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【広告本読書録:096】糸井重里の萬流コピー塾 U.S.A

糸井重里 著 文藝春秋 刊

その昔、コピー原理主義の方々は「コピーライターは裏方であるべし。広告コピーは無記名であるべし。コピーライターが表に出てタレント気取りの活動をするなど言語道断!どん!(机をたたく音)」という説を声高に叫び続けていました。

それを聞いてぼくは半分(そうだよなあ)とおもいつつ、もう半分で(そうなのかなあ)ともおもっていた。なぜなら、ぼくがコピーライターを志した理由のひとつが「有名になってモテたい!」だったから。もちろん、それだけじゃありませんけどね。

とはいえ、コピー原理主義の人々の主張は正論だけに強く、硬質であり、多くの人は頷かざるを得なかった。つまんないな、とおもいつつも、そうだよなあと。

だけどですね、事ここに至って、パーソナルの時代ですよ。コピーライターが広告の裏方なんてのは昭和の幻想で、いまじゃあコピーライター自身がSNSを活用して「あの広告はぼくが」「これはわたしが」と語りはじめています。

そして、そこには当たり前ですが、それらのコピーに通底する人柄があふれている。「いいな、この人」「すてきな人だ」そうかんじることが普通になってきています。

たとえば、ぼくは岩崎俊一さんのコピーが大好きです。あまりに好きすぎて写経の果てにちょっとだけ手癖をマネたり、考え方の根っこに影響を受けていたりします。その流れで娘さんである岩崎亜矢さんのコピーや仕事も、なんだかとてもいいな、とおもって眺めています。

そうすると、自ずと亜矢さんがコピーを書いた企業や商品のことも、スキになる。ぼくでいえばメガネを某社から『JINS』に変えたりして。そしたらですね、これがとてもいいんですよ。プロダクトもいいし、サービスもいい。さすが亜矢さんがコピーを書いたブランドだ、となるわけです。もう某社には戻れないぞ、なんて。

これって、広告を出す企業にとってはものすごくプラスに働いていることになりますよね。そう、これからの時代は広告の作り手まで含めて、ブランディングになるんじゃないか。

だとしたら、コピーライターのタレント化。これはもう、本来なら「いいぞ、もっとやれ」って世界になってもおかしくない。逆に、コピーライターだからって内に籠もって発信しないままでは、食っていけない。新しいコピーライターのスタンダードはSNSなどを積極的に活用し、生身の自分をどんどん前面に出していくことが必須になるといいな、とおもっています。

阿部広太郎さんなんて、すごくあったかくて大きな人柄がTwitterからかんじますからね。阿部さんがつくる広告があれば、どれどれ、どんな会社のどんな商品なの?って三割増しの贔屓目で見ちゃう。

そういう時代が来てるとおもいます。

『誰に、なにを、どのように』伝えるのかというのはコピーを書く際の方程式というか不文律ですが、これからは『誰が、誰に、なにを、どのように』伝えるのか、になる。

そういう時代にしないと、広告やコピーライティングだけがいつまでも古い価値観に縛られて、足止め食らっちゃうんじゃないか。いいことは残して、あたらしいことに挑戦する。最初は多少、お歴々から苦い顔されるかもだけど、そんなのほっときゃいいんじゃないすかね。

だって、いまから40年ぐらい前に、ひとりのスーパースターがすでにお手本を見せてくれていたんですから。糸井重里さんというスターが。

Amazonのヤツ、タイトル間違えてますね。万流じゃなくて、萬流。ぼくの手元には1984年9月15日の初版本があるのですが、帯のコピーがふるっています。

一流、二流じゃものたりない。

そんな『萬流』コピー塾が今回の広告本になります。

有名になりたくて、モテたくて…

冒頭で「有名になってモテたい」という、若かりし頃のぼくの入職動機を恥ずかしげもなく書いてみましたが、その「有名」こそが誰あろう、イトイさんその人でありました。

最初に意識したのは高一のときかな。『ビックリハウス』の「ヘンタイよい子新聞」でなんだこのおもしろい人は、と驚きました。驚いたのはもちろんぼくだけじゃなくて、日本中のサブカル好きが熱中します。

その次は『YOU』ですね。YOUには毎回さまざまなゲストが出て、特にYMOコネクションに関わる人たちも多かったことから、欠かさずチェックしていました。そして、あろうことかイトイさんに対して「みとれよ~、いつの日かYOUの司会の席はオレが奪ってやる~」などと心で誓ったのでした。

そのときはイトイさんがコピーライターってことは正確には知らなかったし、なんならコピーライターって仕事もまったく知りません。それから月日が流れて、東京でふとコピーライターというものになろうかな、とおもったときに糸井重里の名前を見つけ「これだ!」と決めたわけです。

つまりぼくにとっての「有名でモテる」はイコール糸井重里なのでした。

しかし確かに「有名でモテる=イトイさん」なのですが「=コピーライター」ではなかったところにぼくの誤算が。コピーライターにまずなれない。いやコピーライターなんですよ。だけど本物のコピーライターになるには類稀なる才能とそれを上回る努力と、何より頭脳が必要でした。

才能と頭脳がないぼくが、どれだけがんばってもコピーライターにはなれません。そして当然ですが有名にもなれないし、モテもしない。

人生、たった一回なのに、大事なところで計算違い。しょうがないですね。

そんなぼくの話はどうでもいいんですが、とにかくイトイさんは1968年にコピーライターとしてデビュー。75年にTCC新人賞をとり、イラストレーター湯村輝彦さんと共著を出したり、78年には矢沢永吉激白集『成りあがり』の構成と編集を担当したりと、徐々にアンダーグラウンドからメジャーへと登りつめます。

そして79年末、作詞した沢田研二の『TOKIO』が翌80年初頭から大ヒット。先ほどのメディアへの露出に加え本業でも西武百貨店のコピーなどでブレイク。いよいよイトイ王朝を迎えることになるのであります。

今回の『萬流コピー塾』はそんなイトイフィーバーのさなかである1983年より週刊文春で連載を開始。ビックリハウスの流れを汲んだ読者投稿型のコピー講評が話題となったものです。

ぼくの父親などは『萬流コピー塾』のイメージが強すぎたせいで、ぼくが東京でコピーライターになる、と伝えたところ「大喜利なんかでメシは喰えないぞ」というよくわからない反対理由を唱えたものです。

遊んでいるようで、実は学べる

ぼくの父親のような門外漢からは「大喜利」扱いされる萬流コピー塾ですが、これがいま読み返しても面白い。毎回、家元であるイトイさんからお題が出されます。それに対して読者たちは頭をひねってコピーを投稿する。

イトイさんと番頭さんは送られてきた読者のハガキに書かれたコピーをチェックして、できの良いものを「松(5点)」「竹(2点)」「梅(1点)」「毒(半点)」の順で評価し、紙面上で紹介します。

1点とれば「見習」になれ、3点以上で「弟子」に。10点以上たまれば家元から萬名を授けられ「名取」に認定。30点以上得点すればついに「師範」になれる仕組みに、投稿者たちは熱狂したものです。

ま、言ってみれば宣伝会議賞のウルトラカジュアル版。コピー、といってもたしかに上手いこと言ってる作品が点数とったりするので、大喜利のそしりは免れない。知的お戯れというか、貴族のお遊びというか。

しかしですね、随所にイトイさんからのコクのある指導があらわれるんです。これがまた、イトイコピーの秘伝みたいなところがあって。あと、名取から本物のコピーライターになった人も出てきたりして。学びもあるんだ。

個人的に面白かったお題&コピーと、イトイさんがポロッと漏らすありがたいご託言を紹介しますね。

ぜいたくなイトイさんのコピー塾

イトイさんは「年賀状の言葉」というテーマの回で、とにかくめげるな、と塾生に激を飛ばします。

とかく、くじけがちな塾生諸君。ハッキリ言うが、名取や高得点者たちは、単にセンスがいいだけでなく、いつでも新しいコピーを出そうと努力もしておる。多く出すことばかりが良いのではない。何よりもめげぬことが大切である。なにげなく書いたものが、ヒョイとうまくいくこともある。

おそらくこの頃「萬流に出してもぜんぜん引っかからない…」「箸にも棒にもかからないからやる気がなくなった…」といった読者の声が文春編集部に多く寄せられていたのではないでしょうか。そういった背景を受けての家元、つまりイトイさんのお言葉がこれであります。

弟子たちにはとにかく厳しい、という評判のイトイさんでしたが、このときばかりは優しさを見せていますね。もっとも多く出すことばかりが良いわけではない、と量を否定するあたりがイトイさんらしいといえばらしいです。

そして「コロッケ」という極めて身近なテーマの回。この回はいつもの三割増のハガキが届いたそうです。みんなコロッケ、スキなんですね。

松のコピーを紹介します。

『落としても、食える』 伊岐見一敏

イトイさんはこのコピーを「手練にない、強烈な素直さが、心に波紋をひろげるでしょう。コロッケという商品が、バーンと「立つ」のである。こういういいコピーによって」と評します。

ちなみに個人的に好きなのは漫画家いしかわじゅんさんが書いた

『尻尾まで、芋』 いしかわじゅん

「うちのコロッケは」とつけたほうがいい、とイトイさん。評価は(梅)でした。

テーマの「言葉」に踊らされるな

「近所の喫茶店」というテーマの回ではこういった公募物にありがちなテーマの捉え違いについて指摘するとともに、このテーマで塾生に味わってもらいたかったことについて言及しています。

今回も「近所の」という三文字に踊らされて、「近所」ということをコンセプト(概念。転じて、広告用語としてはアイディアの核となるテーマのことを言うようになっている)にした塾生が多かった。「パジャマ姿で」とか「怒鳴れば家に聞こえます」とか、である。
そういうことを問題にしていたのではない。
要するに有名な✕✕などという喫茶店ではなく、任意の、全国的には名前も知られていないような「とある喫茶店」のコピーを書いてほしかったのだ。

このアプローチでコピーを書けば、うまくいけば塾生のコピーが即座に「実用」に使えるではないか、とイトイさん。なるほど!確かに大喜利要素がたぶんに含まれがちな公募系コピーでも、テーマの捉え方を間違えなければ実用につかえるわけです。

そして審査員は絶対に実用化に近いコピーを選ぶはずです。ここにひとつ、公募チャレンジの際のポイントが隠されていると、ぼくはおもいました。

ちなみにイトイさんも行きつけのレオンという喫茶店(原宿にありましたね)のコピーを無料で頼まれて

『従業員がよく奥の椅子に腰かけてレオンのコーヒーをしみじみと味わっております』

というコピーを書いたそうです。しかしなんとボツに。イトイさんは「一行一千万円の噂さえある家元のコピーが、没になってしまったのであった。」と書いています。こういうこと書くから、コピー一行1千万ガポーッ!って風評になるんですよね(笑)。

さらにこの回ではコピーを書く時の重要なポイントをサラッと言ってのけます。

『いつだって、そこに行けばケンカができる』 塩野豊

という(梅)のコピーの解説に

他の人にも言えることだが、こういう場合「そこ」ではなくて「ここ」、「行けば」じゃなくて「来れば」と書く。そうじゃなきゃ広告にならないじゃないか。

「そこ」に「行けば」では広告にならない。「ここ」に「来れば」ではじめて広告になる。うーん…深い。深すぎる。遊び半分でやっていながら実に深淵なるコピーのお作法について語っておられます。

常識から二段階飛ぶ

お次は「マルクス全集」から。このお題に関しては、ほとんどの塾生が同じコンセプトを立てて考えていました。つまりそれは「私には難しくてよくわからない。だから縁がない。そして縁がなくてもまったくかまわないと思っている」といったようなことなんだそうです。

あとは、そのことをどう表現に結びつけるかである。これを『漬物の重石に』とか『睡眠薬がわりに』とか書いた人々は、コンセプトが出来た段階からその次の飛躍ができていないのである。

ぼくは昔、本当に駆け出しだったころ、上司の野口さんというコピーライターにいつも「もっとジャンプさせないと」「もっともっと飛ばせ」と耳をタコができるほど言われていました。

そんななか、言いたいことは同じだけれど、飛躍を果たすことで新しい顔をつくり、パッと目をひいて、コンセプトを一気にのみこませたのがこのコピーです。

『機動戦士マルクス』 滝口文一

テーマにばかり気をとられている塾生からは単なる語呂合わせにしか見えないかもだけど、その単なる語呂合わせがツボにはまると、大したパワーを持つのだ、とイトイさんはおっしゃいます。ちなみにこれは(竹)でした。

機動戦士マルクス…不覚にも笑ってしまいました、ぼく。なにもいってないならこれぐらいのパワーがほしいって、こういうことなんですね。

たぶん、ぼくの駆け出し時代の同僚でありライバルであったまっちゃんはこういうコピーを書いていたんでしょう。それを野口さんは褒めていたんだなあ、といまさらながら。

同巧多数のワナをかいくぐれ

続いて「やきいも」。誰もがやきいもを買いに走り出したくなるようなコピーを書け、というものです。ここではイトイさんは同巧多数のワナをかいくぐって(松)を狙うように、と注意します。

同巧多数のなかに混じってしまうと、浮かびあがれないからね。みんなが考えているようなことというのは、つまり、いま現在みんなが考えていることなのです。であるから、それをいまさらくり返して言ってみても、商品のイメージを活性化することはできないわけだ。

やきいもにおける同巧多数とは「皮も旨い」「久里四里うまい」「新聞紙も味のうち」「おなら」といった切り口ですね。もちろんレトリック次第ではイキてくるのですが。

『君ねぇ、誤解を解くということは窓を開けるって事じゃないんだよ』 伊東志津江
『いも自体はくさくない』 久保寺靖彦
『奥様、あちらのベンチの方からです』 後藤秋彦

上から(竹)(松)(松)です。いわゆる切り口として平凡でも、表現自体で切り抜けられるし、もちろん独自の視点があるほうがいいという証拠ですね。

広告界も悩んで大きくなった

気づいたら自らに課していた最大文字数5000文字を大幅にオーバーしていました…どうしよう、イントロ削ろうかな。いや、もう一気に最後までいっちゃおう。

ということで本書は最後の章として新宿紀伊国屋ホールで行われたイベント『萬流大会』の様子が収録されているのですが、そこでのゲスト、野坂昭如さんとイトイさんとのやりとりを紹介しておひらきにします。

このイベント、あらかじめ塾生に出していた「スリッパ」というお題に対して寄せられたコピーをその場で発表し、批評するという企画でした。

『坂井のアパートにはニ歩あるく為のスリッパがある』 矢ヶ崎嘉穀
『お父さんのスリッパにも白いものが目立ちはじめました』 小沢誠一郎

こういったコピーが会場を爆笑の渦に巻き込みます。そこに異をとなえたのが作家の野坂昭如さん。

(前略)あれはスリッパを売るために、どういう役に立つんですか?(中略)今日のコピーを見ていると、スリッパをおとしめようとしているとしか思えなかったわけだ。

つまり、ここで発表されているコピーたちに「売る」ための力があるのか、またスリッパの効能や機能を強く訴えるコピーがないではないか、ということを疑問提起されたんですね。そこにイトイさんは

このことは萬流のみならず、広告界そのものでしょっちゅう問題にされておることです。私自身の考えでは「機能」や「メリット」を上手に表現するのも「現代広告」および「萬流」のひとつの方法である、ということになる。いまはこれ以上答えることはしない。いずれ塾生たちが各自感得しなければいけないことだと思うからです。

野坂さんは、いわゆるモノのどまんなかでの訴求こそが広告の王道であり、萬流でもてはやされる、つまりイトイさん流のコピーは亜流ではないか、ということを暗に指摘しているんですよね。

それに対してイトイさんは、モノから離れた「気分」や「雰囲気」を切り取って上手に表現することで、消費者から共感や感動を引き出すこともひとつの広告の手法である、と返したわけです。

ううむ…この時代にもこういった論争はあったわけですね。ぼくがひとつ思うのは、イトイさんが広告やめちゃったのって広告業界、特にコピーライティングの世界にとって本当に大きな痛手だったなぁということです。

イトイさんなら、いまの混沌とした広告コピーをきちんと分断したり、整理したり、それぞれに名称をつけたりして、もっと本質的に価値のある産業へと昇華させることができたんじゃないかな、と。

そんな、考えても詮無いことを考えたくなる、1984年9月15日第1稿である『糸井重里の萬流コピー塾 U.S.A』なのでした。

長文にも関わらず最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。

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