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Memoirs of Mairoudo

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series/マイロウドの手記 ――〝ここに、私のかけがえのない出会いたちを記す。〟
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#長編小説

表紙を開く者への前書き

表紙を開く者への前書き

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『マイロウドの手記』



 今でないとき、此処ではない場所に、自分に関する記憶のすべてを失った男がいた。自分が此処にいる理由も、家族のことも、己の名前すらも、すべて。

 しかし、それでも彼は歩き出す。
 記憶を取り戻すためではない。
 ただ、〝自分〟になるために。

 そして彼は、その旅で出会ったすべての者を、自身の手記へと書き記した。
 自分を自分にしてくれた人々のことを、もう二度

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雷鳴

雷鳴

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 遠雷が鳴っている。
 荒い息づかいが、夜の中で赤く染まった指先を動かし、地面の土を掻いた。耳の中に鼓動が聞こえる。もう片方の手の上には、何か淡く光る、拳ほどの大きさをした橙色の球体が乗っていた。雷が鳴っている。鼓動もまだゆっくりと鳴っていた。遠い。遠い。何もかもが遠い。動くのは目、指先、そして、かろうじて唇だった。しかし、そこから発された声が音になっていたかどうかは分からない。もう、

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コージィ

コージィ

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 土のにおい。
 あれから一月が経った。今は春のはじめ。けもの歌の月である。
 畑仕事による血豆は一時期ペンも握れないほどだったが、最近では多少落ち着き、元々持っていた羊皮紙に筆を走らせることもできるようになった。
 ペンを持ち、日記を付けるようになってから気が付いたことだが、どうやら自分は文字の読み書きができるらしい。自分が今いるのは、緑の大陸と呼ばれる国のほぼ最西端であることはコー

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コーデリア

コーデリア

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 空が高く、澄んでいる。
 色いぶきの月。木々の葉、辺りの緑などは色も形もその力を増し、吹く風に乗る命のにおいも、けもの歌の月のそれよりも大分濃くなったように感じる。陽も風も未だ穏やかに差しては柔らかに吹くが、彼らは時折、自身のもつ激しさを思い出したかのようにまばゆく、熱く、こちらの身を焦がし煽り遊んでいた。
 春が終わる。夏が来る。
 少し離れたところから子どもたちの笑い声が聞こえる

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ブレイヴ

ブレイヴ

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 夜明けが灯りはじめていた。
 高台の足下に在る町をほとんど駆けるように抜けた後、きつく締め付けられるようなのに、それでいて激しく鳴る自身の鼓動を落ち着かせるには、そこから日が暮れるまでに進めるだけの歩が必要だった。
 ただそれでも、コージィが持たせてくれた地図によれば、次の街まではまだ多少距離があるようである。
 道に沿って生える木の一つに預け、少しだけ休めていた身体をゆるりと起こし

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センリ

センリ

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 螺旋を描く階段を上る。
 街に着いていちばん最初に目に映ったのは、素朴な色合いの家々でも、噴水広場に並ぶ昼間の露店でもなく、回っていない風車の建つ高台の姿だった。
 正午を告げる鐘が別の高台に在る時計塔から鳴り響く中、手首で額の汗を拭い、つま先を風車の建つ方へと向ける。この街に風はあまり吹いていないようだった。
 そうして、ぐるりと渦を巻いて続く石切り階段を上っていけば、風車の高台へ

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ゼン

ゼン

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 緑の伝う風車が立つ高台の方を見上げる。
 センリと出会ったこの街に訪れて二日目の夕暮れ。周りに村里や小さな町が多いこの街は、薄葉緑の街と呼ばれ、旅人や物資を運ぶ人の出入りが多く、この辺りでは交易の中継地として穏やかに栄えている街のようだった。
 風はあまり吹かないが緑の多いこの街では、植物を用いた薬品も数多く作られており、薬種屋もそこここに店を構えていた。
 そして此処は、街の中心に

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シグナル

シグナル

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 この道の上で、何度立ち止まっただろう。
 薄葉緑の街を出て二日。コーデリアと、淡い黄緑色をした薄葉を湛える高木——ゼン曰く、いろんな地域でそれぞれが様々な葉の形で育つために、リバティベルと名付けられた木らしい——は、街道の左右に陽をめいっぱい浴び、そよそよと吹く風を受けて緩やかに揺れていた。耳を澄ませば、リバティベルの枝から生えている、乳白色をした小さくて丸い木の実が、風に揺れるたび

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ギフト

ギフト

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 さあ、と風が高みを目指して吹いている。
 木々の枝葉や地面の草花に声をかけ、その幾つかを一緒にいずこかへと連れていく風は、これから最初の羽ばたきを空へと見せつけようとしている小鳥にも同様に吹き抜けていく。さあ。ふと、視線をもう少し上へやってみれば、そこでは雲一つない空の中、数羽の小鳥たちが親鳥と一緒に青の中を柔らかく旋回していた。
 真っ白な花を付けているユキノキの枝に一羽残された小

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アンダイン

アンダイン

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 見上げれば、深い緑の木々たちの間に、強い青が浮かんでいる。
 太陽の光が日に日に眩しさを増す、しるべ風の月はもう、今日で十六日目を迎えていた。
 緑の大陸は広い。自分は未だ心のままに歩を進めるばかりだが、このつま先はどうも、いつも東を目指すことを止められないようだった。緑の大陸は海に囲まれた大陸である。このまま歩き続ければ、いつかは海に辿り着くはずだった。海。なんとなく、思うのだ。海

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ウィッチ

ウィッチ

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 白粉を振りまいたような霧が視界を染めている。
 何処をどう歩いてきたのか、振り返れど目に映るのはくらくらするほどの白。かろうじて足下の土が見える程度の狭い視界で、あっちこっちへ向きを変える自分のつま先を眺め、一度立ち止まる。ああ。心の中だけで絞り出すような溜め息を洩らした。次第にどくどくと、どうにも嫌な音を立てはじめた心臓を宥めるために深く息を吸い、それからゆっくりと吐く。知りたくも

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カンウ

カンウ

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 ぽつり、ぽつりと、空の色を吸い込んだ雨が緩く頬を叩いている。
 いつもはその名の通り、うだるような暑さに木陰を求めてばかりのこかげ呼びの月だが、今日に限っては自分も、またおそらく動物たちも、暑さとは別の理由で木蔭を探していた。
 ——雨は、急に降り出した。
 気配もにおいも感じさせず、太陽ですら雲の上着をお召しにならないまま、雨のはじめの一粒は、青空の中からぽたりと地面に落ちてきたの

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ビリーブ

ビリーブ

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 ふと足を止めたのは、今日の夕焼けのせいだった。
 この世界に在るすべての橙をすべてかき集め、それを空一面に塗り混ぜたかの如く、ただただ呼吸を忘れるほど美しい、鮮やかな夕焼け。燃えるようなとも、また焦がすようなとも少し違う、しかし確かに瞳へと焼き付いては記憶に色を残す黄昏の空に、自分の足ははたと動かなくなった。動く気を失くしてしまった。
 今日はどう過ごしたかと言えば、それはほとんど屋

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クロック

クロック

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 少しだけ欠けたステンドグラスから、様々な色に彩られた光が落ちてくる。
 それを閉じた瞼の向こう側で感じながらそっと薄目を開ければ、床に薄く広がっている光が視界に移った。大理石の床上に落ちている光たちは、ステンドグラスがもつ七つの色を纏いながらも、しかし自身は未だ夜の白んだ青い色をしているようである。入り込んできているのは、月明かりか星の淡い光なのだろう。肌寒さから指先を擦り合わせた。

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