死ぬところを探す
死に場所を探している。
それも確実に命を落とすような方法で。
私は、自殺未遂をしたことがある。母の家で、薬をたくさん服用したのだ。ところどころ思い出せるのは、救急車の中。拘束された石の部屋。娘はどこですかと看護婦さんに聞いていたところ。食事中でご飯を食べたくないと言ったこと。
でもいざ実行して退院後、私は生まれ変わったような気持ちだったのを覚えている。
まだ生かされているのかもしれないとその時思ったのだ。
やってみなくちゃわからない人間がいる。無謀だと言われる人も、どうかマイナスにばかり捉えないでほしい。
間違いはあってもいい。それは過程の中で、正解になることがある。
私はその自殺未遂という経験の中で、新しい世界を見た。いまは、わりと気楽な考え方が出来る様になった。あるもので、あるだけ楽しむ。ものも、溜め込まず活用してくれるところにあるほうが良いと考えた。スナフキンは、物を持たない。すべて記憶の中にしまっておくのだ。(尚、私は記憶に問題があるので、読書メモという形で残している)
人も物も、執着が無くなったのだ。
私はいつでも死ねるんだ!というマインドは、救済でもある。何したって、どうせ死ぬからだ。その人しか見えない辛さがあり、本当に自死を考えている人を私は止めることも出来ない。けれど、死にはこういう救いもあるのだと、伝えたかった。
でも、病気だから君は死ぬとか、死んだらどうしようとか、言われるの逆に嫌かなぁと最近学んだ。
私なら、大丈夫だよって言ってほしいもんね。
好きな人たちが、健やかで幸せであるといいなぁ。
生きているものだけが、助けることが出来るんだ。だから、まだ死なない。