シルクロードの歴史17『シルクロードと宗教-キリスト教編-』
1. シルクロードと宗教について
約二千年にわたるシルクロードによる交易の中では、商品だけではなく様々な思想や分化、技術も相互に行き来し、これにより東洋からは火薬や銃、絹、陶磁器などが西洋に伝わった。
逆に西洋からはイスラム・キリスト・ユダヤ・ゾロアスター・マニなどの宗教が多く伝わり、特に、インドから現れた仏教という思想はインドではイスラームの進出で消えたものの、インドから伝わった東アジアでは現在でも生活に根付いている。
ローマ時代に他のキリスト教の宗派から異端として追放されたネストリウス派キリスト教も東洋で栄えるなど、居場所を無くした宗教がシルクロードを通して別の場所で繁栄を謳歌する事は珍しくなかった。
このようなシルクロード間の経済的交流は互いの文化の混合も促し、その中でも特に東洋と西洋の間で彼らが行き来する地域である中央アジア周辺の遊牧民達は多くの地域から影響を受け、そして他の地域から受けた影響をまた別の地域に与えるというように、文化や宗教の伝搬を担ったといえる。
2. キリスト教の誕生と定着
先述の通りシルクロードによって東洋に伝わったキリスト教は主にネストリウス派と呼ばれる派閥で、そもそも、キリスト教とはローマの属国となったユダヤ教という神は一人しかいないという思想を持った人々が暮らすユダヤ王国の首都エルサレムでナザレのイエスというユダヤ教の教えを改革しようとしたが処刑された宗教家の教えを中心に、イエスを救世主とする教団が形成されたものが起源である。
この教団の教えがステファノやペテロ、パウロなどによりローマ領内各地に布教され、ユダヤ人だけではなく様々な民族に広まっていき、キリスト派ユダヤ教の宗派としてイエスは生まれたときは人間で後から救世主になっていったとする「エビオン派」、物質界と霊界があり自分や神を認識する事を目的とした「グノーシス主義」、グノーシス主義と似ているが神を認識するだけではなく信仰するべきとする「マルキオン派」、イエスは最初から神であり人であり神とキリストと精霊は三つで一つ、三位一体であるという「原始正統派キリスト教」の四つが生まれた。
2世紀から3世紀にかけてこの原始正統派キリスト教が他の派閥を排除して異端としていき、その中でユダヤ教の中で非常に広まった一派だったキリスト派ユダヤ教はキリスト教という独自の宗教に変化していった。
4世紀にはローマ皇帝の権力が低迷し内乱が絶えない時代となっていたことからキリスト教に縋る人々が増加し、結果、地中海沿岸各地に広まり、最終的に内乱を収めたコンスタンティヌス1世はローマ国内で広まっていたキリスト教を承認し、彼の死後に訪れた内乱を収めたテオドシウスはキリスト教を国唯一の宗教とした。
3. キリスト教の東洋進出
キリスト教をローマ唯一の宗教としたテオドシウスは元からローマ領内にあった他のギリシア宗教、ローマ宗教、エジプト宗教、ケルト宗教、ゲルマン宗教、スラブ宗教、アラブ宗教などや、キリスト教の中でも異端とされる宗派を迫害するようになった。
こうして、325年には無から宇宙が作られたとするエジプトのアリウス派が異端と判断、431年には三位一体説の解釈が異なりイエスの母マリアの扱いを普通の人間とした中東のネストリウス派が異端とされた。
そして、11世紀には東西教会の分裂によりローマ教皇を中心とする「カトリック教会」と、コンスタンティノープル、アンティオキア、エルサレム、アレクサンドリアの総主教を中心とする「正教会」がキリスト教の二大勢力として並立する状態に入った。
また、異端とされた後のネストリウス派は昔からイランで広まっており、本拠地にしていたシリアの人々はイランのサーサーン朝ペルシアに亡命、異端宣告以前からサーサーン朝ペルシアはセレウキアとクテシフォンの大都市のネストリウス派の主教を保護しており、これによって、東洋へは唐がシルクロードを支配していた7世紀頃に阿羅本らペルシア人の宣教師によって伝えられることとなった。
ネストリウス派は中国では景教と呼ばれ多くの信者を抱えるに至ったが「会昌の廃仏」という国の安定のために中国の伝統宗教の色合いが強い「道教」を中国唯一の宗教にしようとした政策の中でマニ教・ゾロアスター教・仏教とともに迫害され消滅していった。
その後、13世紀のモンゴル人の建てた元王朝の時代にローマ教皇を中心としたキリスト教の一派で当時は西欧世界を支配していた「カトリック」が布教され多くの信者を集めるがそれも段々と衰退していった。
そのため、現在の中国に存在するキリスト教は16世紀にザビエル、ヴァリニャーノ、リッチらカトリックの中でイエズス会と呼ばれる集団が布教を行なったものや、17世紀にロシア人が首都北京に持ち込んだロシア正教会、9世紀にモリソンが持ち込んだプロテスタントというカトリックから分裂した派閥などで、近代には迫害を受け続けるが「地下教会」として存続して現在に至る。