小野道風が記した国宝の「勅書」 @東京国立博物館
特に尊王攘夷が吹き荒れた江戸幕末を舞台とした時代劇では「勅許(ちょっきょ)が くだったぞ!」などといったセリフが聞かれますが、その勅許を記したのが勅書(ちょくしょ)ということになるかと思います。
現在、東京国立博物館(トーハク)には、《円珍贈法印大和尚位並智証大師諡号勅書》という国宝が展示されています。非常に分かりづらいタイトルですが、分かりやすく記すと、こんな感じです。
「醍醐天皇が円珍に、僧の最高位である法印大和尚の位を贈ったよ。あと、これからは円珍を『智証大師』と呼びましょう」
といった感じになります。諡号(しごう)とは、亡くなった後に尊敬の念を込めて贈る名です。そのため現在では「円珍(圓珎)」と呼ぶ場合もあるし「智証大師(智證大師)」と呼ぶ場合もあります。
はじめの2行で「天台座主で僧都の法眼和尚位である圓珎(円珍)に、法印大和尚の位と智證大師の号を贈るべし」と記されていますね。その下に朱のハンコが捺印されていますが、これが天皇のハンコで、玉璽とか御璽と呼ばれるもののようです。下図は現在使われている御璽ですが、醍醐天皇の頃にも、だいたい同じデザイン……天皇御璽の4文字が刻まれたものを使っていたのでしょう。
その御璽の左側から、少し文字を大きくして、下記のようなことが記されています。
勅す。慈雲秀嶺、仰げば則ち弥高く、法水の清流は之を酌めば寧ぞ盡(尽)きんや。故天台座主少僧都圓珍、戒珠に塵無く、慧炬照らす有り。大海を渡りて法を求め、異域に馳せて師を尋ね、物を済ふを宗と為し、舟檝を苦海に泛べ、利他意に在り。斧斤を稠林に加ふ。是を以て朦霧その翳味を歛め、朗月その光明を増し、遺烈永く伝はり、余芳遠く播る。志節を追憶するに以て褒崇するに足らん。よろしく法印大和尚位を贈り、諡して智証大師と号すべし。前件に依りて主者施行すべし。
それにしても、この字は小野道風が記したと考えられています。小野道風と言えば、歌人などとして知られる小野篁(おののたかむら)の孫。うちの近所に「小野篁が御東下の際に住まわれた上野照崎の地に創建」されたという小野照崎神社があるので、なんとなく聞いたことのある名前です(小野篁が御東下した事実が見当たらないのですが……神社創建は小野篁の亡くなった年)。
小野道風(みちかぜ・とうふう)は、もともとはむしろ武道に優れるヤンチャな性格だったようですが、途中から心を入れ替えて勉学にも励むようになったとされています。
先日、皇居三の丸尚蔵館の副館長にお話を聞いた限りでは、小野道風は三蹟の一人……というよりも三蹟の一番最初の人であり、この頃から、空海などから続いた唐様とでもいうべき書体から、じょじょに柔らかさを含んだ書体へと変遷していき、同じく三蹟の藤原佐理、そして藤原行成へと継がれて、藤原行成の頃に和様の書体が完成をみた……といったようなことを言っていました。(藤原行成の書を説明いただいた時の話を、改変して記しました)
その話を念頭に改めて今回の勅書を見ると……公文書なのだからもう少し綺麗に書いても良かったのでは? とも思いますが、平安時代の和歌を記した時のようなニョロ字ではなく、かなり読みやすい書体です。
ちなみに三筆の筆頭とも言える“伝”空海の書も、トーハクに展示されていたので、いちおう載せておきます。ちなみに“伝”ってことは……空海の書ではないってことと、ほぼ同義……。とはいえ解説パネルによれば奈良時代に書かれたのはないかと言われています。これが写経なので、上の公文書の書体と比べてよいのか分かりませんが、(下の)“伝”空海の文字はとても読みやすいですね。あえて比べてみると、活字のような“伝”空海の書に対して、(上の)小野道風の書は個性的でもあり、柔らかさとともにニョロ字化していきそうな雰囲気もあります。
■書の画像アーカイブ
以下は今期展示されている書の展示品です。画像アーカイブとして載せておくためで、特に内容は記しません。
伝 藤原行成の《古今和歌集断簡(荒木切)》
400
あかすして わかるるそての しらたまを
きみかかたみと つつみてそゆく
401
限なく 思ふ涙に そほちぬる
袖はかわかし あはむ日まてに
402
かきくらし ことはふらなむ 春さめに
ぬれきぬきせて 君をととめむ
403
しひて行く 人をととめむ 桜花
いつれを道と 迷ふまてちれ
(詞書)しかの山こえにて、いしゐのもとにてものいひける人のわかれけるをりによめる
つらゆき(紀貫之)
むすふての しつくににこる 山の井の
あかても人に わかれぬるかな
藤原俊成の《古今和歌集断簡(了佐切)》
0324
しかの山こえにてよめる
紀あきみね(紀秋岑、紀秋峰)
白雪の ところもわかす ふりしけは いはほにもさく 花とこそ見れ
0325
ならの京にまかれりける時に
やとれりける所にてよめる
坂上これのり(坂上是則)
みよしのの 山の白雪 つもるらし ふるさとさむく なりまさるなりかな
藤原定実の《古今和歌集断簡(巻子本)》
女のおやのおもひにて山てらに侍りけるを、
ある人のとふらひつかはせりけれは、
返事によめる
読人しらす
あしひきの やまべにいまは すみそめの
ころものそての ひるときもなし
東常緑の《古今伝授書》
飯尾宗祇筆の《古今伝授書》
三条西実隆筆の《石山寺法楽三十首和歌》
なんだか書に興味を抱くようになってきたのと、こちら個人蔵なのでTNMの画像アーカイブにも載っていないはずなので、スキャンして掲載しておきます。
この間が欠けているかもしれません。
◉室町時代の書
《七言絶句 B-3208》
策彦周良筆|室町時代・16世紀|紙本墨書
解説には「南宋の詩人・李南金の茶に関する詩を草書で書写した1幅」と記されていますが……茶のことを書いているにしては、シャキシャキとキレのる字体ではないでしょうか。けっこう好みの書体です。
この掛け軸に策彦周良が何を書いたのかはほとんど読めませんが、清の陸延燦が著した『続茶経』の第三三六条に、李南金が詠んだ茶に関する次のような詩が、記してあるそうです。
ここで言われている「一沸」「二沸」「三沸」とは、次のような状態を言うと、原文では、この詩の前の文章に記されています。
以上は、近畿大学短期大学部教授の田中美佐先生が近畿大学短大論集「第55巻第1号(2022年12月)」に発表した「『続茶経』試訳(其六)」から抜粋しています。