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情熱×行動=伝播/連載エッセイ vol.64

※初出:知事認可・岩手県カイロプラクティック協同組合発行、「ほねっこくらぶ通信 vol.66(2011年・第5号)」掲載(原文ママ)。

早いもので、あの『震災』から半年が経過した。

内陸に居を構える者としては、正直、あの『不便』だった日々が、過去のものとなろうとしている。
『そぅそぅ、そんな事もありましたよね…』と、半ば笑顔で語られる程に…。

一方、当たり前の事であるが、津波被害にあった沿岸の方々にとって、『震災』は今なお継続中。
時が経つにつれ、各種報道機関での扱いは少なくなっているものの、未だ、先行きの見通しがつかない生活を余儀なくされている方も多い。

仕事やボランティアやプライベートで、沿岸地域へいた方々は、口々にこう告げる。
『TVで観るのと、現地を見るのとでは、まったく印象が違う…』と。

『沿岸地域を支える為にも、内陸の経済を安定させよう』というスローガンは、確かに間違いではないのだろう。
ただ、『沿岸の方々の苦労に比べれば、我々なんて…』という『気遣いの枕詞』を免罪符に、日々を漫然と過ごしていていいのだろうか、という疑問は常に心へ纏わりつく。

『私達に何ができるのだろう??
 私達は何をすべきだろう??』

考えれば考える程、思いは重く絡まり、その『最初の一歩』を踏み出せなくなる…。
こんな『思考の迷路』に囚われている方も少なくないのではないだろうか。

さて今回は、そんな状況を、『情熱』だけで、ぴょんと(でも実際は『泥臭く』)飛び越えてしまった人のお話。

そのお客様との付き合いは、私がクリニックを立ち上げて間もない頃からになるので、もう7~8年にはなるだろうか。

広告も打たず、ほぼ『紹介』からのみでお客様を『獲得』している当クリニックへ、予約もなしに突然『飛び込んで』いらした日の事は、今でも鮮明に覚えている(そんな『経営スタイル』がいいのか悪いのかは別として…)。

その後、定期的な通院が始まり、身体の調子も順調に回復。
たくさんのご紹介も頂きながら、やがて、ご結婚を機に、クリニックの近所から、県北方面へお引越し。

現在は状態も落ち着き、お住まいが遠方である事から、2ヶ月に1度のペースで、メンテナンスの為のご来院を頂いていた。

そんな彼女から、『実は、こんな事を始めたんデス!!』と打ち明けられたのが、5月の中旬。

それは『自らが「中継」として、全国から無償で車を譲り受け、それを無償で沿岸被災地へ届ける』という活動、通称『車を届けるボランティア』構想であった。

きっかけは、沿岸に住む友人の『窮状』と、それに対する『怒り』であったという。

『震災』発生から2ヶ月が経ち、『生命の安否』という段階は終わった。

一方、生き残った者には『生活』が待ち受けている。

その為の『収入』が不可欠である。

しかし、もともと『交通インフラ』の脆弱な沿岸地域において、何をするにも必要な『自家用車』が津波によって流されてしまっている。

『車がない』事は、イコール『移動手段がない』事であり、それは『就ける仕事がない』事に直結し、結果として『無収入』という状態を招く。

そして、その状況を嘲笑うかのように、沿岸被災地を中心として、中古車価格は高騰していく。

全てを流されてしまった被災者には、到底手が届かない程に…。

彼女は、友人の周りで、『生き残った喜び』が『今後の生活の不安』に押し潰され、残念ながら自殺者が相次いでいる状況に怒りを覚えた。

ネットで調べると、買い替え等で不要になった車検付の自家用車を被災地へ譲りたい、という書き込みが散見される。
そして、それと同じ位の、譲り先が分からないので廃車にしてしまった、という書き込みも。

そして彼女は、決心する。
誰もやらないなら自分がやろう!!…と。

生まれて初めて作成したブログに、彼女はこう記した…。

『主婦ですが立ち上がりたい!!』

ノウハウ…ゼロ。
活動資金…ゼロ。
あるのは情熱だけ。
たった1人で始めた活動…。

私は、すぐさまその活動への協力を申請。
早速、自らのブログにその事を記した。
しかし、彼女の『快進撃』は、予想を上回るペースで進むのであった!!

2ヶ月後…。
久々にクリニックへ顔を出した彼女は…ゲッソリ痩せていた!!

聞けば、その地道な活動は徐々に実を結び、数台ずつではあるが、沿岸被災地へ車を届ける事ができてきた。
すると、その『実績』に着目した各方面からのコンタクトが増え、ついには『全国メジャー新聞紙』の取材を受けるまでに!!
しかしその事で、ますます問い合わせが急増し、大変な事になっているというのだ。

考えてみれば、割の合わない活動である。

まず、『車を譲りたい』という問い合わせに、趣旨を説明し、スタッフの受け取り場所まで持ってきて貰う算段をつけなければならない。

首尾よく話がまとまったら、今度は『車を譲られる』側とマッチングをして、名義変更の手続きを行い、現地まで運んで手渡す。

融通の利かない行政の対応に頭を悩ませ、知恵を絞りつつ、これら膨大な作業を、『ボランティア素人』である彼女と数人のスタッフが、自らの生活と並行して行う訳なのだから…。

翌日に今度は『全国TVニュース』の取材が控えているという彼女は、やや疲れた表情を見せながらも…

『こうなっちゃうと
 やめるにやめられないですよね~♪』

…と笑顔を見せて、足早にクリニックを後にした。
バッグから、車のナンバープレートをはみ出させて…。

それからまた2ヶ月後。
『震災』から丁度、半年が経過しようとしていた。

いつものように彼女へ定期的なケアを施し、そして、帰り際に『あるモノ』を手渡した。
それは、クリニックのお客様からの『支援金』。
前回の来院から数日後、彼女の映るTV画像を掲示物として加工し…

『同じクリニックへ通うよしみで…ねぇ??』

…と、半ば『ジャイアン理論的半強制状態』で『徴収』!!

…ところが、企画者の予想以上にお客様の『善意』が集まり、『募金箱』が溢れる程に…!!
(我がクリニックのお客様、ナァァ~イス♪♪)

涙を滲ませる程喜ぶ彼女から、報告が2つ。

1つは、当初予定していた70数台の車両お届けが、間もなく完了する事。

もう1つは、スタッフの活動制約の都合上、締め切っていた『車両の新規譲渡受付』を再開する事…つまり活動を継続する事!!

その高い志に、心から敬意を表したい。

そして、今回のエピソードで、今更ながら実感した事が3つ。

まず、いつだって始まりは、たった1人の情熱からだという事。

次に、その情熱を形にするには、活動あるのみであるという事。

最後に、真摯な情熱は人を動かすという事…。

東北人として…カイロプラクターとして…負けちゃいられませんな!!(笑)


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