アーレント『活動的生』研究ノート(6/6)
世界疎外の始まり
第6章に入ります。この章では、近代になってどういう経緯で世界が疎外されていったのか、その歴史的考察が展開されていくようです。
アーレントは、その端緒を次の3点に見出している。
アメリカの発見
宗教改革
科学革命(望遠鏡の発明)
ただし、近代と現代にも一定の境界線はあって、現代の開始は、フランス革命に求められるのだとも書いています(>p.318)。
ただ、この最終章では、主に3点目の「科学革命」の項目にページが割かれている。というかほぼその話。近代西欧哲学史、ないしは科学哲学史といった様相を呈している。
アーレントは科学革命を世界疎外の契機として重視するわけですが、
そしてそれを望遠鏡の発明(とガリレオ)という表現で象徴的に言い表そうとするわけですが・・・
うーん、どうなんでしょうね。世界、あるいは大地から切り離す、大地をそれとして客観的な対象として見るようになるっていうのは、地動説や望遠鏡の発明も大きいでしょうけど、もっと端的に、地図の発明とかから始まっているとさしあたり考えておきたい気もします。「地図」という発想の時点で、すでに、空間を客観的な対象として可視化する(そのことによって人間的領域が相対化される)ってことは始まっていたようにも思う。
アーレントは、「活動の場所指定」と言ったり、ハイデガーの「世界内存在」を引き継いでか、やたら「世界」や「大地」という概念に愛着を示すわけですが、
それらは、生活者としての空間の絶対的意味(sens)、なんなら「聖性」まで読み取ってたってことなんでしょうね。
で、その「聖性」が望遠鏡の発明とともに剥ぎ取られたと。以来、空間が均質化し、あらゆるものが「近く」なり、世界の一体化が急速に進んだ。活動の「場所指定」どころではなくなる。
でも、そういう生活世界の破壊って、望遠鏡というより、すでに地図の発明から始まってた気もします(それこそ東洋の専制君主とか)。地図を作らせてその中で自分が獲得した領域を見てニヤニヤするメンタリティの「キモさ」。そこから世界疎外は始まってたのかもと。
宗教改革の「世界疎外」についても言及があって、
などと書いていますが、これだと、あたかもアーレントは封建制を肯定してるみたいにも見えてしまいますが、それはそれとして、
アーレントは、本書で、たびたび宗教改革と私有財産の没収を結びつけて議論を展開していて、
それが今まであまりピンと来ていなかったんですが、本章の議論を追っていると、
宗教改革で教会や修道院の領地が没収されたこと(>p.318, 337など)を念頭に置いているのかもしれません。
だからもう裸の身として、己の労働力を市場で売って食っていくしかなくなったと。そうやって自己も世界も疎外されていくんだと。
まあでも、「その程度の話かあ」とも思いますけどね。領地を没収されたって、特権階級の話でしょ? 下層農民も小作化したり色々あったんですかね?
しかも、ネットで調べているとイングランドだけの話っぽい。ヘンリ8世あたりの。「世界史の窓」の記述を引用させてもらおう。
営利企業の「公共性」
つまり、私的領域と公的領域の区別が消失し、私的領域が社会に同化吸収されていく近代のプロセスということを念頭に置いているのだと思いますが、
その一方で、すぐ思いつくところだとたとえばコンビニとか、それ自体は私企業で市場原理で動く存在なわけですけど、
にもかかわらず、コンビニは、人口がある程度集積しているエリアに出店することで、放っておいても、気づいたら公共的な役割を果たすようにもなっている。
すべてが社会に包摂されるからといって、それで我々は公私共に貧しくなる一方なのではない。むしろコンビニでもスタバでもマクドでも、そういう営利企業のサービスに浴している。都市部であればあるほど、そういう営利企業は放っておいても公的性格を帯びる。コンビニなんか24時間公共料金の支払いからATMの引き出しまで対応してますし、災害時には食料の提供もやる。コンビニ自体を一個の巨大な冷蔵庫とみなしてミニマルに暮らすことも可能なわけですし。スタバやマクドは立派な「サードプレイス」としても機能する。市民的エンゲージメントなしに、です。
アーレントの近代哲学史観
この辺で、アーレントの西欧近代哲学史(および科学史)に対する考察をざっくりとまとめておくと、
ガリレオ・ガリレイの登場あたりから、それまでナイーブに想定されていた世界や自然の安定性・永続性みたいなものが問いただされるようになった。地動説的な文脈が前景化し、それまでの伝統的な目的論的世界観が維持できなくなった。
そこで、たとえばデカルトのような人物が、確信をもって実在するといえるのは、私が今まさに思考しているという意識だけなんだというようなことを言い出す。コギト・エルゴ・スム、「我思う故に我あり」というやつですね。デカルトを画期にして、西欧哲学はどんどん内面性・主観性の方に傾いていく。カントの「物自体は認識できない」にしてもそうですし、マルクスの労働力の概念、それからその延長線上にある(とアーレントが考える)ベルクソンやニーチェの「生の哲学」、さらにはハイデガーの存在論。これらすべて、客観的な世界のあり方の真理性について語るのではなく、私たちがいまこうして存在している(生きている)という事実性そのものに真理性格を認めていく。そういう哲学の流れが形成されたんだと。
そういうわけで、アーレントも、近代というのは、自己が疎外されていく歴史ではなく、世界が疎外されていく歴史なんだという風な、多少アクロバティックな主張をするに至るんでしょうね。
古代は、イデアを直観するのが哲学だった。近代は、思考し実存する私の実在性を直観するのが哲学になった。さしあたり、このように単純化して理解しておくことも可能なんでしょう。
観想的生活と活動的生活の弁証法
長い引用になったが、印象的な一節なので少し触れておきたい。
ここで言われていることを簡単にまとめると、
プラトン以来の観想的生活の優位が、近代の実験主義によって揺さぶられたとき、
それは活動的生活の復権ということには素直にはならず、むしろさらに進んで、古代以来の「活動 v.s. 観想」の図式そのものの掘り崩しにまで至った。
活動が復権されたとはいっても、そのニュアンスが変わったからだ。
つまり、制作すべき物の理念的設計図よりも、制作する仕方、方法論の方に、重点が移動したのである。
世界に相応しい、制作されるに値する物が制作されるのではなく、制作ということをすべきだとすれば、それはいかにして可能か、またどこまで可能かという観点が支配的になった。
観想では真理に到達できない。到達できるとしたら、それは実験や実証によってのみだと。
この時点ですでに、〈制作〉の〈労働〉に対する敗北が予告されているかのようです。
【近代のキーワード】:労働(力)/プロセス概念/実験/経験主義/WhatからHowへ/目的論的世界観から機械論的世界観へ
アーレントの「プロセス」概念
プロセスという近代的概念(p.401)
「プロセス」という概念を、アーレントは本書を通じて各所でさりげなく散りばめている。とりわけ、この第6章で詳しく掘り下げられるわけですが、
これは、上で書いたことをそのまま引用すれば、こういうことになります。
古代は、イデアを直観するのが哲学だった。近代は、思考し実存する私の実在性を直観するのが哲学になった。
これは、アーレントの近代哲学史観を要約するテーゼだと思いますが、こういう風な、「思考し実存する」その存在性そのもの、その存在のダイナミズムを念頭に置いて、アーレントは、「プロセス」という表現を採用しているようにも見えます。
近代において、マルクスの労働「力」という量的概念が支配的になり、それがニーチェやベルクソンの生の哲学によって継承されていくさま(なんなら20世紀の「行動主義」すら、この流れの延長線上にあると言うこともできるんでしょう)はまさに象徴的である。存在が時間的に捉えられるようになった。つまりプロセスとして捉えられるようになった、と。
まあでもこの種の言い方は、ちょっと思い出しましたが、フッサールやベルクソンと同世代あたりの哲学者ホワイトヘッドも、よくプロセス、プロセスと言っていた気もしますね。アーレントもこの章で頻繁に彼を引用してもいますし。
生命至上主義、生権力思想の先駆け
近代における活動的生活を理解する上での補助線として、アーレントは「生命それ自体という原理」「生命こそ最高善」(p.406, 407)という命題を提示してみせます。
近代の「精神遍歴」の重心は、制作プロセス→幸福計算→生命原理へと移っていく。
あたかも、フーコーの生権力の思想の先駆を、アーレントがここで行っていたかのようですね。
労働、つまり生命への配慮が優位となってくる近代。近代がそんな時代になってしまったのはなぜなのかとアーレントは問いますが(>p.409)、
キリスト教の生命主義が関係してるとかなんとか、歯切れの悪い感じで終わってしまう。
キリスト教の影響を過小評価しないという態度は、まあ、古代ギリシャに「本来性」を読み込むアーレントとしては、当然の身ぶりではあるでしょう。古代は〈世界〉を重視したが、キリスト教以後のヨーロッパは、〈世界〉には見向きもしなくなり、ただひたすら己の生命の不死性を希うようになった。
生命が救われるのなら、現世の苦しみも正当化できる、世界がどれだけ壊れていても耐えられる。そういう心的機制を支える「アヘン」としてキリスト教が抜擢された、また、そのような宗教が広まれるほど世界の方が荒廃していた・・とまあこんな風にアーレントは理解しているように見えます。
最後に、いくつかの論点
さて、長い時間をかけてアーレントの本を読んできたわけですが、最後にいくつか論点を挙げておきましょう。
まずはやはり、スケール感の問題。アーレントの議論の致命的な傷になっているのはここでしょう。
古代ギリシャ(アテネ)と現代世界を比較するときに、是非とも検討を要すべきなのは、
だれ(who)問題
どこ(where)問題
だと思うんですが、
まず、「だれ」に関しては、古代では、人間といえば成年男性だけだったのが、近現代ではそれが女性や子ども、マイノリティ、また古代にはほとんど存在しなかったであろう高齢者にまで、人間という概念が拡張された。いわば普遍化したわけですね。
「どこ」についても、やはり拡張のきらいがある。アテネという佐賀県レベルの領域から、まさにGlobeとして一体化し、地球の裏側まで半日で行けるような(通信なら一瞬でいける)世界になった。領域もまた、ローカルからグローバルへと大きく普遍化したわけです。
で、つまりここでは仮に「普遍化」というワードでまとめてみたわけですが、普遍化し巨大化した世界において、何らかの意思決定をしようとすると、共通の合意ポイントがもはや「同じ肉体を有している」ぐらいしかなくなる、つまり動物性によってしか意見や利害の調整ができなくなるので、自然と生命至上主義的になっていくんだろうと。
古代ギリシャの共同体が複数性によって成り立っていたとはいっても、それは、「それ以外ほとんど同じな者たち」だけで構成されるローカルな共同体だったからこそ可視化しえた文脈であって、現代のように普遍化された世界では、複数性を複数性として可視化していたらとても議論の収拾がつかなくなる(認知と感情の処理が追いつかない)。だからとりあえず、「とはいえみなさん同じホモ・サピエンスじゃないですか」みたいなところで浅い合意形成をしてとりあえず満足しておく。
東浩紀の『動物化するポストモダン』という本もありましたが、モダン(近代)の時点でかなり動物化してもいたわけです。その様相について、オルテガやアーレントのような「良識的な」知識人が、大衆社会や全体主義などという概念を用いて批判した。モダンは動物化であり、動物化がモダンであると。
ちなみに、「スケール感の問題」というのは、割と普遍的にみられる「やらかしがち」な問題で、たとえば、「フィンランドは素晴らしい」「ブータンは幸福な国」「シンガポール一人勝ちの理由…」などといった直後に、「それに比べて日本は…」といういくぶん定型化した自虐的話法とかにも、残念ながら顔を覗かせてきているわけです。人口の点でも面積の点でも、そもそも比較すべき対象を間違えている。
また、これは一昔前の話になるのかもですが、時々、欧米の人とかが、「日本人は個人として付き合うとしっかりした人が多いんだけど、集団になると一気にバカになるよね」的な論評をして、それについて「日本人論」の文脈であれこれ議論が盛り上がるようなこともありましたが、これも(別に日本人だけじゃなく)スケールの一般的傾向だと考えてもいいと思うんですよね。
つまり、自分の属しているコミュニティのサイズが大きくなると、個性や人間味みたいなものが背景に退いて、いわば動物化が進むわけですよ。スケールが大きくなると、動物として、少なくとも類的存在としてしか把握できなくなる。
というわけで、アーレントは、やはり照準を「もうちょっと小さいスケール」に合わせるべきだったんじゃないかとも思う。公民館とか、PTAとか、会社の社内政治とか、夫婦円満の秘訣とか、そういう次元で古代ギリシャの議論を生産的に継承させていく必要があったのではないか。そしてそれは当然、「ウチとソト」の差別化の力学を孕む。
その暴力性をいかに軽減するかの哲学、ないしいわば「技術論」も、アーレントの文脈で展開しうるんだと思います。そこまで含めて活動的生活、わけても「行為」の意義と妥当性が吟味されていかねばならない。
また別の論点。アーレントは、公的領域を「現われの空間」であるとして特徴づけるわけですが、現代では、反対にむしろ「閉ざされの空間」とでもいうべきものが重視されるべきではないかとも思います。
アーレントは、公共的生活には「人々の間にとどまること」という性格があるんだということを様々なところで示唆していますが、
それは、古代の政治的力学を考慮すると、「小アジアのペルシャ帝国に抗いつつ、人々の間にとどまること」と表現した方が、より解像度が上がるのではないかとも思うわけです。
公的領域は「現われの空間」であると同時に、一方では、ペルシャ専制帝国からの閉ざされとして成立していたという側面がある。アテネが当時の世界情勢のなかでどういう立ち位置にいたのか、それこそ逆にペルシャからはどんなふうに見えていたのかを少しでも想像する必要がある。たやすく「アジア的様式」に包摂されず、ポリスだ民主主義だといって自分たちのやり方に閉じこもっているという点では、外部から見たら、アテネなんか閉鎖的なカルト集団みたく見えていてもおかしくはない。
このように、アーレントの〈行為〉というのは、私的領域から公的領域への現れという一方通行のみで理解すべきではなく、帝国主義的なパワーの伸長に対する抵抗、つまり閉ざされという力学の方向性からも、相補的に理解していく必要があるかもしれない。
アーレントが描く古代社会において、私的なものは、あくまで公的なものに対して「小さかった」。規模の点でも存在感の点でも、私的な生産と消費の領域は、あくまで社会において副次的な機能しかもたなかった(とされる)。
しかし現代の消費社会では、むしろ私的空間の方が無限に大きくなっている。公的な自己実現は、むしろ、空間をそのつど閉じていく身振りにおいて成就される・・なんとなくそんな気配もします。
喩えが的確かはわかりませんがなんとなく思いついたので一応書いておくと、たとえば、自分が推してるアイドルグループについて、「みんなに知られてほしいけど、でも同時に知られたくない」的な心理がありますね。まだ少数の人間しか知っていない状態、初期の黎明期だと、メンバーとファンの複数性が際立ち、解像度と多様度の高い言説が入り乱れる。「この子のこういうところの良さは自分にしかわからない!」という謎の優越感を得ることもできる。しかし、やがて有名になって全国区になると、キャラが固定化し、商品化が進み、記号的消費に飲み込まれていってしまう。有名になるというのは、やはり残酷なことでもあるわけです。有名になってほしいけどでもまだ売れ切っていない今ぐらいの潜在的で適度に閉じてる感じじゃないと享受できない推しの快楽というものが、ある。
アーレントは「現われの空間」という表現を使ったりするわけですが、
まあたしかに政治や言論というのは、普遍性に向けてより開かれていかないといけないんだけど、だけども同時に大きくなることで、パブリックになることで大事なものが失われる・・そういう直感の綱引きに心理的ドラマがあったりもするわけです。そういう微妙な琴線を意識しながら、まあいわば、開かれ/閉ざされ、オープン/クローズド、アクティビティ/リトリートといった二項対立の「あわい」を意識しながら、アーレントの公共性に関する議論を吟味していく必要があるように思います。
『活動的生』あるいは『人間の条件』。アーレントの主著ともいわれるこの労作は、「本来的な古代ギリシャ」という補助線、見取り図を導入することで、現代世界の問題の所在をよりクリアに浮かび上がらせる、そのことには一定程度成功しているんだと思う。
古代ギリシャの本来性という「物語」をあえて仮に語ってみることで、現代社会の見通しがよくなる、「あー、古代ギリシャと対比してみることで現代の(特に労働における)生きづらさがこうやって可視化されるのかあ、なるほどなあ」という形で、読み進めていくうちに、場合によっては一種のカタルシスを得ることさえできるように思う。アーレント流の物語(おはなし)を真面目に批判するのもありだし、また、その物語をいったん丸ごと受け取ってみて、それを踏み台にして現代社会の様々な問題を考えていくのもありだ。いろんな活用の仕方がある。
ただ個人的には、やっぱりこの本は問題提起として価値があるにすぎないかなと。少なくとも1回目の感想としてはその程度のものになってしまう。見取り図を得るという点では、ぶっちゃけ第2章までで十分でしょう。
実際にこうして一通り読んでも来たわけですが、全編通じて、アーレント自身も、概念や議論が混乱しているきらいが否めない。なので、行為/制作/労働という図式を携えて、現代社会のあらゆる現象を自由に解釈していけばいいし、それがアーレントを真正に継承するということにもなるでしょう。アーレントの「財産」を死蔵するのももったいない。どんどん積極的に使い倒されることを欲しているでしょう(なんか偉そうですが)。
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