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「生活」への温かなまなざし〜クリームイエローの海と春キャベツのある家
あるとき、「暮らし」と「生活」の似て非なる響きについて考えたことがある。
暮らしは、憧れや理想のライフスタイルのニュアンスを多分に含んでいる。
雑誌や書籍、YouTubeで描かれているような、すっきりと整い余裕が感じられるさま。
一方、生活はもっと地に足のついた、それどころか時折田んぼに片足を突っ込んだような、何とももどかしく精一杯に気を張りつめている感じがする。
どちからというと、私は現実を生活と表したほうがしっくりくる。
その「生活」への温かなまなざしを終始感じさせてくれたのが、せやま南天さんの小説「クリームイエローの海と春キャベツのある家」だった。
発売から1ヵ月が経ち、「こんなに私事を挟んでいいのだろうか」「書籍化からの読者なのに今更感がないだろうか」と感想を途中で書きあぐねいていた。
そんななか、著者のせやまさんがこのような記事を書かれていた。
そうだ、書かねば。
書店で本を手に取ったときの心の弾み、夢中で読んで買った日に読了したこと。
何より、感想を書くと約束していたのだから。
◇
通称「クリキャベ」は、昨年のnote創作大賞で朝日新聞出版賞を受賞し、4月に書籍化された。
作品については、創作大賞の応募期間から存じ上げていた。
近年、殺伐とした暗い出来事が起こる小説から離れ、日常に近い話を好んでいたため、印象に残っていた。
受賞後序盤だけ拝読したのだが、私は普段Webで小説をほとんど読まない人間で、さらにその時期小説自体から遠ざかっていたため、作品をまとめたマガジンを登録したまま読了できていなかった。
(本当にすみません)
今年になり、「クリキャベ」が書籍化されると知ったのは、装幀のデザイン案の意見を募集している段階だった。
同時に、本の装幀を親交のあるぷんさんが担当されていると知り、私は一目散にデザイン案の記事をを見に行き意見を送った。
その後デザインが決まる過程を読み、「ちゃんと前段階から作品を読み込み、愛している人」の意見を目の当たりにし、誰に責められた訳でもないのにちょっと落ち込んだ。
ちなみにコメントを逐一読むほどまめではない。
それとともに、「本でなら必ずこのお話を読める」確信があった。
本なら、ほかのページに浮気することなく集中して読める。
書籍化へ向けてどのようなことをしているのか、編集日記を拝読しながら発売日を待った。
4月5日金曜日、朝イチで書店の在庫検索をすると「発売予定」の文字に落胆した。
私の住む地域は遠方で、週刊少年ジャンプのコミックスは人気作以外2日遅れて発売する。
もちろん、ネット通販で買う手もある。
だが私は、絶対に書店で直接買うと決めていた。
書店でぷんさんの装幀を直に見て、手に取り、紙の感触と活字をゆっくり眺めながら、せやまさんが紡いだ物語を味わいたかったのだ。
週明けに買いに行くかと思っていた矢先、日曜に調べたところ入荷していた。
金曜発売だったら、雑誌なら月曜まで待つのが当たり前なのに。
急にそわそわしてきて、春夏用の明るいイエローのストレートパンツを引っ張り出してきた。
ちょうど出かける用事があったので、夫と車で出発。最寄りの書店に早足で向かった。
事前に調べていた棚へ近づく足取りは、逆にゆっくりだった。
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書籍が整列しているのを目の当たりにしたとき、うっすらとクリームイエローが柔らかく発光しているように映った。
マスクをしていなかったら、本に感じ入っている怪しい人間に見えただろう。
レジまで持ち運ぶ間、「クリキャベ」の本はなぜか陽だまりのようなぬくもりがあった。
◇
クリキャベは、家事代行を務める主人公の津麦、依頼先の織野家、津麦の上司の安富さん、そして完璧な家事をこなす津麦の母が織りなす物語だ。
織野家は一家の「お母さん」を亡くして間もなく、大黒柱のお父さん・朔也と5人の子どもが生活している。
子どもたちは幼く、朔也ひとりで家事を回しているため、織野家には洗濯物や日用品、ごみが幾重にも層になった「クリームイエローの海」が存在していた。
この作品を読んでさまざまなことを思ったが、まず感じたのが、温かな「真横からのまなざし」だった。
外からはどれだけきちんと生活しているように見えたって、内に入ってみたら、実は目を疑うような光景が広がっているのかもしれない。いつも乗っている電車から見える、あの家もあの家も。本当は家事が回らなくて、外には聞こえない悲鳴をあげているのかもしれない。
車窓から見える家並に対し、思いを馳せる津麦のモノローグ。
せやまさんの世の中へのまなざしを象徴する一文だろう。
誰かが感じていた、だけど言葉にはしてこなかったであろう、生活という営みをする人たちへの感情。
こういった視点を物語として昇華できる方こそ、「もっとこの方が書く物語を読みたい」と思わせてくれる。
もちろん魅力はそれだけではない。
津麦、朔也、安富さん、津麦の母と、それぞれの家事への向き合い方と、プライドを持って取り組んでいる姿勢。
津麦が決して織野家の「お母さん」にはなれないと線引きされながらも、「カジダイさん」として一家に溶け込んでいく様子。
私はこの「カジダイさん」という呼び方がとても好きだ。
なかでも、ほっとできるけれど平坦ではない「クリキャベ」の魅力がある。
それは、大げさではないけれど、私たちの生活で大きな問題になり得る出来事が描かれていることだ。
具体的にどのエピソードかというと、織野家の次女・樹子ちゃんが部屋で暴れるシーンだ。
樹子ちゃんは津麦が家事代行に来て間もない頃から、明るく出迎えてくれた子だった。
だがある時、家の有り様へのストレスが限界に達し、本棚を倒し教科書を散乱させ、イスを振りかぶる。
でも、こんな家じゃ、恥ずかしくて友達も呼べないんだよなって思って。
(中略)なんでって、いつも聞かれるの。家がこんな汚いからなんて言ったら引かれるし。言えないし。
(中略)でも、パパは凛や昌の世話もあるし、仕事もしてるし、もうこれ以上何かお願いするなんて、できないって分かってる。
痛切な心の叫びを読み、涙がにじんだ。
樹子ちゃんはまだ小学生だ。
自分の子だとしたら一大事だし、本人であれば足がつかない海をもがくような心地だっただろう。
病気とか、虐待とか、実際にあるけれど、創作物には暗い気持ちになるエピソードが含まれることがある。
そういった出来事ではなく、もっと身近にあり得る、切実な問題を描いた物語の作り方に好感を持った。
もうひとつ付け加えると、津麦と母のエピソードもありきたりではない着地点が用意されていた。
途中までは母子のぎくしゃくしたやり取りにどうなるものかと思っていた。
しかし、最後のほうで津麦が母と餃子を包む時のことを思い出すシーンを読み、この2人の関係は私が思うほど心配することはないのだと感じた。
津麦が丁寧に家事に取り組む姿勢は、間違いなく母から受け継いだものだ。
そして津麦の母も、真っ直ぐな津麦の仕事ぶりに自分が与えた影響を見出してくれるのではないかと予感させてくれる。
よくある親子の確執ではない、「上手くいくといいな」とそっと見守りたくなる関係が描かれていた。
そして、安富さんの台詞が私の思う「暮らし」と「生活」をくっきりと浮かび上がらせてくれた。
どんなにはた目には派手で、気楽で、美しく見えても、その地味な家事がないと生活は立ちゆきません。生活は、誰に見せるためでもなく、営んでいくものです。その生活をどう営んでいくかによって、人は生きやすくも、生きにくくもなるんですよ
そう! そうなんだよ! と、安富さんとせやまさんに拍手を送りたい。
今の時代は、ときにきらびやかに飾りつけられた「暮らし」が見えてしまうこともある。
それに憧れを抱く私は全否定したくないけれど、知らずのうちに比較して疲れている人も多いだろう。
ああ、だから帯には「誰かと比べなくていい。」と書いてあったのだと、ここまで打っていて合点がいった。
クリキャベを読むと、家事を頑張りすぎだった人は程よく手を抜くようになったのではないだろうか。
同時に、私のような家事にあまり意欲的ではない者は、一つひとつの家事に以前よりやり甲斐を持てるようになった。
もっと生活を大事にしようという気持ちの表れだと信じたい。
読了後は、私もご多聞に漏れず春キャベツを買って晩ごはんのおかずを作った。
◇
読了し、心に響いた部分をまとめてから、改めてぷんさんの装幀を眺めてみる。
クリームイエローと淡いミントグリーンが折り重なった海のなかで、生活を営む人物たち。
右下の大きな背中は織野家のお父さん、朔也だろうか。
もうひとり、フライパンを手にしているのが津麦か。
子どもたちの姿もちらほら見える。
登場人物たちの赤やオレンジにたくましく生きるさまを、ブルーの頭に抱えている悩みや苦しみを私は感じた。
さらに、作中に登場する料理や食材の数々がおいしそうでたまらない。
柔らかそうなキャベツの繊維、つやつやしたピーマンの照り、ふっくらとして焼き目のついた餃子……。
全くの他人だけど、織野家に混じって津麦の料理を食べたくなる。
やはり物語をしっかり読まないと、ブックデザイン含め装幀の本当の良さが分からなかっただろう。
これだけ内容を汲み取り、鮮やかで優しい色とタッチで表現したぷんさんにもまた、拍手を送りたい。
◇
長文になってしまいました。
せやまさん、ぷんさん、本作に関わった方々、「クリキャベ」と出合えて良かったです。素晴らしい作品をありがとうございます。
今後も新たな作品、ご活動、陰ながら応援しております!
※2024.5.16 本の表紙がきちんと見えるようヘッダー画像を修正しました
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