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また、青騎士などが起こった頃と同じ頃にはスペイン出身で、フランスで活動した画家パブロ・ピカソがアフリカの仮面のような大胆なデフォルメと19世紀末期の印象派の重要人物の一人であるポール・セザンヌの作り出した考え抜かれた知的な構成の影響を受けて描いた「アビニヨンの娘たち」という作品からある運動が生まれていた。
この絵の作者であるピカソとその独特な「アビニヨンの娘たち」を評価した数年前に流行したフォーヴィズムの代表的人物だったジョルジュ・ブラックという画家の二人は対象を解体し画面上で再構成するという技法や、紙や木などの破片を貼り付けて絵にするコラージュの技法、多様な角度から見た形を同じ絵の中に収める技法などを発明した。
これにピカソと同じくスペイン出身で、フランスで活動した画家フアン・グリスも加わり、ピカソ達の住んいたパリの一番高い丘「モンマルトル」で、「キュビズム」という一派が確立されたのである。
その後にはフェルナン・レジェやロベール・ドローネー、ロベールの妻ソニア・ドーローネー、フランティセック・クプカ、フランシス・ピカビア、そして後のダダイスム運動に絶大な影響を与えた巨匠マルセル・デュシャンなどがキュビズムに大きな影響を受けた「オルフィスム」と呼ばれる存在となり絵画を制作した。
ピカソはその後の1932年に愛人を描いた「ヌード、観葉植物の胸像」や1937年の「泣く女」、同年、には後に反戦のシンボルとなるスペイン内戦を描いた世界で最も有名な絵画の一つ「ゲルニカ」、第二次世界大戦後の朝鮮戦争中には「朝鮮の虐殺」など有名作品を多く制作、キュビズムの確立した技法はその後の絵画に大きな影響を残すこととなった。
ピカソやブラックがキュビズムを生み出した当時、このモンマルトル地区ではフォーヴィズムの指導者アンリ・マティスやアンドレ・ドラン、印象派やポスト印象派のルノワールやゴッホ、ドガ、シュザンヌ・ヴァラドン、モーリス・ユリトロ、ロートレック、ピカソと同じ集合住宅「洗濯船」に居住していたモディリアーニなどの画家、文学者のギヨーム・アポリネール、ジャン・コクトー、アルフレッド・ジャリなどが活動していた。
ここで活躍した芸術家達は総称して「エコール・ド・パリ」と呼ばれ、特にフォーヴィズムの指導者だったマティスとキュビズムの創始者ピカソはこの「双子のリーダー」と呼ばれる代表的存在だった。
キュビズムが誕生した少し後、イタリアの詩人フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティを中心とした「未来派(フトゥリズモ、フューチャリズム)」という過去の芸術の徹底的破壊、機械化によって発展した近代社会のダイナミズムとスピード感を讃え、積極的に運動表現を取り入れる事を目指した文学、美術、建築、音楽などに跨る前衛芸術の運動が誕生した。
未来派の絵画の分野では機知に富んだ作風のジャコモ・バッラ、モザイクやフレスコなど様々な技法を用いたジーノ・セヴェリーニ、後で触れる形而上絵画の画家でもあるカルロ・カッラなどが活動し、また、未来派運動全体の中心人物であるマリネッティがロシアを訪れた事からロシアの前衛芸術にも大きな影響が及び、「ロシア・アヴァンギャルド」の芸術運動が誕生することとなった。
ロシア・アヴァンギャルドの絵画ではナタリア・ゴンチャロワやミハイル・ラリオノフによりモスクワで「レイヨニスム」が、カジミール・マレーヴィチにより黒い四角形だけの絵など抽象性を徹底した「シュプレマティスム」が確立されるなどし、キュビズムとシュプレマティスムの影響を受けた「ロシア構成主義」も誕生している。