センリ
螺旋を描く階段を上る。
街に着いていちばん最初に目に映ったのは、素朴な色合いの家々でも、噴水広場に並ぶ昼間の露店でもなく、回っていない風車の建つ高台の姿だった。
正午を告げる鐘が別の高台に在る時計塔から鳴り響く中、手首で額の汗を拭い、つま先を風車の建つ方へと向ける。この街に風はあまり吹いていないようだった。
そうして、ぐるりと渦を巻いて続く石切り階段を上っていけば、風車の高台へと辿り着く。石畳の敷かれた広くも狭くもない道の両脇に木々がずらりと立ち並び、視線を落とせば自分の石畳にも、その隙間から小さな植物たちが顔を出していた。
視線を上げてみる。ほぼ目の前に建つ風車は、遠目には緑色に見えたが、しかしその緑はどうやら蔦が風車に絡みついて描き出された色だった。そして、羽根車部分にも塔部分にも伝う緑色に覆われてよくは見えないが、この風車はそもそも枯茶色をしているようである。
どちらかと言えば狭い高台は、どうやらこの風車のためだけに存在しているのだろう。そこここの木々や風車によってつくり出された日陰によって、此処は少しばかり薄暗く、また涼しくて、す、と物静かだった。
木々の間を抜けて、柵の手前から街を一望してみる。長い螺旋階段の上に在るこの高台では、街の声も遠い。その高さもあるのだろうが、しかし此処ではまるで、息づく植物たちが人々の立てる声や音を吸い込んでしまっているかのようだった。
息を吸う。強い緑のにおいが鼻から肺へと詰め込まれていくのを感じた。
けれど、それからすぐに息を吐いたのは、その緑のしたたかさに肺を支配されそうになったのもあるが、大きくは高台の何処かで枝葉が立てたものではない、かたり、という少しだけ硬い音が響いたからであった。
「——マツバ。昼食にするには、少し早いんじゃあないか? おれはまだ、あまり腹が減っていないぞ」
「マツバ?」
「……うん?」
次いで聞こえてきた声が、こちらに話しかけているような気がして思わず言葉を返してしまった。だが、マツバとは? いや、誰かの名だろう。けれども、身に覚えのない名を呼ぶその声は、どうもこちらに向かってきていたように思えたのだ。それに、此処には自分以外の姿は見当たらなかった。動物の気配も、今は特に感じられない。
姿は見えないが、しかし、声の主も何か困惑しているようである。それもそうか。これは自分が悪いかもしれない。
「ええと……あの」
声のした方へと足を進め、風車の塔の影から顔を出した。
蔦の巻き付いた風車の背後には低木が幾つか生え、青い花を咲かせている。太陽の光を浴びて差し出される影は今高台の中心に向かって伸びているため、この風車の後ろ側は特別日陰というわけでもなかったが、けれども此処は日陰の中にも思えるほどにひんやりと涼しい。まるでこの高台にだけ、朝の涼しさと夜の静けさを交ぜた薄い帳が下りているかのようだった。
「……涼しいだろう? 此処は、そういう植物だけを選んで植えてあるんだ」
つと、自分の考えを読んだように、こちらが顔を出した方の向かい側から、真っ白な衣に身を包んだ長身の男性が姿を現した。
すらりとして見える身体の首元から足首までを覆う長い衣の上へ更に、肩を包んでは下に流れ落ちるような幅広で長めの首巻を纏っている彼は、こちらの姿を目に映すと、少しだけ困り顔で微笑んだ。
「さっきは悪い。おれは人違いをしたみたいだな。……間違えたのは、小さな子どもとなんだが」
「子ども?」
「ああ。おかしいな、歩き方や杖の突き方も全く違うはずなのに」
自分自身に呆れるような声色の奥に笑いを滲ませて、彼はそう呟いた。そんな彼に、思い付いたように問いかける。
「……その子、魔法使いなんですか?」
「え?」
小さく疑問の声を上げた後、彼はこちらを見つめ、それから睫毛を伏せるようにして微笑みながらかぶりを振った。
「いや、違う」
「はは、そうですよね、すみません。読んだ絵本に、魔法使いは杖を突くものだと描かれてあったものですから」
「盲なんだ。だから杖を突く」
その言葉にはっとして、言葉の代わりに少しだけ頷いた。
「それでも、彼はおれの身の回りの世話をしてくれるんだがな。たとえば——髪を結うだとか」
そんな風に言葉を交わしている間に、彼は白い衣を揺らしながらこちらへと歩み寄り、風車の背後に置かれている背もたれのない小さな木椅子を見やる。それから再びこちらを見やって、座ってもいいか、と問う彼にまた頷けば、彼はごくごく静かな所作で椅子へと腰を下ろした。
「おれはあまり人付き合いが器用にできるたちじゃなくてね。正直、こういうときにどうしたら正解なのかがてんで分からない。とりあえず名乗ればいいか?……おれの名は、センリ、と言う。お前は?」
「マイロウド、と言います。今日初めてこの街にやってきました」
「なるほど、旅人だな」
「分かりますか?」
「分かるよ。旅人のことも、此処からよく見てるからな」
そう言って細めた瞳は、青みがかった緑色をしていた。それはさながら、青い花の色を透かし受ける葉のようである。
髪はそれよりも深い緑で、地面で揺れる植物たちよりは、高木の枝に揺れる葉々のそれに似た色をしていた。切り揃えられていない前髪はところどころが長く、くるりとした癖がついている。それと同じように癖っぽい後ろ髪もまた無造作にうなじの辺りで纏められ、そこでは少しばかり形の崩れた蝶々結びの白い髪帯が揺れていた。
年は自分より上で、二十前半ほどの青年に見えるが、しかし人は見かけによらないということを高台の草原で身を以って知ったため、確かなことは分からない。ただ、その静かで落ち着いた声の感じに反して、はっきりと歯切れのよい話し方をする人だと思った。
「センリは、此処で何を——」
そう訊きかけて、ふと、座る彼の前に置かれているものが目に映る。
「絵を?」
「ああ」
センリは頷き、小さく笑んで、こちらに向けていた身体を画架の方へと向け直した。そこに在るまだ何も描かれていない画布は真っ白で、見ているとなんだか背筋が伸びるようだ。
ふと、街の姿を静かに見つめていたセンリが顔だけでこちらを振り向いた。
「此処でずっと、絵を描いてる」
そう言ったセンリはまた画布の方へと顔を向ける。そんな彼の少し後ろに立つ自分の足を少し動かして、その隣まで歩を進めた。
「なんの絵を描いているんです?」
「——人の営みを」
センリへと向けていた視線を上げる。遠くには、街の最奥に位置するのだろう場所に大きな屋敷が建っているのが見えた。中央広場には露店が建ち並び、色とりどりに辺りを彩っている。荷物を持った人がそこここを忙しなく駆け回り、身振り手振りの激しい人々はきっと客寄せをしているのだろう。
しかし、白昼の光を受けて働く人々が小さく見えるこの高台では、此処の静寂や涼しさとも相まって、そのすべてが別世界のことのように遠く映った。
「真っ白なカンバスは、それだけでもう完成している。これでいちばん綺麗なんだ。だからほんとうは、これに——これを汚す絵の具を乗せる必要なんてない」
ふと、センリがそのように発して、そちらの方を見やった。彼の言葉に思わず首を傾げる。
「それでも、絵を描くんですか?」
「描くよ。それがきっと、営むということだとおれは思う」
言いながら、センリは自身が座っている椅子の隣に置かれた、彼の顎の高さより少し低い小さな机を見やる。筆が一本と、他は何も乗ってはいない。そしてつと、彼はその机の脚にくっ付いている踏み板にぐっと足を下ろした。
「絵の具がさ、どんなものでできているかを知ってるか?」
こちらを振り向き、その青みがかった緑色に弧を描かせながら、彼はそう問う。その間に机の天板の中央が、がこん、という音と共に回転し、少し前まで筆以外は何も乗っていなかった机の上に、様々な色の広げられた調色板が出てきた。
センリはちらとその調色板の上に乗った、淡い色から段々に濃い色へと並べられている、数種類の緑色を見やる。その横顔は、まるで慈しむような表情をしていた。
「たとえばこの緑は、元は孔雀石という美しい石だ。それを砕いて、絵の具は作られている」
「他の色もそうですか?」
「そうだな。この青は藍銅鉱、桃なら珊瑚、朱色は辰砂……それらをわざわざ粉々にして作った絵の具で、おれは絵を描く。美しいものを砕いた色で、おれが美しいと思うものを」
そう言った彼の表情をなんと表せばいいのだろう。
白昼の太陽がちかりと煌めき、そのまばゆい光を高台に棲む植物たちが吸い込んでは、その身を涼しげな色に輝かせている。机に乗った絵の具たちもまた陽光を受けて、その存在を際立たせるかのように、つやつやとした光をこちらへ放っていた。
遠く街の姿を見やるセンリの瞳は、どこか憧れるような、愛おしむような、それでいて少しばかりの寂しさを浮かべていたような気がする。
「……そういえば、石なら」
ふと思い至って、腰帯から吊している小さな布袋の中を探った。その中に入っている薄い手拭いやら包みに入った堅焼きのビスケットやら予備の髪帯などを押し退けて、一際硬い感触をもつ物を探し当てる。そうしてそれをセンリへ差し出せば、彼はこちらの手元を見、そうして顔を上げた。
「これも砕いたら、絵の具になりますか?」
センリはしばらくこちらの目を見やった後、再び視線を落としてこちらの手のひらに乗っている、ころんと丸い小さな石を見る。彼はふむ、と呟くと、少しだけ頷いた。
「これ、何処で?」
「街の手前に落ちていました」
「……白いな」
「はい、真っ白です」
「街の手前ってことは……白灯石かな、これは。ここまで白いものは初めて見るが」
白灯石。聞き慣れない名前に首を捻る。そんな自分に気付いたのか、センリはその青みの緑をこちらに向けて、ふっと小さく微笑んだ。
「この石は太陽に透かすと、内側から少しだけ発光しているみたいに見えるんだ。街の外によく落ちているが、光っているところはおれもあまり見たことがなくてね。マイロウド、少し掲げて見せてくれるか」
言いながらセンリはゆっくりと確かめるように立ち上がり、それから自分の隣に並んだ。自分よりも背の高い彼は、少しばかり覗き込むようにしてこちらの手元を見やる。それを合図にして、白灯石と呼ばれたその小石を指先で持ち上げて、陽の光にかざしてみた。
太陽にかざすと、白灯石はおぼろげに金の輪郭を纏う。強い輝きに当てられて、石のこちら側は暗い水色に翳ったが、その中心はぼんやりと光を放ちはじめたように見えた。
その色は、真っ白と呼ぶよりは内に黄を宿しており、ともすると、その黄の中にもっと様々な色を揺らめかせているかもしれない。それを眺めてふと思い浮かぶのは蛋白石——自分はそれを見たことはないはずだったが——の遊色。だがしかし、それよりも白灯石の遊色は、こちらに暖かな印象を与える色ばかりを集めているように見えた。一等輝く光を、更に中心に宿して。例えるならそう、それはまるで——
「……太陽の光が仕舞ってあるみたいだ。少しだけ暮れはじめた、眩しくて、暖かい光」
「ああ。……たぶん、絵の具にはなるだろう。もしかするとそれも、陽に当てたら光るかもしれないな」
「なら——それって、素敵ですね」
ふと呟けば、白灯石の光を見やっていたセンリがこちらを向く。そんな彼の前に白灯石を差し出しながら、瞳の中で未だ淡く、けれどもきらきらと残る輝きの余韻に思わず目を細めた。
「光が描ける」
その言葉に、センリは一拍だけ置いた後、小さく笑ったようだった。
白を纏う肩が小刻みに震えて、彼のもつ深い緑色の癖っ毛も微かに揺れていた。自分は手のひらに白灯石を乗せ、それをセンリにと差し出したままである。なんとなく気恥ずかしくなって、空いている方の手で首の後ろを掻けば、センリが軽くかぶりを振って、笑みを引きずったままこちらの目を見た。
「ありがとう、マイロウド。でも、受け取る両手がないんだ」
「えっ?」
「ああいや、受け取らないとは言ってない。悪いが、そこの机に置いてもらえるか」
そう言って彼が顎先で示したのは、先ほど天板が回転して調色板が現れたあの小さな机だった。頷いてその上に白灯石を置いて、それからセンリの方を振り返る。
そういえば、彼は踏み板に足を下ろして天板を回転させていた。肩から下を覆うように纏っている、マントにも近く見える長い首巻。彼は出会ってから今まで、自身の手で何かを示すということもなかった。それを億劫がっているわけではないのは、彼の纏うものからなんとなく分かってはいた。だが——そうか、そうなのか。自分の中で納得が広がるのと同時に、何かがすとんと心臓の底に落ちていくのを感じた。
「生まれつきでな。おれはこんなでもあの商家の長男なんだが、これのおかげで世間には存在をなかったことにされてる。だがまあ、家は別に用意されているし、そこの風車の中をアトリエ代わりにしていることにも目を瞑ってもらってるよ」
再び木椅子に座り、彼が視線を向けた方角には、あの街の中で一等大きな屋敷が建っていた。思えば、彼の首巻を衣に留めている金色の飾りは、その中心に高価そうな緑色の宝石が填め込まれている。煌めくそれは、翠玉だろうか。
植物たちが外へ送り出すひんやりとした空気が辺りに漂い、風はほとんど吹かないというのに、センリの緑色をした睫毛を揺らした気がする。彼は真っ白な画布に視線を落とし、そうして少しだけ睫毛を伏せる。それはまるで、目に見えない両の手のひらを視界に映すようだった。
「——それでも、おれは描きたくてね」
その言葉に頷き、彼の方を見る。
「センリ」
「うん?」
「センリ——って、どういう意味の名前なんですか? なんとなく、知らない響きだなと思って」
「ああ、あまり聞かないよな。古い家だと、けっこうこういう名前を付けるんだ。〝果てしなく長い道のり〟って意味だよ。転じて、困難、だろうな」
「果てしなく長い道のり……」
センリの言葉をおうむ返しして、彼が見つめる白い画布の方へ視線を向ける。それをしばらく眺めていれば、ふとセンリが身体ごとこちらを向いた。
こちらを見やる彼の背後には、花の棚で翡翠葛が瑞々しく輝いている。そんな葛の青色にも似て見える、センリの青みの緑を見た。花のように瑞々しく澄んでいるとは言えないかもしれないが、それでも自分には、彼の瞳に、その目をすっかり濁らせてしまうほどの悲しみが浮かんでいるようには見えなかった。
「果てしなく長い道のりは、センリにとって困難ですか?」
「それが歩いていくことだとしたら、まあ、そうなのかもな。お前は?」
「そうですね……それが絵を描くことだとしたら、困難かもしれません。描いたことがないので」
「ほんとうか? 描いてみるといい。思ったより簡単で、思ったより難しくて——きっと、思ったより楽しいぞ」
頷けば、彼はこちらを見ながら少しだけ楽しげに目を細めた。
「そうなると——旅に出るのもいいかもな、おれも。お前みたいに」
「だったら、僕が持ちますよ。イーゼルとか、カンバスとか、色々」
「なんだ、一緒に行ってくれるのか。それはいいな」
センリは笑い、白い衣を少し揺らして小さく息を吐く。それからこちらを見つめた真っ直ぐなまなざしは、細められることなく、ひたすらに澄んだ疑問のかたちを取っていた。
「——でも、おれの絵は、剣よりも強いだろうか?」
その問いに、自分はどんな顔をしたのだろう。
センリの静かで落ち着いた声が告げるはっきりとした言葉は、自分の耳の中で幾度か反響し、頭の中を少しだけ揺らすようだった。どちらが強いのか。どちらかが、弱いのか。筆は剣にはならず、画布は盾にはならない。けれども、弱いだろうか。剣を持つ者は、なんの迷いもなくかの筆を折り、画布を裂くことができるだろうか?
「……そんな困った顔をするな」
センリは自分の方を見て、そう言いつつ、彼も彼でちょっとだけ困ったように笑いながら小さくかぶりを振った。
「困らせたかったわけじゃあない。初めてできた友人に何を話したらいいのか、どうにもおれは分からなかったんだ。許してくれ」
「あの、センリ」
「ああ、なんだ?」
「どちらも強い——じゃ、だめですか?」
そう心のままに伝えれば、センリはふっと微笑んだ。
「いや、……ありがとう、マイロウド」
センリはふと前を向き、街の姿を目に映した。少しだけ風が吹き、さわさわと葉擦れの音が聞こえてくる。高台から見える街の人々は未だ忙しなく動き回り、様々な色の服、露店、食べ物が目に色を与えてゆくようだ。
センリにつられて街の方を見やっていた視線を彼の方へと戻せば、センリは少しの間だけ瞑っていた目を開けて、ゆっくりと息を吸い、吐いたようだった。それから視線を街へと向けたまま、彼はひどく柔らかな気配を纏って微笑んだ。
「それでもおれはこの街で、生まれて死んでいくだろう。何処にも行けずにな。けれど、それが不幸せではないんだ。何処にでも行けるということは、きっと幸福なことなんだろう。だが、何処にも行けないということが、けして不幸なわけじゃあないんだよ」
「……センリはこの街が好きですか?」
「ああ、そうなんだろうな」
「なら、センリは往きますね、何処へでも」
センリが怪訝な表情をしてこちらを振り向いた。そんな彼を見ながら少し笑って、足りなかった言葉を継ぐ。
「だって、絵がある。センリが往きたいと思ったら往けますよ、この街の中で、あなたは何処へでも」
それを聞いたセンリは頷くことも、そして首を振ることもしなかったが、その代わりのように少しだけ息を吸った。そうして彼は少しだけ丸まっていた背をぴんと伸ばし、再び目を瞑ると、すぐにそれを開いて、真っ直ぐに白い画布を見つめる。
「絵を」
そう呟いたセンリの横顔は、はっとするほどに真剣だった。静かで揺るがない彼の声が、耳から心の臓まで迷うことなくやってくる。そんなセンリに少しだけ息を止め、彼の横顔を、画布に向かうその青緑の瞳をじっと見つめた。
「絵を描きたい。……いつもはマツバが来るまで待つんだが、悪い、水入れと筆を取ってくれないか。水入れは椅子の下に在って……水も入れてくれると助かる」
センリの言葉に頷き、彼の座る椅子の下から水入れを取り出す。
それから風車の近くに在った井戸に備え付けられているポンプを手で押しながら、入れ物から溢れさせないように水を注いでいれば、背後からセンリの声が柔らかな色を引き連れてやってきた。水入れを持ち、彼の方を振り返る。
「——お前がまたこの街を訪れたとき、おれはまだこの高台で金にもならない絵を描いているだろう。変わらず美しいものを眺めながら、美しいものを描いているだろう。おれはそれを幸福だと思ったんだ、とても」
「……センリ」
「マイロウド、お前と出会えてよかったよ。何処へでも行けるお前と、出会えてよかった」
机の上に水入れを置く。センリは、そこに乗っている白灯石を見ていた。
そうしてふと、センリが顔を上げれば、そんな彼と目が合い、どちらからともなく小さく微笑み合った。
「なあ、この石を絵の具にしたらさ、それで描くよ、光を。おれがいちばんそうだと思うところに、この色を乗せよう。一等眩しくて、一等暖かいところに」
言いながら、愛おしそうに目を細めるセンリが少しだけ眩しく思えて、つられるようにこちらも目を細めた。センリの言葉はきっと、自分のそれなんかよりもずっと真っ直ぐだ。少しだけ照れくさくなってはにかみながら言葉を探せば、それよりも先に自分の指先が机上の筆を取り上げた。
「そういえば」
「うん?」
「センリはどうして白い服を着てるんです? 絵を描くとき、汚れませんか?」
「カンバス効果だよ、マイロウド」
筆の柄をセンリに差し出しながらふとそう問えば、彼はなんだか子どもっぽい笑みを浮かべてそう答えた。
「——下手に汚せないだろう?」
そんなセンリの言葉に思わず笑えば、彼もくつくつと喉を鳴らして笑い、それから自身の方に向けられている筆の柄を唇で受け取った。こちらを見やって瞳で礼を言った彼は、視線を机の上に置かれている調色板へと向け、はじめの色を選びはじめる。
そうして彼の小さな付き人がやってくるまで彼は絵を描き続け、自分はそれをずっと、彼の隣で眺めていた。
美しい人が美しいものを描くのを、見つめていた。
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