〖エッセイ〗「私がSNSに顔出しする理由。」
病気になってから、詩やブログを始めた。
最初は、本当に具合の良い時だけ、日記感覚、闘病記録の為に書いている位だった。
もちろん、書けなかった日もたくさんある。
今は少し回復したのかな…
分からないけれど、各SNSにて発信をする事が唯一、「辛い思いから解放される時間」なのだ。
浮き沈みは、あったけれど、やはり自分は「言葉による表現が好きだ。」と、確信した。
特に有名に成りたいからとか、今はそこまでは、考えていないが、「生きているうちに、何かひとつでも。たった1人にでもいい。響かせる言葉を遺して死にたい。」と思ったのだ。
そうは、言えど…ある程度の知名度が欲しいと云うのは、本音である。
真剣に、SNS発信をしようとした時、どうするか…。少し考えて見た。
各SNS毎に、戦略というか知名度の上げ方は異なる。ましてや、全くの凡人の私がそこまで、人気は出ないだろうなと、今でも践んでいる。
しかし、「こんな自分がどこまで、やれるか。」を確かめたいと、常に思い活動している。
そこで、今回のタイトルにある。
顔出し問題の話になるが、最初は顔出しはしていなかった。
やはり、何があるか分からない。
怖いなという感情が有ったからだ。
しかし、本気でやると決めた以上、インパクトは大切だと思った。
私が見る側だったら、「あ、こういう人が書いているんだ。」と、多少なりとも、親近感が少し湧く。
今の時代、加工写真も当たり前だし、別に有名人でもないし、いいんじゃないって思ったのと、一番怖いと思う悪用だが、それはその時、考えればいいし、場合に寄っては、然るべき場所へ法的に判断して貰えばいっかなって。
そんな安易な気持ちだった。
そもそも、少し加工しただけでも、もうその時点で「私であって、私ではないのだから。」そう感じた。
それが最初の理由。
もう、ひとつ理由があって、顔出しについて悩んでいながら、ダラダラと音楽を聴いていた。
すると、ランダム再生されたオーディオから、
荒井由実(松任谷由実)さんの、「ひこうき雲」が流れて来た。
「風立ちぬ」の、主題歌としても有名な曲。
大好きな曲のひとつだ。
歌詞の一部にこんな、言葉がある。
『高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空を見ていたの 今はわからない
他の人には わからない
あまりにも若すぎたと ただ思うだけ
けれど しあわせ…』
という歌詞が、2番から出てくる。
母は体が昔から弱く、35歳という若さでこの世を去った…。
(詳しい記事は、自己紹介をお読み頂ければ幸いです。)
私は聴きながら涙をポロポロ流して、泣いた。
リピートして、2回聴いた。
その時、思った事が。
「私は、とりわけ可愛くもないし、美人でもない。だけど…。母のくれた自分の顔を大切にしよう。」
という、決意だった。
母は私の中に生きている。
だから、私は母から貰ったこの顔を、あえて出して行こうと決めた。
それは、「母とこれからも一緒に歩みたい。」
という気持ちの現れであった。
バカにされても、構わない。
これが、私があえてSNSに顔を出す理由だ。
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