羽白 雪

考えていることや、時々小説みたいなのも書けたらなと思います。

羽白 雪

考えていることや、時々小説みたいなのも書けたらなと思います。

最近の記事

ぬいぐるみに命はあるか?

たまに、思う。 この子、見てるっ!! この、サムネのポケモン。 いつでもどこでも、いる。なぜなら子が移動しているからだ。 この子は三年前、ポケモンのアニメの中で死んでしまったポケモンで、その時からいる。子が一時間ぐらいは大泣きで、会いたいよーっとなっていたので、来た。 それから、ずっと一緒。 子が眠る時、そばでやれやれと言っている気がする。よだれをかけられ、やれやれと言っている気がする。そして朝になれば一緒にリビング。気づいたらこちらを見ている。 トイストーリーのよ

    • パン作り、手軽なオーバーナイト製法

      画像は、成形に苦戦したベーコンエピと、オニオンマヨチーズパン。 オーバーナイト製法に出会ってから、気軽にパン焼いている。 前日にほぼこねず生地を仕込んで、冷蔵庫でゆっくり発酵。朝成形。二次発酵も大体せず、焼くだけ。 同じ生地で何種類か分けて作るのがマイブーム。 詳しくは、 冷蔵庫で作りおきパン いつでも焼きたて 吉永麻衣子 /著 と言う本に載ってます。おススメです!私は革命が起きました。 オーブン機能が壊れ、現在トースターのみとなってしまったのですが、トースターでの

      • 自分の世界を持つ人が好き

        色褪せたぬいぐるみ、かすれかけたステッカーだらけのPC、付箋だらけの本、くたびれたスニーカー。 全てその人の時間が経っているものだ。 私はよく記憶が無くなるので、とてもステキに思う。 時間とは、生きているということ。 自分の時間を過ごしてきたんだね! 愛おしさで胸がときめく。まっさらなものより、あたたかみがある。 ある程度の汚さは、ルーズなんだなって思う。それがいい。だって優先してきたものの違いも感じるから。あなたは何に夢中になってきたのかな。 物の時間は、自分の世

        • お菓子作りが好きで百均に通う

          こちらのお皿とマグカップ、セリアのものです! マグカップは色に一目惚れでした。高見えだと思います。 このマグカップとお皿も百均のもの。猫に弱い私です。お皿は確かダイソー、マグカップはワッツ。 このピンクと青のお皿、カトラリーもセリア。 シフォンケーキの型はダイソーのもの。 このドーナツ型はダイソーのもの。シリコンでできており、油を塗ると結構簡単に剥がれます。 ダイソーで見つけたガラスのプリンカップ !! 見つけたとき嬉しかったです。アルミカップのほうも愛用中。 こ

          間違ってよかったのかもね

          かつて、友に私はこう呼ばれた。 "ひとりSM劇場" 夏のとてつもなく暑い日に、ホットのコーヒーを買ってしまったり、サイドブレーキかけ忘れ坂でガードレールに突進したり、お花屋さんの時はお葬式会場でカメムシを踏んでとんでもない匂いを充満させた。 ちなみに、そのホットコーヒーは優しい教習所の先生がホットを飲みたかったんだよ!と言って、買ってくれた。アホなので結構、そうなんだ!と思ったけど、今にしてみると優しさでしかない。 お葬式会場がどうなったかは、何も言わずに去ったのでよ

          間違ってよかったのかもね

          死ぬところを探す

          死に場所を探している。 それも確実に命を落とすような方法で。 私は、自殺未遂をしたことがある。母の家で、薬をたくさん服用したのだ。ところどころ思い出せるのは、救急車の中。拘束された石の部屋。娘はどこですかと看護婦さんに聞いていたところ。食事中でご飯を食べたくないと言ったこと。 でもいざ実行して退院後、私は生まれ変わったような気持ちだったのを覚えている。 まだ生かされているのかもしれないとその時思ったのだ。 やってみなくちゃわからない人間がいる。無謀だと言われる人も、

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          村上春樹の作品を読んだ時、私は絶望した

          村上春樹の作品を読んだ時、私は絶望した。 性や愛が真っ直ぐに描かれているからだ。 私は性に関してが苦手である。欠落しているような気持ちだった。 私はキラキラしているものにとても憧れる。 でも、手に入れなくってもよかったりして。 けれど村上春樹は、私にはあまりにも眩しかった。性と死の中に愛を迸らせている。不思議なところも確かにあるけれど、私の知らない世界が根っこにある。もう一度繰り返すけれど、自身の欠落を感じたのだ。こんなふうに誰かを好きだったことがあったような気もするけれど

          村上春樹の作品を読んだ時、私は絶望した

          夜明けとは、始まりである。

          夜とは、終わりなのだと思う。夜が始まりの方もいるが、私はそうだ。家族が寝静まって、ひっそり濃縮ミルクティーを牛乳で割って飲んだりするのが至福のひと時だ。あぁ1日が終わった。今日も生きたんだな。とあの日から思う。そして夜明けはまた始まる。あの時とは違って始まりは悪くないなぁと思えるのが、幸せな証なのではないかと思う。 等しくやってくるこの夜は、いろんな色に染まっている。それぞれの空気を湛え、今もこうして染め上げた。私が眠る前に薄暗く大好きな江戸川乱歩を読んでいる間にも、夜の街

          夜明けとは、始まりである。