アメリカでネオダダが生まれたのと同じ頃、敗戦し東西に分裂状態にあった西ドイツでは様々な分野の芸術家達がパフォーマンスを行う「パフォーマンスアート」のグループが現れると言う「フルクサス」と呼ばれる一連の運動が起き、二度と同じパフォーマンスを繰り返さないというスタイルのフルクサス運動はヨーロッパやアメリカに波及していくこととなる。
また、その中からはゲリラ的に突然行われる「ハプニング」というフルクサスの様式も誕生し、アメリカではフェミニスト作家として有名なケイト・ミレット、ミニマル・ミュージックの代表的人物の一人テリー・ライリーやラ・モンテ・ヤング、あらゆる前衛芸術に多大な影響を与えた実験音楽家ジョン・ケージ、ビデオ・アートの代表的人物ナム・ジュン・パイクなどがこれに参加した。
それ以外でもリトアニアではリトアニア独立の指導者で国家元首でもあったヴィータウタス・ランズベルギスや実験映画で有名なジョナス・メカスなど、ドイツでは脂肪・蜜蝋・フェルト・銅・鉄・玄武岩など独特な素材の立体作品の制作や教育や社会変革も芸術だとして政治活動を行なった巨匠芸術家ヨーゼフ・ボイスなどがフルクサスに参加していたそうである。
また、ネオダダやフルクサスなどの影響は遠く日本にも強く及んでおり、1954年の時点でネオダダやハプニングの要素のある「アクション・ペインティング」や空間自体を芸術作品とする「インスタレーション」などを行う吉原治良(よしはら・じろう)を中心とした「具体美術協会」が活発に活動していた。
そこに1950年代後半から「東京都美術館」の公募展でジャンク・アートが多く出展され工藤哲巳をきっかけとして日本でも「反芸術」つまりネオダダのブームが到来、荒川修作(あらかわ・しゅうさく)や赤瀬川原平(あかせがわ・げんぺい)などが活躍していった。
また、1960年代に入るとアメリカでポップアートの代表格と言えるロイ・リキテンスタインとアンディ・ウォーフォルが漫画の一部を拡大した作品で登場し、当時、漫画は一般的な美術分野では大量に印刷され絵柄も似たようなものばかりであるため下世話なものであるとされていたものの、その漫画の単純で力強い線などを用いた彼らの作品は、既成の優れた美術の価値観を再び揺るがすこととなった。
アンディ・ウォーホルはその後、既製品を使った「キャンベル・スープの缶」や、マリリン・モンローなどの有名人の写真など至る所にあるイメージを用いた版画を大量に生産するなどし、現在ではウォーフォルは世界で最も有名な芸術家の一人となっている。
また、ウォーホルやリキテンスタインのポップアートは映画や漫画などと同じく魅力的なイメージを持っているとされ、アメリカの大量生産や大衆文化をテーマとしているため"アメリカの豊かさを賛美する美術"としてアメリカ国民達に受け入れられていった。
これによりポップアートの制作者達は「カウンターカルチャー」的、つまりアングラ芸術家ではなく大衆的な作家となり、大量生産や大量のメディア広告、有名人などポップアートがテーマとする部分を当たり前にして育ってきた当時の若者層から特に大きな支持を得ることとなった。
また、他のポップアート関連の世界的に著名な人物としては、日常のものを巨大化させたパブリックアートやインスタレーションで知られるスウェーデン出身のアメリカのクレス・オルデンバーグ、広告を題材とした作品ジェームス・ローゼンクイスト、ストリートアートの先駆者とされる巨匠画家キース・ヘリング、グラフィティ・アートをモチーフとした作品が有名なジャン=ミシェル・バスキア、文字を使った彫刻作品が有名なロバート・インディアナ、大規模な彫刻・絵画で知られるジェフ・クーンズなどがいる。
また、日本出身者ではアメリカで活躍しハプニングなどのパフォーマンスも行い「前衛の女王」と呼ばれる草間彌生(くさま・やよい)と漫画やアニメなどの要素を取り込んだスーパーフラットの提唱者 村上隆(むらかみ・たかし)が特に著名で、森村泰昌、横尾忠則、奈良美智、森万里子、会田誠なども代表的な人物と言える。
またネオダダやポップアートが繁栄した頃には騙し絵や数学的・工学的なアプローチを用いた建造物や模様を描いたマウリッツ・エッシャーという非常に著名な版画家が活躍していた。