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【詰将棋】中村宜幹さんが六段目裸玉の紹介を?🤔

CAUTION!
純粋に指し将棋をベースにした好手・好手順等の創出を目指している詰将棋創作者はここでブラウザバックした方が良いです。低質な図に気分を害したり、SNS等で叩かずにはいられなくなる恐れがあります。

過去に、NOTEに投稿した六段目の完全作裸玉3作が創棋会通信+α Ⅱさま(2023年3月17日)の記事内で中村宜幹さんによって紹介されていたことを知った。詰将棋おもちゃ箱さまでお名前を見かけたくらいだったので検索してみると、令和3年度の看寿賞特別賞を受賞なさっているそうで普通に心臓がひっくり返った。

そんな詰将棋界のトップにいるような方に言及していただけるのは控えめに言っても恐縮するところがある。何せ自分は詰将棋界とは無縁のNOTEとかいうネット海の孤島で裸玉双裸玉を探索したり、エレベーター詰などの低質詰将棋をこねくり回している素性の知れない塵芥なのだから。

六段目の完全作裸玉とエレベーター詰
(「なんかの蛹」の詰め手順は下記リンクからどうぞ)

基本的に、自分は指し将棋初心者と上級者双方が楽しいと思えるようなエレベーター詰とか、生の大駒だけで詰み手順を作るような特殊趣向の2種類を追い求めている。誌面に載るような商品としての価値がある詰将棋はそれはそれで良いものだと認めつつも、そういう類の作品を創る気は湧かない。その理由は手の巧拙について指し将棋を基準にしているためだ。詰将棋は指し将棋から独立したパズルなのだから、指し将棋とは異なる質の驚きや面白みを見出そうとする方が新規性と新鮮味の点では勝るだろう。だからこそ、窪田義行(空気から整えていく 環境派)峰王尊師から心温まる難癖をつけられたように、これを快く思わない排他勢がいることが不思議でならない。

裸玉にそういう基準を当てはめると、好手もなければ好手順もない、ただ難しいだけの初形趣向の価値しかなくなる。そういう風にしか見えないのなら、そう見ていただいても構わない。俗に上手い作品を評価するのが大好きな詰将棋界の与り知らぬところで、自分が裸玉は良いものだと認めてやれば何の問題もない。むしろ、こういう詰将棋界から見れば頭のイカれた思創性と完全性証明の幸運がなければ、六段目の裸玉を3つも見つけることはできなかった。盤中央6マスの中に裸玉を発見できてからは「もしかしたら天王山裸玉は存在するかもしれない」と希望が持てるようになった。それに、この探索の面白みは評価基準がまるで違う詰将棋界に理解してもらわない方が一人で自由に楽しめる点では都合が良かったりする。

とはいえ、第一発見者としての証拠を残しておかなければ後々どこかの詰将棋誌に同図が発表されて厄介になるので、仕方なくNOTEに書かざるを得ないのがとにかく面倒臭い作業だった。さて、次の裸玉はどのマスで見つかるのだろうか。

スペシャルサンクス

窪田義行(空気から整えていく 環境派)峰王 尊師
拙エレベーター詰に対し、”詐術的印象を与える” と迚も心温まる難癖をTwitter(現X)上で引用リポストして頂き、スマホ詰パラからの引退及び裸玉・双裸玉等の無好手詰将棋を重点的に探索する契機を頂戴いたしました

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はる筆線屋
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