確保する、、など。
もしくは、生活環境や対人関係のトラブルなどが要因だと思うなら、その環境を変える、手放す、逃げ道を探す。
見栄や虚栄心が自分を苦しめてたのなら、それを認めて受け入れる。
強く見せようとしない。
弱い、情けない自分を受け入れて許す。
自分に無いものを持っている他人と比較しない。
今ある、等身大の自分をそのまま見る。
「そうは言ってもできない…、だって私は〜〜〜(こんなに大変)なんだから…。」という言い訳は、苦しいようだけど、ここではいっさい通用しない。
誰にもわかってもらえない、と思っても、泣いて泣いて、もがいてもがいて、それでも結局は自分が責任をもってやるしかない。
他者や環境のせいにせず、すべて自分ごととして向き合う、変えると決心する。
相手がいるなら、ちゃんと話し合うべき人と、誠心誠意向き合う。
ただ、ここで自分の無意識と信頼関係ができていない(感情の深掘りができていない)状態でこれを行うと、自分の被害者意識が先にたってしまって上手くいかない。
「あなたと話しても全くらちがあかない」、「どうせあなたには私のことは理解できない」、という状態になってしまう。
でも、希望なのは、これらを本気で行動に起こし、自分や他者と対話ができてくると、本当に問題と思われるものは姿形を無くしてしまうのだ。
わたしが今回、がんが怖いものでなくなったのは、この過程を経て、自分の無意識と手を繋ぐことができたからだと思う。
自分に起こったこと全部、わたし自身を受け入れられたからだと、思う。
そして具体的に生きる意味を見つけたから。
わたしが今後やっていきたいこと、このように生きたいと思うことなどをとてもワクワクした気持ちで見つけることができたから。
現代は日本人の2人に1人ががんになると言われる時代で、健康な人でも一日に5,000個生まれるというがん細胞。
それらは本来身体の自然治癒力と免疫力が消滅させてくれている。
それなのに、なんらかの要因で悪い細胞をやっつける免疫力が弱ってしまった結果、がんになる。
それを作った生き方、考え方の癖、その自分を本気で手放すと決めること。
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それでも相変わらず、ひとつひとつ向き合う現実は今も目の前にある。
仕事の面、心の面、身体の面、人間関係におけるあれこれや。
だけど、そうゆう足りない面も全てひっくるめて、わたしがわたしを信頼し、わたしが嫌だと思うものには決着をつけて行きながら、一緒に歩く。
ひとつひとつ、執着やエゴを手放すように。
全ての負けを認めて降参した後に、自分を心から信頼すること。
健康こそが全ての土台だと思って、何としてでも失いたくないと思っていたわたしがそれを失ってみたら、次のあたらしい「真実の健康」への切符が渡されたのだ。
わたしが決めつけて思い込んでいた、絵に描いたような教科書どおりの健康ではない。
「怖いもの」は、怖いものではなかったのだ。
「怖い経験」がわたしにくれたのは、これまでずっと心から望んでいた、自由にあるがままのわたしで生きるという「解放」だった。
それはわたしにとって失った臓器と引き換えにもらった、優しくあたたかい人生最大のギフトでもあった。