不動明王の尊さが分かる絵巻物 @東京国立博物館
今季、東京国立博物館(トーハク)の本館には《不動利益縁起絵巻》という、不動明王って凄いんだぞ! という内容の絵巻が展示されています。かねてから不動明王って、やたら人気があるけれど何でだろ? と思っていたので、同絵巻を見るためにトーハクへ行ってきました。
絵巻は……まぁ詞書は読めないので、主に絵を見ながら楽しんできました。ただし……絵巻ってやっぱりどんなストーリーなのか気になるんですよね。そこでネットをくまなく調べてみたところ……まぁ出るわ出るわ、研究者を含め色んな方が、この《不動利益縁起絵巻》に描かれている説話について語っていました。
そもそも《不動利益縁起絵巻》に描かれているお話と同じようなお話は、以下のような資料で語られたり引用されたりしているそうです。
①『今昔物語集』巻一九〜二四[保安元年(一ー二〇)頃か]
②『宝物集』(三巻本では巻中、七巻本では巻四)[治承三年(一ー七九)以後数年間]
③「発心集』巻三ー一(神宮文庫本)、巻六ーー(流布本)[建暦四年(一二一六)までに成立]
④『三井往生伝」[建保五年(一ニー七)七月書写]
⑤『雑談抄』[弘安八年(一二八五)の書写書を持つ]
⑥『八幡童訓』[正安年間(一九九〜一三〇二)頃の成立か
⑦『とはずがたり』巻一・巻五[徳治元年(一三〇六)頃成立]
⑧『不動利益縁起』[東京国立博物館蔵本、鎌倉時代製作とさ
れる]
上に挙げたような資料で共通して語られている骨子は、下記の通りなのだそうです。
ということで……絵巻を見ていきます。
■トーハク所蔵の《不動利益縁起(大原本)》
トーハク所蔵の東博本または大原本と言われる《不動利益縁起》は、お話の最初の部分が欠落しています。誰かが持っていってしまったのか、切り売りされてしまったかしたのでしょう。
その欠落部……ストーリーは、三井寺の僧である智興(ちこう)が病にかかることから始まります。まだやり残したことがあったのでしょうか……まぁ僧侶とはいえ、所詮は普通の人間ですから、死ぬのは怖いでしょう。高僧だという智興さんも同じで、「どうすれば死を免れるだろうか?」ということを、あの陰陽師の安倍晴明を病床に招き占ってもらいました。
すると安倍晴明さんは、智興さんに残酷な診断を下します。「寿命には限りがあるから如何ともしがたい……寿命ですよ」と……。それでも智興さんは諦めきれなかったのか……「それをなんとかしてくれんかのぉ〜?」と涙目になって懇願したのかもしれません。安倍晴明さんは「う〜ん……それでは、誰かあなたの身代わりを立てなさい。お弟子さんがたくさんおられるのだから、1人くらいはいるでしょう」と。
智興さんは自らの病床に弟子たちを集め、自身の命運が尽きようとしていることを告白します。弟子たちは嘆き悲しみ涙するのですが……「だがのぉ、ワシの命をつなぐ方法が一つだけあるのじゃ」と智興さんが言います。「それは、どうすれば良いのでございますか?」と弟子の1人が聞きました。すると智興さんは「お前たちの誰かに、ワシの病を引き受けてもらうことなのじゃ」と……。
ぎゃ〜〜〜〜!
よくもまぁ僧侶がそんなことを弟子に言えるもんだなぁ……と思ってしまうのは現代人のわたしだからでしょうか……例えば現代において、会社の上司がこんなことを部下に言ったら、即刻、パワハラで訴えられることでしょう。でも、さすがは僧侶です、そんな願いをサラッと弟子たちに伝えます。ただし、こんな師匠だからなのか、「わたしが身代わりになります!」なんていう弟子もいませんでした。その場はシーンとなって「この場をなんとかしのぎたい」という者ばかりだったようです。まぁ若い弟子たちですから、命を惜しむのは当たり前のことです。
誰も名乗り出ない時間が続き、いやぁな空気が流れますが、一人だけ……一人だけ「私が身代わりになります!」と志願した弟子がいたんです。その名は「証空(證空)」……どういう気持で志願したんでしょうか……。
証空さんは「私が智興師の病を引き受けます!」と名乗り出ますが、「私には80歳になる老いた母親がいます。できることなら母のもとへ行き、私の決意を伝えたいと思います。必ず説き伏せて戻って参ります」と……。
そして証空さんは帰郷して、かくかくしかじかと母親に「今回、師の病を私が引き受けることになりました。もしかすると80歳の母上を残して、私が先立つことになるかもしれませんが、ご理解ください」と。それを聞いた母は、「私はあなたが幼い頃から大切に育ててきました。それなのに……何であなたが身代わりにならなきゃいけないんですか……」と嘆き悲しみます。証空さんは「これはとても名誉なことなんです。身代わりになって、もし先立つことがあっても、きっと浄土へ行けるはずです。ご理解ください」と言います。すると母は「とても惜しい気持ちですが、あなたが恩義を感じている師と、既に約束してしまっているのですから、しかたのないことです。浄土で私をきっと待っていてください」と、泣く泣く証空を送り出すのです。
さて、以上が東博本で欠失している部分です。上に載せた詞書の後に、絵が続いています。
証空が師の病床に戻ってきたシーンでしょうか。「智興さん! 戻って参りました!」と言っているのでしょうか。そんな証空さんに智興さんは、(絵を見た限りでは)とても横柄な様子で「おぅ…証空か、どうやった? ワレは説得できたのか?」と尋ねます。すると証空さんは「はい! とても寂しがっていましたが、とても名誉なことだと」。「おうか……それじゃさっそく晴明はんを呼んで、ワシの周りにおる病鬼を、ワレに移してもらおうかぁ」と……。
隣の部屋では、弟子たちがワイワイやってます。これまたなんとも言えず……ダメそうな僧侶ばかりです。あるものは「証空が戻ってきはったらしいねん。あいつはアホやのぉ」と言っていそうな顔をし……「しかし証空のおかげで、わしら助かったのぉ」とホッとしているような表情をしている僧侶もいます。なんなん? この絵巻w
そしてまた安倍晴明さんが智興さんの屋敷? の庭に祭壇を設けて、病身身代わりの祈祷を始めました。NHKの大河ドラマ『光る君へ』では、痩せこけた病的な表情をしていた安倍晴明さんですが、《不動利益縁起》に描かれた安倍晴明さんは、とても健康そうな……特にクセ強そうにも見えないフツーのオジサンにしか見えません。なぁ〜んか、顔がニヤけているように見えるのは気のせいでしょうか。祭壇の前には病鬼でしょうか……もののけたちが神妙な……顔をしていませんね……ふざけた顔で並んでします。
まぁそんなこんなで祈祷は始まり、無事に? 智興さんに取り憑いていた病鬼たちが、証空さんのもとに移ったのでした。
第三段の詞書にも何が記されているのかは分かりませんが、おおかた「病鬼が、智興さんから証空さんに移ったことや、それからの証空さんはウンウンとうなされて病床にふけってしまったことなどが記されているのでしょう。
証空さんの部屋では、兄弟子2人が付き添うなかで苦しそうにしている証空さんが描かれています。「苦しいよぉ……苦しいよぉ……おれは何で身代わりになるなんて言っちゃったんだろうなぁ……。あぁ〜やっぱりまだ死にたくないよぉ〜」とでも思っていても不思議ではないでしょう。わたしなら、身代わりになると約束したことを、速攻で後悔し始めるはずです。
その隣には、同じく証空さんが自室で、常日頃大事にしていた不動明王の絵像に「実は私、恩義ある師の身代わりとなって病鬼を引き受けました。助けてくださいとは言いません……言いませんが、どうか極楽浄土へ行けるようにお取り計らいいただけないでしょうか」と、話しかけています。全く普通の一人の人間が描かれていることがうれしいですね。ぜんっぜん「悟りを開こう」とか、そんな高尚な感じの僧侶は一人も登場しません。
そうして不動明王を祈っていると、不動明王の目から血の涙が落ちます。「証空よ……お前はなんて良いやつなんだ。わかった! お前が師の智興の死を引き受けたというなら、俺がお前の死を引き受けようじゃないか!」と証空の心に聞こえてきました。そして壁に貼っていた不動明王の絵像が、ハラリッと落ちたのです。その直後、今までダルさにさいなまれていた証空の体がフッと軽くなり、体から一切の苦しみが消えてしまいました。
そして場面は変わり、師の智興の身代わりとなった証空の死を、さらに身代わりになった不動明王が、冥界へと送られてしまうシーンです。百鬼夜行に出てきそうなもののけたちが、後ろ手に縛った不動明王を冥界へと引っ立てています。「おらおら早う歩かんかぁ!」とてでも言っているようです。不動明王は、目をむき出して憤怒の様子です……声にこそ出していませんが……「おのれら許さんけんのぉ……」と思っていそうで怖いです。
その不動明王ですが、一人で冥界に連れて行かれたのかと思っていましたが、絵巻をよく見ると、彼がよく連れている眷属……部下……赤い体の「制吒迦童子」(せいたかどうじ)と、「矜羯羅童子」(こんがらどうじ)を伴っていたようです。赤い「制吒迦童子」(せいたかどうじ)は、不動明王の羂索(けんさく)を、乳白色の「矜羯羅童子」(こんがらどうじ)は同じく不動明王の武器である倶利伽羅剣(くりからけん)を携えています。
そして冥界の中心地……冥府に着きます。不動明王を連行したうちのリーダーが、「おい門番! いまあいつを連れてきたから、早く門を開けてくれい!」と門番に言っています。門番の鬼は……「あぁん……おぬしらは誰を連れてきたんだ? まさか……」と、驚きの表情です。しかし連れて来てしまったからには仕方ありません。大きな門をギギギギギぃ〜と開けて、一行を通すことにしました。
証空さんの身代わりになると言ってたのに……不動明王は怒りで火炎を放射しまくっています。近くに控える赤い制吒迦童子(せいたかどうじ)は「こいつらを、まとめてあの世へ送ってやりましょうよ」と、あたりをねめ回し……白肉色の矜羯羅童子(こんがらどうじ)は「明王様、こちらをお使いください」と、倶利伽羅剣(くりからけん)を捧げているようにも見えなくもありません。
と言っている間に、すぐに地獄の王……閻魔大王(えんまだいおう)……なのか?……が慌てふためいて駆けつけて「これはこれは不動明王……いったいどうしたことでしょう……」と膝を地について平謝りしているようにも見えます。
そんな閻魔大王の慌てぶりを見ていた冥官たちも「これはヤバいことになったぞ」と、その場で次々に不動明王に向かって跪いていきます。そして閻魔大王は「なにか誤りがあったようで、大変失礼いたしました」と不動明王に向かって謝罪し、近くにいる冥官たちに顔を向けて「おい! なにをしているんだ! 早く縄を解いてさしあげろ!」と怒り散らかした……かもしれません。
縄を解かれた不動明王は「それじゃ行かせてもらうぜ!」と江戸弁で閻魔大王にひと声かけると無表情になり、羂索と倶利伽羅剣を手にして、眷属たちと一緒に雲で飛び去っていったのでありました。
さて、さぁ〜っと病が癒えた証空さんはどうしたかと言えば、「もうあんな師のもとで修行になんてならないな」……と言ったかどうかはしりませんが、一旦は母のもとへ帰り「母上、不動明王のご利益により、すっかり病が癒えました」と報告し、涙の再会を果たしたのです……ちゃんちゃん。
《不動利益縁起絵巻》は、本館2階に展示されていますが、当作を右から左へと見たあとは、後ろを振り返って見てください。不動明王の絵像がいくつか展示されています。今までよりも、不動明王さんが身近に感じると思います。
■大原孫三郎さん旧蔵品
現在トーハクが所蔵する、この《不動利益縁起》ですが、元は青地家という家にあったようです。それが実業家であり岡山県倉敷市の大原美術館を創始したことでも知られる大原孫三郎の手にわたり、大原さんが売りに出したものをトーハクが購入したのかもしれません(寄贈したのであれば、寄贈者として記されるはずですが、記されていないため)。そのため多くある《不動利益縁起》または《泣不動絵巻》の類似絵巻と区別するために、トーハク所蔵の当品は「大原本」と呼ばれていた時期がありました(おそらく今は「東博本」と呼ばれているはず)。
今回の東博本は鎌倉時代に描かれたもので、不動明王の縁起を描いた絵巻としては最古のものなのだそう。ただし先述のとおり、最初の部分が残念ながら欠失してしまっています。
不動明王関連の絵巻では、そのほかに京都の清浄華院の《泣不動絵巻》が有名で、こちらは室町時代に描かれたと推定され、欠けておらず完本なのだそう。詞書がなく、柄の部分は《不動利益縁起》を参考に描かれたものではないかと推測されています。
そんな不完全なものしか残っていないのに、なぜ物語の全容が分かるかと言えば、これまた先述しましたが、この絵巻自体が『今昔物語集』などを元ネタにしたのだろう考えられるとおり、その他にも『宝物集』や『発心集』などに、ストーリーが描かれているからです。
今回はその中の一つ『発心集』のうち「泣不動」について記されている部分の全文を、記しておきたいと思います。
■鴨長明の仏教説話集『発心集』に記されている泣不動説話(全文)
証空阿闍梨、師匠、命に替る事
中比、三井寺に智空内供と云ふ尊き人有けり。年たけて如何なる宿業にてか有けん、世の心地をして限りなりければ、弟子共集て嘆き悲む。其時、晴明と云て神の如くなる陰陽師有けり。是の病を見て云ふ様、「比度こそ限り有る定業なれ。如何にも叶わず。但し、其れに取りて志し深からん弟子などの彼の命に替らんと思ふ人有らば、祭り替奉りてん。其外は力及ばざるなん」云ひける。多く弟子共さしつどえる程に、此事を聞く。智空内供、苦みのたへがたきままに、「若し替らんと云ふ者や有る」と、双居たる弟子どもの気色を見れば、詞にこそ云いたれ、真には捨て難き命なれば、皆々色をまさをになして、きもつぶらし目に成て、一人として「我れ替らん」と云ふ人無し。
爰に証空阿闍梨と云人、とし若くて弟子の中に有り。弟子に取りても末の人也。誰も思ひ寄ぬ所に、進出て内供に云ふ様、「我れ替り奉んと思ふ。其謂は、法を重くして命を軽くするは、師に仕ふる習也。争が此事聞ながら身命を惜まん。徒に捨べき身を、今三世の諸佛に奉つて、人界の思ひ出にもせん。但、八十になる母待り。我れより外には子無し。若し、ゆるされを蒙らざれば、自身を捨るのみに非ず、二人が命尽すべし。能々理りを申聞せて暇を請て帰参らん」と云て、座たちぬ。内供より始て諸の弟子ども、泪を流して憐む。
証空、母の許に至て此事を語る。「願は歎き給事無れ。縦ひ御跡に残り居て、後世を訪ひ奉とも、是程に大きなる功徳を作くらん事は有難し。今の師の恩重して其命に替らん事、三世の諸仏も哀み給ひなん。天衆地類も驚き給ふbし。其功徳を統て、母の後世菩提にもし奉らん。是れ誠の孝養なれば、則やしき身一を捨て、二人の恩を報じ奉らん。況や老少不定の世界也。若し、徒に命尽て、母より先事もや有ん。其時は、悔ても何の甲斐が有ん。何をか此世の思出にせん」と泣々申す。母此の事を聞て、泪を流して驚悲む。「我れ、愚かなる心には、功徳の大きなる事もをぼえず。君ようぢなりし時は我に育くまれき。我年闌ては君をたのむ事天の如し。然るを、残の命今日とも明日とも知ぬ時に至て、我捨て先立ん事こそ最悲しけれ。然れども、其志の深事を思に、師の命に替りなば君が後世に至りても疑べからず。若し此の事免佛も愚か也と見玉ひ、君が心にも違ぬべし。誠には老少不定の世也。思へば夢幻しの前后也。早く君が心に任す。とく浄土に生て我を助よ」とぞ、涙を押へて云ける。
如何にせん蓮の露となるべくは別れの涙色深くとも
其の時、証空泣々悦て帰ぬ。則ち名乗など書付て、晴明が許へ進つ。今夜命に替り奉るべき由を云へり。かくて夜漸く深け行程に、此の証空、頭痛く心地悪く、身ほとをりて堪難く覚うれば、我房に行て見苦しかるべき物など取調つつ、年来持ち奉りける絵像の不動尊に向ひ奉て申す様、「年若く身盛なれば、命惜からぬにはあらざれども、師の恩の深事思に依りて、今己に彼命に替りなんとす。然るに、勤め少なければ、極めて後世恐ろし。願くば、大聖明王哀を垂れ給て、悪道に落し給ふな。重病巳に身を責て、一時も堪へ忍ぶべからず。本尊を拝み奉らん事、只今計也」と泣々申す。
其の時、絵像の御目より血の涙流し給ひて、「汝は師に替る。我は又汝に替べし」と宣べ玉ふ。御声、骨に通り肝に染む。あないみじ、掌を合て念じ居たる間に、汗流ぬる身さめて、則さわやかに成にけり。
内供は其の夜より心地よく成ければ、此事を聞てなのまならずに覚て、後ちには余人にも勝れて、たのもしく思はれたる弟子にて侍る也。
さて、彼本尊は伝わりて、後には白河ノ院にをはしけり。常住院の泣不動ともうすは是也。御目より涙のこぼれたる方のあざやかに見へ給けるとぞきこう。
さて、証空阿闍梨と云は、空也上人の臀の折れ給ひたりけるを、餘慶僧正の祈り直し給たりける時、法器の者なりとて、空也上人の奉られたりける証空也。
ということで、今回のnoteは以上です。