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大河ドラマ「べらぼう」第4話解説② 鱗形屋とは?


こんばんは、瑠奈です。

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本日も大河ドラマ「べらぼう」解説いきますよ〜。


今回は大河ドラマ「べらぼう」第4話解説② 鱗形屋孫兵衛とは?です。


前回の記事も良かったらご覧下さい👇


大河ドラマ「べらぼう」で
ラブリンこと片岡愛之助さんが演じる
鱗形屋孫兵衛。



第4話から鱗形屋孫兵衛の欲望の片鱗が見え始めましたが、鱗形屋は一体なにか?ご紹介いたします。



鱗形屋とは

鱗形屋(うろこがたや)とはひとことで出版社です。


江戸の地本問屋で、万治年間に江戸の大伝馬町三丁目(現在の東京都中央区)に開業しました。


まず、地本とは、江戸で出版された大衆本のこと、地本問屋とはこの地本を企画・制作・販売した問屋のことです。


ちなみに、初代は加兵衛、二代目は三左衛門、三代目は孫兵衛と称されています。


なので、「べらぼう」の鱗形屋は三代目というわけですね。

ちなみに書物で、鱗形屋は「鶴鱗堂」とも呼ばれています。

恋川春町『三升増鱗祖 下』(米山堂、昭和2)国立国会図書館デジタルコレクション (参照 2025-01-29)


孫の字が服に書かれていますね。(笑)




鱗形屋「鶴鱗堂」の出版物は?

出版業を開始した当初、鱗形屋加兵衛の時は
江戸吉原に取材した「遊女評判記」出版しました。


また、江戸版といわれる独特の造本様式の本を出版した書肆としても知られています。


その後、二代目鱗形屋三左衛門は、菱川師宣の挿絵の入った師宣絵本を手がけ、浄瑠璃の正本も多く出版しました。


三代目鱗形屋孫兵衛は、京都の出版人「八文字屋自笑」が、上方で流行させていた恋愛や人情を描く浮世草子を、江戸で刊行する権利を独占しました。

孫兵衛やり手〜〜〜❣️



それに加え、草双紙、吉原細見にも手を染めて、さらに正月の宝船(七福神などが乗る宝物を積み込んだ船で、縁起物とされる)の版画も手がけとされています!

また、1775年(安永4)には黄表紙の元祖とも言われる恋川春町『金々先生栄花夢』を刊行して、江戸の出版文化をリードしていました。


孫兵衛は相当な切れ者で、鱗形屋は超大手企業って感じですかね。


黄表紙:寛文年間(1661~1673年)頃に流行した挿絵入りの読み物で、遊廓や時事ネタを扱うものが多い。


では、その鱗形屋と蔦屋重三郎は一体どんな関係だったのか。



蔦重との関係性は?

蔦屋重三郎は、吉原で生まれ、駿河屋という引手茶屋の養子として育ちました。


吉原に顔が効く蔦重は、鱗形屋孫兵衛が独占していた「吉原細見」の編集スタッフとして名乗り出るわけです。

ですが、鱗形屋が重版事件によって処罰され、「吉原細見」の刊行が困難となり、1775年(安永4)から、蔦重は「籬の花」と題した吉原細見の刊行を始めます。

吉原で生まれ育った蔦重の刊行する「吉原細見」は充実度が高く、好評で、、、

これをきっかけに蔦重は版元としてレベルアップ‼️

そして、鱗形屋の家業は急速に衰え、衰退していったとされています。


おわりに


簡単に鱗形屋についてご紹介しましたが、
いかがでしたでしょうか。


鱗形屋は、上方の出版文化も
いち早く江戸に流通させていた大手企業らしいです。


そう考えると、孫兵衛は超凄腕ビジネスマンだったのかもしれないですね。。。



この記事を書くにあたって
鱗形屋についてたくさん調べたのですが
管見の限りでは鱗形屋について曖昧なことが多いように感じました。


上方の黄表紙を江戸へ流通させたことは
当時の日記にすこーーしだけ書かれていたので
たしかめられたんですけど。。。


その他はなかなか難しいかったですね。
なので、当時の日記とか調べながら
鱗形屋についてこれから研究していきます。。。



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母がバツ2の女子大学院生。瑠奈
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