『源氏物語』をダイジェストで描いた屏風……東京国立博物館「屏風と襖絵」②
東京国立博物館(トーハク)の本館2階の「屏風と襖絵」の部屋へ行くと、NHK大河ドラマ『光る君へ』とコラボしているんじゃないか? といった雰囲気になっています。
というのも、毎回3作品が展示されているこの部屋に、11月10日まで展示されているのが、先日noteした《源氏物語図屏風(明石・蓬生)》と、今回noteする《源氏物語図屏風》、それに絵を土佐光起が描いたという《女房三十六歌仙図屏風》だからです。
今回は、その中の江戸時代に描かれた筆者不詳の《源氏物語図屏風 A-12405》……石黒重之氏寄贈をnoteしておきたいと思います。本当は一気に3作品をnoteしようと思ったのですが、最初に手をつけた《源氏物語図屏風(明石・蓬生)》に続いて今回の《源氏物語図屏風》でも、思わず詳細に記してしまったので、1 note 1作品ということにしました。
■源氏物語の8シーンが描かれた《源氏物語図屏風》
トーハクには源氏物語関連の作品が、数えられないくらいに収蔵されています。今回の《源氏物語図屏風 A-12405》は、『源氏物語』54帖のうち、「桐壺」、「花宴」、「初音」、「葵」、「空蝉」、「澪標(みおつくし)」「紅葉賀」、「未摘花(すえつむはな)」の8シーンを描いたものです。
屏風を目の前にしても、どのシーンを描いたものなのか、わたしにはさっぱりわかりません。そもそも、解説パネルに「金雲と建物で場面を区切りながら8帖の場面を描いています」と記されていなかったら、ちょっと雑然とした雰囲気の「なんのこっちゃ?」というふうに感じたかもしれません。
それでも解説パネルを読んで……あれっ? この形式、どこかで見たような……と思いました。泉屋博古館の特別展『歌と物語の絵』でのことです。ここにも江戸時代に描かれた『源氏物語図屏風』が展示されていたんです。泉屋博古館蔵のそれは「五十四帖のうち十二帖を描」いたものでした。その時の撮った写真を見返しつつ(noteはできませんが…)、今回のトーハク版《源氏物語図屏風 A-12405》を見ていくことにしました。
■右隻(右側の屏風)
①桐壷(きりつぼ)……桐壺帝の皇子が元服して光源氏となる
左隻の第一と第二扇をつかって描かれているのが、『桐壺』です。『桐壷』
描かれているのは、光源氏が12歳になった時に行なわれた元服の儀式……今でいう成人式です。彼は天皇の息子ですから、儀式は天皇が日常生活を送るための清涼殿の東廂(ひがしびさし)で執り行われ、父である桐壺帝が見守っています。
元服の際は、まず髪を一つに束ねて髷(まげ)を結います。その後に「引き入れの大臣(おとど?)」が、冠をかぶせます。この冠をかぶせることがクライマックスに相当するため、「加冠の儀」とも呼ばれます……というか、こっちの方がよく聞くような気がします。
そして光源氏の冠をのせたのが、後見人ともいえる左大臣です。左大臣といえば、必ずしも常にいたわけではない太政大臣や摂政、関白を除けば、朝廷内の最高権力者です。大河ドラマの『光る君へ』でも、藤原道長は左大臣として権勢を振るっていますよね。
そして光源氏は加冠の儀を済ませて、臣籍降下して源の姓を下賜されます。この時からが「光源氏」ということになるでしょうか。光源氏の場合は作中に本名が記されていませんが、本来であれば、源(みなもとの)なんちゃら……という名前があったはずです。清和天皇から臣籍降下された元皇子たちを起源とする源氏を清和源氏と呼んでいたのに準じれば、光源氏は「桐壷源氏」の祖ということになったかもしれません。
②花宴(はなのえん)……朧月夜(おぼろづきよ)との出会い
桜が咲き誇るの2月……今の4月頃に、宮中では花見の宴が催されました。20歳になったほろ酔いの光源氏は、実母に似ている義理の母にあたる藤壺を探して歩きます。酔ったふりでもしていたのでしゅうか、光源氏が天皇の妻たちが住む弘徽殿(こきでん)へ行ってみると、誰もが眠りについているようでした。そんな静かな殿中で、「朧月夜(おぼろづきよ)に似るものぞなき」と、美しい歌声が聞こえてきました。その女性は光源氏がいることに気がついていません。
光源氏はソッと近づいて、その女性の袖を掴みます。「だれ!?」と驚く女性に、光源氏が「怪しいものではございませんよ」とささやきます。さらに「深き夜の哀れを知るも入る月のおぼろげならぬ契りとぞ思ふ」と歌を読むんです。
深い寂しさや悲しさを感じる今夜ですが、そんな中であなたとの出会えたのは、はっきりと運命的なものを感じています……といった感じでしょうか。いやいや、暗がりで突然こんな風に言い寄られたら、怖いでしょ。誰だか分からないし、顔もちゃんと見えないのですし、初対面なんですから。
わたしなどはそう思うのですが、こうしているうちに、このあとから「朧月夜(おぼろづきよ)」と物語で呼ばれることになる女性は、「この方、光源氏じゃないですか……そうであれば、むげにすることもないわね」と、先ほどの怖さも消えていきましたし、むしろ好意的な様子になっていきます。
その朧月夜の様子を察したのか、光源氏は「名前を教えてください。あなたも運命を感じているでしょう?」と言い寄りました……というシーンが、描かれているわけです。
③初音(はつね)……明石の御方と姫との母娘の愛
「初音」の巻は、36歳になった光源氏の邸宅・六条院での、新年の様子が描かれています。光源氏は順調に出世していき、明石の君との娘である明石の姫君も、養母であり光源氏の正妻である紫の上のもとで元気に育っています。光源氏にとっては、この世の春……といった幸せいっぱいの瞬間だったんです。
そうした家族団らんの時に、明石の御方から姫君に贈り物が届きます。「届いた」と言っても、明石の御方は既に京に来ていて、遠くに暮らしているわけではありません。でも、そもそも明石の姫君が紫の上の元に預けられているのは、姫を身分の低い実母の明石の御方ではなく、身分の高い紫の上に養育させた方が良いと、考えたからでした。そのため、身分の低い明石の御方は、娘が住む紫の上の部屋へは近づけないんです。
明石の御方からの姫への贈り物は、竹の籠や折り箱、それに五葉の松の枝に止まった鶯がありました……鳥の鶯(うぐいす)です。なんで? って思いますよね……これが、この巻の名前である「初音」に関連するんです。明石の御方は、姫への贈り物に一首の和歌を添えていました。
年月を 松にひかれて経る人に 今日鴬の初音 聞かせよ
「長い間、姫の成長を待ち望みながら過ごしてきた私に、今日こそ鶯の初音のように、あなたからの便りを聞かせてください」といった感じでしょうか。別れてから一度も会っていない、娘に会いたい……声が聞きたい……という母の思いが織り込まれています。
光源氏は、母娘を会わせてあげられないことに身に詰まる思いがして、ポロリと涙をこぼしてしまいます。そして姫に、「便りを送ってあげなさい」と姫に言います。
引き分かれ 年は経ふれども 鶯の 巣立ちし松の 根を忘れめや
「別れてから長い年が経ちましたが、鶯=わたしが巣立った松の根=実母のことを忘れるはずがありません……」
この「初音」の巻といえば、徳川美術館蔵の、国宝《初音の調度》が有名……ということになるのでしょうか。また、トーハク所蔵品でいえば、土佐光起の《源氏物語図屏風》にも描かれていますね。
④葵(あおい)……美しく成長した少女・紫の上
「葵」と言えば、光源氏が12歳で臣籍降下した後に、初めて正妻とした人の名前です。なのですが……今回の屏風に描かれているのは、その葵の上ではなく、光源氏が一目惚れした、この時14歳前後の少女「紫の上」です。
わたしの場合は、光源氏と言えば、紫の上とのことが強烈に記憶に残っています。良い意味ではなく……光源氏ってヤバい奴だよね?……という感覚です。だって、10歳前後だった少女の紫の上を見つけた18歳の男が、「この子を自分の思い通りに育てたい」みたいな心情で、祖母に育てられていた紫の上を引き取って、自邸で育て始めるんですから……。
「葵」の巻から屏風に描くのに選ばれたのが、その時から4年が経った後の話です。その日は賀茂祭の日で、京の街中の人がそわそわしているようなときです。22歳の光源氏は、自邸の一つである二条院へ、紫の上へ会いに行きます。紫の上を見ると改めて……「きれいになられたものだのぉ」と思うわけです。そして「今日は一緒に祭りを見に行きましょう」と話しかけるのですが、「良いタイミングだし、祭りへ行く前に髪削ぎの儀をしましょうか」と言って、周りに準備をするように言います。
髪削ぎの儀というのは、よくわかりませんが、女の子の成長を祝うもので、伸びた髪……と言ってもどこの髪かわかりませんが……を切り揃えるそうです。光源氏は自ら鋏を持ち、チョキンと紫の上の髪を切ります。そして一首を紫の上に宛てて詠みます。
それに対して14歳前後の……現代であれば中学1・2年生の紫の上が、光源氏に返歌を贈ります。
といったシーンが描かれています。
⑤空蝉(うつせみ)
空蝉の巻は、その前の帚木(ははきぎ)の巻から続く、空蝉(うつせみ)という女性とのあれやこれやの話です。帚木の巻では、光源氏は空蝉さんという既婚の女性に惹かれて無理やり一夜を共にします。家が没落した後に、老いた地方官僚と結婚した空蝉は、光源氏に惹かれる気持ちもあるのですが、、以降は夫のある身ということで空蝉は光源氏につれない態度をとります。
それでも気になって仕方のない光源氏が、彼女の住む邸(紀伊守邸)へ行き、空蝉が夫と前妻との娘・軒端荻(のきばのおぎ)と囲碁をしている様子を覗き見するんです。
空蝉は美人ではありませんが、たしなみ深い様子に源氏は惹かれます。そのため夜になって、源氏が空蝉(うつせみ)の寝所に忍び込もうとすると、空蝉はその気配を察知し、薄衣一枚を脱ぎ捨てて逃げ去ります。それに気が付かない源氏は、暗闇の中で先ほどまでいた空蝉の隣で寝ていた、娘の軒端荻(のきばのおぎ)と一夜を過ごしてしまいます。事が起こる前に「これは空蝉ではない」と気がつくのですが、違うからといって何もしないで帰るなんて失礼なことをしないのが光源氏です。人違いだったと言えば、空蝉を狙ってきたとバレてしまっても気まずいということもあり、あまり好みではなかったのですが、きっちりとすることをしました。そして帰り際には、与謝野晶子さんの現代語訳に従えば「忘れずにまた逢いに来る私を待っていてください」とまで言い含めるのです。
まぁそう言いつつも、光源氏は空蝉が残した一枚の薄衣を持ち帰り、形見として大切にします。まぁ現代の感覚から言ったら、完全に変態ヤローだと思うのですが……どうなんでしょう。
そのあと光源氏は、空蝉に宛てて和歌を送りました。
こうして光源氏が、空蝉の行動をセミの抜け殻にたとえたことから、彼女は「空蝉」と呼ばれるようになったそうです。
右隻は以上です。
■左隻(左側の屏風)
左隻には「澪標(みおつくし)」と「紅葉賀」、それに「末摘花」のエピソードが、描かれています。なんでストーリーの順番に描かないのかは謎ですが……そもそも現在残っている源氏物語が、紫式部が執筆した順番なのかも定かではないところもあるわけですし、屏風に描かれた配置にどんな意味があるのか? もしくはないのか? さっぱりわかりません。
⑥「澪標(みおつくし)」……明石の君との深い愛情のやり取り
左隻の上半分を使って描かれているのが「澪標(みおつくし)」の巻です。
澪標(みおつくし)の巻では、29歳の光源氏が、明石から京へ帰ることが叶います。さらに翌年2月には、彼が義母である藤壺と密通した時に授かった息子……公式には光源氏の父・朱雀天皇と藤壺との間でできたことになっている……冷泉天皇が即位。3月には明石の御方が姫を産んだと、明石から便りが届きました。
その年の秋に、帰京できたことや姫を授かったことなどのお礼参りとして、住吉神社に詣でた時の様子が、今回の屏風に描かれています。
この時までに光源氏は、左大臣・右大臣に次ぐ内大臣という地位にまで急速に復権がかなっています。物語では「住吉神社への参詣に、ご一緒させてほしい」という公卿が多くいて、行列を作って参詣したことになっています。その同じ日に妻である明石の御方が、例年の参詣へと船に乗ってやってきました。光源氏の立派な行列を目の前にして、彼との身分の差を実感し、その日は参詣せずに去ってしまいます。そのことを伝え聞いた光源氏は、「さぞ寂しい思いをしたことだろう」と、明石の君の気持ちをおもんばかります。また明石の君と初めて逢ったことも、今日こうして同じ日に参詣に来たことも、住吉の神のお導きに違いないと感じます。そして光源氏は、淀川のほとりで思い浮かんだ和歌を明石の君へ贈るんです。
みをつくし……澪標とは、河川などにある、船の航路を示す標識のことでもあります。2人を出会わせてくれた、住吉の神の「澪標(みおつくし)」……ということでしょう。わたしには、とても美しい歌のように思えますが、受け取った明石の君が返した歌も、また美しいんです。
『源氏物語』は、「須磨」や「明石」から書き始められたという説もあるそうです。この一説に従えば、その後に帰京して貧しい暮らしをしている末摘花(すえつむはな)と再会する「蓬生(よもぎう)」、そして今回の「澪標(みおつくし)」へと続くことになります。もし物語がこういう始まりだったなら、わたしも先を読みたいと思ったかもしれないなぁとも感じます。
⑦「紅葉賀(もみじのが)」……スマートな若公達の光源氏
前項の「澪標(みおつくし)」が良い話だったので、もうこの先を調べる気が失せてしまいました。が……途中で放ってしまうのもあれなので、もう少し続けていこうと思います。
屏風の左隻の右下に描かれているのは第7帖の「紅葉賀(もみじが)」です。第5帖の「若紫」では、10歳前後という少女である紫の君のストーカーになったり、義母である藤壺と密通したり、「末摘花」では、事が終わった後に迎えた朝に「ひどい顔の女だな……」となったりと、現代の感覚では「なんなん、こいつ?」って、読者が感じた後に続く話です。
「なんなん、こいつ?」の光源氏が優雅に「青海波(せいがいは)」という踊りを優雅に舞い、とにかくスマートに描かれている帖です。ごくごく冴えない男として育った中年オジサンとしては、そんな光源氏に対して「なんかムカつく」というのが正直なところです。
↑ 「青海波(せいがいは)」という舞を舞っている光源氏と頭中将でしょうかね。
⑧「未摘花(すえつむはな)」……ゲス男が真人間へと成長する兆し
「未摘花(すえつむはな)」とは、茎の末端に咲く花を摘む……ということで「紅花(べにばな)」の別称です。そんな紅花のような紅い花の女……という意味の酷いニックネームを付けられた「未摘花」との出会った日の朝が、描かれています。
末摘花さんは、親を早くに亡くしてしまい、家が没落してしまった女性です。そんな悲哀を含んだ可憐な女性がいると聞きつけた、最高にゲスい男……光源氏が「いいねぇ〜、そういう女性とも遊んでみたいな」ということで、手紙を送るのですが、末摘花さんはなかなか陥落しません。「この私になびかないなんて、ますます気になる」ということで、ゲス男は必至に手紙を送り続けて、とうとう末摘花さんの邸で逢瀬しました……屏風に描かれているのは、そんな一晩を過ごして迎えた朝のワンシーンです。
季節は冬……寝床から起きて身支度をしながら、一晩を過ごした女性の姿を見ると……これが酷かったんです。前回のnoteの「蓬生(よもぎう)」の巻を紹介した時にも記しましたが、紫式部は末摘花の容姿について、『源氏物語』の中で次のように描写しています。
顔のブサイクさが酷かったんですね……実は顔だけでなく、その所作も気に入らなかったし、着ている服のセンスも絶望的に悪いし、気品はもちろん教養も風流さもなかったのです。悲哀を含んだ可憐な女性とエッチしたと思っていたのに、こんな女性だったのか……と、光源氏は愕然とします。
そんな感じだったので、与謝野晶子さんが訳すには「源氏は長く見ていることがかわいそうになって、思ったよりも早く帰って行こうとした。」そうなのです。
屏風に描かれているのは、正確にはこの後のことでした。落胆して邸を出て門へ向かう時に、橘の枝に雪が積もっているのが見えました。雪を随身に払わせた時、横の松の木がうらやましそうに自力で起き上がって、さっと雪をこぼしたんです。
邸を出て帰途についた時に、光源氏は車の中で色んな思いが交錯したことでしょうね。「なんであんな不美人の女性に夢中になってしまったんだろう」というのが主であったと思います。ですが、そうした後悔とは全く異なる思いも抱いていた……与謝野晶子訳を借りれば「普通の容貌の女であったら、源氏はいつでもその人から離れて行ってもよかったであろうが、醜い姿をはっきりと見た時から、かえって憐れむ心が強くなって、良人(おっと)らしく、物質的の補助などもよくしてやるようになった」という思いにも至ったのです。
【2024年10月22日に追記】
この橘に積もる雪を払わせると、近くの松がうらやましそう自分で起き上がったという箇所ですが……これは橘ではなく梅と書き写し間違えたのでは? と……《聖徳太子絵伝》を見ていて思いました。同絵伝には、聖徳太子のいくつものエピソードが描かれています。その中に少年時代の太子が「梅の花もよいのですが、青々とした松のほうがきれいですね」という下りがあるんです。紫式部がこれを転用して、光源氏に「梅=高貴な女性たちもきれいだけど、花はブサイクだけれど年中青々としている松=未摘花という女性のほうが好きだな」と言わせている……という方が、分かりやすい気がしました。また、今回の絵を見ても、雪を払っている橘だとされる木には、赤なのかピンクなのかの花なのか実が付いています。橘だとすれば、花は白いし実はオレンジか黄色い……しかも橘は常緑樹。つまりは描いた人も、橘ではなく梅を念頭にしているのではないか? ……というのはわたしの推測です。
ということで、今回のnoteは以上です。